映画スタア・高峰秀子が見た終戦
【8月の回想録】
今日は76回目の終戦記念日だった。
終戦記念日が雨降りというのも、中々珍しいことではないだろうか。
様々な人の証言や、様々な文献を読むと、あの日の空は真っ青に晴れ渡り、雲ひとつなくとても暑かったという。
ドキュメンタリー番組が、ひと昔前ならばかなりの数がドラマも含め制作されていたが、今はNHKくらいしか戦争に関する特集番組がないことが、何となく自分は危険だなと感じる。
何に関してもそうだが、やはり人々の関心というものが薄れてしまった時に起こるのが、とんでもない失敗だったり災害だったり、歴史を繰り返したりとにかく関心がなくなった時が危険だということを、僕は感じている。
今あの戦争を、かろうじて記憶に留めている人々が当時子供だったことを考えると、時代の流れを痛感せざるを得ない。
以前、映画俳優の高峰秀子さん(1924.3.27~2010.12.28)が『徹子の部屋』に出演して話された戦争体験が、僕は酷く鮮烈に残っている。
高峰さんは、三浦春馬くんと同じ子役出身で、戦前から戦後にかけて活躍した名優。その芸歴は50年を超える、彼の大先輩に当たる伝説の映画スタアだ。
そんな高峰さんは終戦当時21歳。映画のロケをしていて、海沿いにある旅館に滞在していたと記憶している。
そこで終戦を知らせる玉音放送を聴いたという 。
その夜、高峰さんが宿泊先で見聞きした異様な光景は彼女を驚愕させた。
若き特攻隊員は、もう戦争は終わったというのに何の躊躇いもなく再び戦闘機に乗り込んで、敵のいない海に突っ込んで行った。
その数は一機や二機ではなかったという。
軍国教育を受けて育った若者は、助かった喜びより負けたことで自分がどうしていいか分からず、気持ちのやり場がなかったのだと同年代の彼女はそう思ったという。
「戦争が終わって助かったのに、そんな最期を知ったら遺された親はやりきれないわよ。」
高峰さんは静かに憤って話されていた。
その彼女ももういない。
本当にあの戦争は何だったのだろう。
誰に訊けば答えを聞けるのだろうか。
それすら今となってはもう分からない。
だから時折でも考えて行かなければと
僕は毎年思うのだ。
2021年8月15日付・インスタグラム掲載文を基に再編集。
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