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35歳、新聞記者を辞めて起業した〜社名に込めた思い

開業届が税務署から受理されました。35歳、ひよっこ起業家デビューです。

私は先月まで12年間会社員をしていました。つい1年前まではこんな人生を歩むとは夢にも思っていませんでした。めぐり合いのふしぎを感じています。

記者経験生かしコーチング

私の仕事はコーチング業です。記者12年の経験を生かし「コーチングを新聞記事にする」というコンセプトで世の中に価値を届けていきます。4月内にサービスを始めます。

社名にあたる屋号も決めました。FULL YELL(フルエール)です。
直訳の通り「めいいっぱい応援する」コーチングカンパニーです。

私は精神的にふさぎ込んでいた昨春、偶然コーチングに出会い、CTI(Co-Active Training Institute)というコーチ養成機関で1年ほどトレーニングを積んできました。自分自身もコーチをつけており、多くのセッションを受けてきました。ありがたいことに多士済々のコーチ仲間にも恵まれています。

コーチとはどんな仕事だろう

コーチとはどのような人か。この答えは十人十色です。コーチングが日本の企業研修で使われ始めたのは2000年代に入ってからです。企業の人材育成ばかりでなく、人生全体に焦点を当てた「ライフコーチ」や経営トップ層に特化した「エグゼクティブコーチ」など、少しずつ活動の場が広がってきています。ただ、コーチになるには資格は必要なく、名乗ればその日から活動できます。コーチはそれぞれの「コーチ観」で仕事をしており、解釈の広い仕事だと思っています。

私のコーチ観は「応援する人」です。何かを決断したい人、困難にあえて挑む人、新たな一歩を踏み出したい人、そうした「変わりたい人」の声を聴き、寄り添い、背中を押して実現へ導くことがコーチが届ける価値だと思っています。コーチとは「変わる人を応援する人」、コーチングとは「変わりたいという人の願いを聴き、背中を押す仕事」。これが私の第一の考えです。

コーチは戦う人でもあると思います。何と戦うのか。根拠のわからない常識です。世の中には私たち一人ひとりの自由な生き方や発想を、型にはめ、縛り付け、つまらなくさせるものがたくさんあります。それは、親や教師、政治家、マスコミなど社会的にリッパみなされる組織や人からもたらされるものかもしれません。

「周りの人がどう思うのか」という謎の世間体、「昔から決まっていることだから」という価値観の強要、「そんなことをしても意味がない」という無気力な思考停止、そうした私たちの意欲に冷や水をかけようとするものに、立ちふさがるのもコーチの仕事だと私は思っています。コーチは戦う人であり、応援する人。それが私のコーチ像です。

希望の光になびく旗

屋号のロゴも決定しました。モチーフは応援旗です。FULLの「F」の形で、風になびく旗を描きました。追い風に旗をめいいっぱい広げています。旗の内側に、YELLの「LL」を使って、二筋の光をあらわしました。

自然の風景のうち、私がもっとも好きなのは、朝陽が昇る光景です。暗闇の世界がだんだんと明るく照らし出され、山川草木が目覚める景観です。生き物にとって光とは、希望そのものだと感じられるからです。

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困難な状況にある人が、どうか希望の光を見出せますように。目覚めの光が届きますように。ロゴは、希望の光になびく旗です。祈る思いを込め、腕利きのデザイナーさんと知恵を絞り、丸1ヶ月かけて形にしました。

ラリルレロへのこだわり

独立を昨年5月に決め、そこから屋号を考え始めました。ひとつだけこだわったことがあります。「ラリルレロ」いずれかの音を入れることです。Rの音は、人間が受ける印象として光を連想させると聞いたことがあったからです。アーティストのグループ名でも、意図してかどうかはわかりませんが、確かにラリルレロの音が入っている場合が多いようです。

「ビートズ」「ングストーンズ」「ミスターチドレン」「コブクロ」「アシ」など探してみるとそうした例がたくさんあります。この話を「オエンタルラジオ」が戦略的につけられたコンビ名だとどこかで耳にしたことが、頭にありました。書籍などで調べたところ、言葉の音が脳に与える印象は「音のクオリア」として科学的にも研究されていて、R音は人種問わず「透明感」「理知的」「弾性」という感覚を得るそうです。

朝の光が好きな私にとって、R音は必ず入れたいと思っていました。このカタカナ5文字がまさに光のようにひらめいたのは今年2月末です。アイデアを出し尽くして9ヶ月がたっていました。

あるコンサルタントの方との会話がきっかけです。作り途中のコーチングプログラムについて話す時間でした。話の終盤、その方は「すけさんの原型には応援団があるんですね」という一言をつぶやきました。こぼれた言葉は、心の深いところに響きました。

エールを送った高校時代

私は高校時代、3年間応援部(母校では応援“団”といいます)で活動しました。もともと中学まで野球に没頭していました。応援団は野球部を応援する機会が多く、中学までの経験を生かせると思い選びました。

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応援団は私が所属していた当時は、ある面から見れば、常識はずれな部活でした。応援団特有の大声での「ちわぁー」というあいさつは、部活の時間以外も必須です。休み時間でも先輩を見かけたら最敬礼で「ちわぁー」と10秒くらい叫びます。顔を上げると同級生が驚きやら失笑やら分からない目で眺めています。あいさつするときは持っているものを即座に手から離すというルールもあったため、昼の時間に運悪く先輩を見かけた同期は、弁当ごと投げ捨てて、ウィンナーやら卵焼きやらが廊下に散らばるという哀れな場面もありました。

