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week11: GWは終わるのではない、終わらせるのだ。

緊急事態宣言下のGW、2ndである。

昨年はそれなりにソワソワヒヤヒヤしながら、未知のウイルスに怯えて律儀にステイホームしたものだが、今年の日本はそんな感じでもなさそうである。

私はというと、映画を見たり、ドラマを見たり、映画をみたり、ドラマを見たり、家族でバーベキューをしたり、映画を見たりして過ごしたものだが、世間様はそうでもなさそうだ。ニュースを見ると、やっぱりどこかで密になっているとの話。政府と国民のいたちごっこになっている。でも国民は政府に依存してなんとかしてくれとクレームをつけるに終始。さすごに政府もちょっとかわいそうに思えてきた。手始めに、政府vs国民の図式をまずなんとかしないといけないのではないかと思うが、国民サイドももうちょっとこう、合理的な判断ができるようになって欲しいものである。

他方、サラリーマンをやっていると連休のありがたみが身に染みるわけであるが、それは反面、「連休明け」というこの世で最も恐ろしい妖怪との壮大な戦いがセットで約束されている。この妖怪退治に、人類は何千年とあの手この手を尽くして研究に努めてきたわけであるが、残念ながら未だに答えが出ていないようだ。早くしてくれないと定年を先に迎えてしまいそうだ。誰か、あと5年くらいで開発してくれないかと願うばかりである。

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このステイホームGWで、私はディズニー漬けの日々を送った。正確には、MARVEL漬けといった方が良いだろう。MARVEL作品がディズニー傘下であることを知らない人って意外に多いですね。そういえば、USJにスパイダーマンのアトラクションあるじゃないですか、あれのライセンス料ってディズニーに帰属してるらしいですよ。USJでスパイダーマンに乗れば乗るほど、ディズニーにお金がチャリンチャリンと入っていくそうな。

ハタから見たら競合関係にありそうな相手も、「本当に競合だろうか?」「敵は本当に同業者だろうか?」と考える視点はあらゆる場面で大切にしたいものである。

で、MARVELに浸っていたわけだが、私といえば、MARVEL作品がものすごく好きなことで有名だ。それは、オタクと呼んでも齟齬がないくらいには好きだ。MARVELの魅力は語り出すと止まらなくなるので、別の機会に譲るとして、今回は他の話をしたい。MARVELは、連休明けの攻略方法を学ぶ教材であることを発見したのである。

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MARVELを知らない人のために説明すると、要するにアメコミのことである。日本でいう集英社みたいな感じで、アメリカのコミックレーベルのうち、最も有名な一つである。ジャンプコミックスが勝利・努力・友情を共通のコンセプトにするのと同じようにMARVELにも共通したコンセプトがあるように思う。

それが、努力・ユーモア・社会性であると私は思っている。

MARVELヒーローはえてして、スタートは一般人であることが多い。(宇宙や異星を舞台にしている場合を除く)
一般人がスーパーパワーを身につけるパターンは大きく分けると、事故もしくは努力だ。このニ通りしかない。そしてなぜか共通してみんな理系だ。これにはきっと、境遇の不利さは運命を左右しない、主体的・能動的な働きかけで力を得ることができるのだ、というTHEアメリカ的価値観の反映であると解釈している。

これが、「連休明け」の攻略のヒントであると私はとらえた。

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自分がMARVELヒーローの誰かだと仮定して、その気持ちになりきってみると、たとえスーパーパワーがあったとしてもせいぜい身の回りの人を助けるのに役立てるくらいで、自らの将来や人生・家族を賭してまで世界を守ろうなんて気にはまずならないだろう。(なので、できるだけわたしにはスーパーパワーは与えないで欲しいのだが、)彼らはそれでも世界のために自らの時間と労力を費やすのだ。

彼らの戦いにはゴールはない。次から次へとより強い敵が登場するからだ。コミック的にはそうでないと面白くない。でも彼らは次に来る敵がどんな力を持った、どれくらい強い敵かを教えてもらえない。したがって、何をどれだけ努力すればいいかという天井がわからないので、半永久的に自らを磨くことをやり続けなければならない。

これが何かに似てると思いきや、サラリーマンそのものである。あらゆる企業はゴーイングコンサーン、つまりは持続的な成長を目指すわけで、そこに従事する人間も自ずと半永久的に自らをレベルアップしていくことを求められる。

それを文句の一つも垂れずにやり続ける彼らと我々ホモ・サピエンスは何が違うのか。

それが、①責任感 ②能動性/主体性 この二つだ。

「嫌だ、私は責任なんて負いたくない。ていうか、責任を負うようになればそれこそ連休明けが億劫になるだろう。アホか」

という反論もあるだろうが、ちょっと聞いて欲しい。

ここで私がいう責任とは、組織や他人との約束を守ることではなくて、自らが果たすべきと考える約束を確実に果たすという文脈での「責任」だ。MARVELヒーローは皆、自らとの約束のために切磋琢磨している。ストイックとか、意識高いとかそういう利己的な富や名声を得るための努力ではなくて、「俺がやらねば」というミッションを遂行するといったニュアンスだ。あなたの中にも、サラリーマンを通じて果たされるべきミッションを見つけられたい。

そしてもう一つ②能動性/主体性である。
これはもう説明の必要もないかもしれないが、自らの働きかけで身の回りのものを動かしていくという考え方だ。組織や上司や恋人からの要求や指示、与えられた目標にコミットするのではなく、あなたが要求し、あなたが外的環境を動かしていくのだ。これには大変な労力が伴う、頭も体も精神もすり減る。

しかしだ。お気づきだろうか、これがいわゆる「自分のやりたいことをやっている(感覚)」というやつなのである。組織に属する以上、ミッションが与えられることは避けられない。なので、自らが立てた目標を果たす道筋の中に、そのミッションを入れ込んでしまえばいい。すなわち、自らが望む方向に力を注いでいれば半自動的にミッションもクリアされるという図式を描いておけばいい。繰り返すが、自分で立てた目標を果たすことは、すなわちやりたいことをやるということである。それに費やされる労力や時間や資本はもはや努力でもなんでもない。それは、あなたが可愛くなりたくて美容院やエステに何千円とかけ、あなたが好きなアイドルのために全国行脚することと何もかわらない。能動的な働きかけだ。これはもはや努力でもなんでもない。やりたいことをやっているだけなのだから。もう一度繰り返すが、組織に属する以上、組織的なミッションは降りかかってくるので、それは自らのやりたいことをやる道筋に綺麗に組み込んでしまう。ここは少し知恵がいるし、頭を捻らなければならないが、それがバチッとハマれば、あなたの連休明けは別に苦でもなんでもなくなる。

なぜなら、明日からまたやりたいことをやる日々が続くだけなのだから。

本当は、いい意味で曜日感覚がなくなるくらい、やりたいことと果たすべきミッションが綺麗に組み合わさってるとなおよしだ。





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