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やめていく仲間をみて思うこと

こんばんは。ちょっとずつnoteを書いていこうかなと思います。

今年自分の仲間の引退の知らせを聞くことが多かった。
勿論そのなかに先日江の島の開幕戦をもって現役引退をした仲間もいる。

結論から言うと正直複雑な気持ちである。

複雑と思ってしまうのは、いくつかある。若くして引退する一流プロ選手を見て皆が思うことと大体同じことである。
「まだ出来るでしょ」「やめるのもったいない」「まだ若いのに」といった思いを強く感じる。
江の島FCの方は怪我の問題で辞めざるを得なくなり退いた。怪我はやむを得ないとは言えど、自分からしたら年下がサッカーやめるというのはなんとも言えないもどかしさのような気持ちを持ってしまう。
前述のプロ選手引退で世間的に思うこととつけ加えて、自分より年下がやめていくのがもどかしく感じてしまうのである。
引退した他の仲間だと、同い年で大学初のJリーガーになった先輩もその1人である。Jから関東社会人でプレーされてたが、今年引退された。知らせを聞いて連絡とってみたら、怪我もあったがやりきったからというのが1番の理由と仰ってた。本人が納得して辞められるならいいとは思うけど、個人的にはやれるのにもったいないと思ってしまった。先輩とは言えど、同い年だから、尚更強く思ってしまった。

他にも今年引退した仲間はいますがここまでにします。

スポーツだけでなく、何かやってきたことを学生卒業などの一区切りにやめたという人は沢山います。なかには1度やめて復帰する人もいます。
自分は大学でたくさんサッカーうまい人たちに会ってきて一緒にやったけど、ほとんどがプロ目指せるのになぜ辞めてしまうんだろう?と言う人でした。
一区切りというのがちょうど潮時に当たるからかもしれない。今もサッカーやってる自分は下手くそではあるが、どこまで上手くなれるか挑戦したいしサッカー好きだからずっと続けたいと思ってやっている。

今回、もどかしさしか残らないもやもやした内容ではありますが、残った仲間としては去っていった仲間の分を背負って進んでいくしかない。それが残った者の役目である。自分が現役引退したときはそれが選手としての死に当たる。他の世界でも一線退くと現役としての死にあたる。生死の表現であるが、やめた時に色んな形で迎えると思うが、自分は限界までやって、やめた時に仲間が泣いてくれるサッカー選手としての人生がいいかなと思ってる。1人1人堂々と生きて、何かをやっていく権利はあるのだから、生きがい、やりがいを感じてほしい。でないと、生きてる意味や真剣に続けてきた意味はない。
後悔なく精一杯にやろう。

今回は複雑な内容でしたが、何か人のお役に立てればと思います。最後までお読みいただきありがとうございました。また、所属しております、江の島FCの応援をよろしくお願いします。

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