野球の応援では、真夏でも真っ黒な制服を着てスタンド中を駆け回ります。立っているだけで意識がもうろうとしてきます。マネージャーの女子生徒が頭から水をぶっかけてくれることが救いでした。観客を盛り上げる一発芸も披露しなければなりません。全校生徒の前でスベったことも一度や二度ではありません。この部活を3年間やり切れたことは、いま振り返れば確かに私の支えになっています。応援団を思い浮かべとき「エール」という言葉が浮かびました。

応援で呼び覚まされるもの

私は応援について、ふしぎだと感じることがあります。それは、応援している側が時々つぶやく「勇気をもらった」という感想です。よく考えれば、ふしぎではないでしょうか。なぜなら、声援によってほんらい勇気づけられるのは応援される側のはずだからです。選手が試合中に、観客を応援することはないでしょう。

白血病を乗り越えて東京五輪の内定が決まった池江璃花子選手が話題になっています。私も心打たれた一人です。池江選手の渾身の泳ぎを見ていると、なにかに挑む人の姿を見るとき、胸の奥で呼び覚まされるものがあるように感じます。私たちも何かきっとできるはずだという思いが湧いてきます「いけっ!がんばれ!」という思いは、もしかすると自分を奮い立たせる声にもなっているのではないかと思います。「勇気をもらった」と言うのは、選手が力を振り絞る場面を通じて、自分自身をも励ましたからこそ感じることなのかもしれません。声援を受ける側も送る側もともに勇気づけられることが応援の醍醐味なのではないでしょうか。

応援する側もされる側も、ともに弾んで生きていこう。二筋の光は、その願いを込めています。

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挫折に打ちひしがれた大学時代

フルエール。この言葉には「ふるえる」をかけています。挫折に打ちひしがれた大学時代に出会った、ある先生の言葉です。

高校時代、私は自然を学べる地理が大好きで、大学受験では地理専攻の学科のある早稲田大学の教育学部を志望しました。しかし通らず、たまたま引っかかった商学部に進みました。最も興味から外れた学部でした。

商学部1年生は簿記が必修です。私はまったく興味が持てませんでした。成績はもちろん「不可」。2年生の時に1年前と同じ教室で新入生と机を並べて電卓を叩いているとき、胸はからっぽでした。どの講義も興味が持てず、こらえきれずに転部を申請しました。しかし商学部からの転部は認められていませんでした。

自分の軸をなににすればいいか分からず精神的にも塞ぎ込みがちで、1年生のときに入っていた部活も辞めました。その後、学外での国際交流活動に励みましたが「自分の軸は一体なんなのだろう」という思いは長年つきまといました。大学5年間送っても「これをやった」と胸を張れるようなものが持てなかったことは、胸をえぐり続ける長年のコンプレックスでした。社会人になって7回落ちても気象予報士試験をやり通したのは、悔しい思いを晴らしたいという胸の奥の思いがあったからです。

唯一記憶に刻まれた講義

しかし、大学時代の講義で唯一、記憶に刻まれているものがあります。「複雑性の社会学」という授業です。比較文化などを専門とする、当時まだ40代半ばの桜井洋という先生でした。

桜井先生はパンクミュージシャンのような方でした。学生時代に「暗黒舞踏」という前衛ダンスに没頭した名残からか、講義では全身黒づくめの衣装で、チリチリパーマを伸ばした髪をゆらし、左手の人差し指にメタルの太い指輪をはめていました。当時「ちょいわるオヤジ」という言葉が流行っていましたが、桜井先生は「ちょいわるオヤジなんてのじゃ甘い。ちょーわるオヤジくらいに突き抜けろ」とぶち上げていました。

ある日の講義で、先生はこんなことを学生に尋ねました。
「君たちが一番ぜいたくだと感じるのはどんな時か」。

私は当時、家賃2万のおんぼろ学生寮に住んでいました。びんぼう学生にとって「ぜいたく」は、最も縁のない言葉です。乏しい想像力でめいいっぱい空想すると、高級なフレンチを楽しむとか、豪邸に住むとか、そうした雲の上の世界のイメージが湧いてきました。

先生は尋ねたあと、少し間をおき、静かにこういいました。
最もぜいたくなのは、心ふるえる時だ」。

鮮烈な一言でした。「ぜいたく」という言葉と「心ふるえる」という言葉が、当時20歳の貧乏学生にはまったく異色の組み合わせに感じたからです。

「ぜいたく」という言葉には、濃厚でリッチな響きがあります。「心ふるえる」には、繊細で初々しいものを感じさせます。「ぜいたくとは心ふるえる時」という一言は、ミルキーなクリームシチューと、摘みたての野いちごを一緒に口に放り込まれたような異色の驚きでした。同時に、寝ぼけまなこに冷水が飛び込んでくるような、清々しさも感じたのです。

心ふるえる人生の応援団に

「心ふるえることは、ぜいたくなんだ」。目が覚める思いでした。「心ふるえるぜいたくな生き方をしたい」。その思いが芽生えた瞬間でした。

FULL YELLは、心ふるえる人生へ背を押す応援団になりたい。応援する側もされる側も、心ふるえる道を歩んでいこう。

目覚める人を応援し、常識と戦う光の旗を、高く掲げます。

最終決定版(FULLYELL)




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