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書評「アンチ整理術」著者:森 博嗣

「アンチ整理術」という本書の名前の通り、世間一般的な整理術は書かれていません。
森先生の工作室が物でいっぱいなことは、他の著書でもたびたび話題に上がり、森先生も「断捨離というのは一時的な流行だと思う。物は多い方が良いに決まっているではないか」と書かれています。
本書でも、物が多い方が発想を得るのに有利なことが書かれており、整理整頓をすることで効率が上がることへの疑問も呈されています。
まさしく「アンチ」整理術な内容です。

ただ物理的な整理術について書かれているのは、1、2章くらいで、それ以降の章では精神的な整理術について書かれています。
思考、人間関係、自分自身、創作など、目に見えないものの整理整頓こそが重要だ、と。
このあたり、現代人であれば人間関係のしがらみや、自分自身の先入観などに縛られているというのは、思い当たる節があると思います。

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この本に限らず、森博嗣先生の書かれるエッセイやコラムには一貫するテーマを感じます。
自分の人生なのだし自分の幸せのためなのだから、自分のやりたいことを考えて、考えたら他人の目など気にせずに、少しずつそこへ向けて進んでいきましょう、という旨のことを森先生はたびたび自著で書かれています。
先入観や他人から自由になることが幸せのために重要なのだ、とも。
やりたいことが分からないなら、まずは嫌じゃないことから初めてみたら?部屋の掃除とか。と相談に来た学生にはよく答えているそうです。

森先生のこうした一種の自己完結した自由と幸福の追求と対照的に、ネット社会の価値観についても触れられています。
ネット社会になって、自分の感情のほとんどが、他者に認められることや、他者との比較によって生じている。
他者に認めてもらえなければ意味がない。人よりも上でなければ成功とはいえない。そんな価値観に支配されている人が実に多い、と。
それよりも自分で自分を褒められる方が価値があると思うよ、と森先生は言います。
もちろんネット社会も他人から承認されたいという欲求も否定しているわけではありません。森先生はこうした方が良いと思うよ、強制はしないけど、というくらいのニュアンスでよく自分の考えを表現されます。

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また本書では編集Y氏とのメールのやり取りをまとめた章があり、森先生とY氏の対比が面白かったです。
おそらくY氏の発言や価値観が一般的なビジネスマンに近いものになっており、それに対し森先生がコメントをしていくのですが、

森「『仕事ができない人間』だと思い込ませた方が、安全側です」
Y「先生は、そうしてこられたのですか?」
森「はい、そうしてきました。親父から教わったのです。一所懸命になるなって」
Y「その価値観が、かなり珍しいと思います。損をした気分になりませんか?」
森「どうして損なのですか? 人に良く見られたら得ですか? 僕は損だと感じます」

など、森博嗣節が全開のやりとりが多く、読んでいて痛快な気分になりました。この章だけでも読む価値があると思います。会話形式なので読みやすいですし。

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アンチ整理術と言いながら物理的な整理術に対するアンチテーゼについてよりも、精神的な整理術の重要性を説いている本書は、天邪鬼の森先生らしいと思いました。

最後にこの本の中で一番心に響いた部分を引用して締めたいと思います。

「友達は財産だ」も、しばしば聞かれる 台詞 だが、友達を財産と比べることが、もうだいぶ 卑しいと思える。財産などどうでも良く、ただ、その人と会っていれば楽しい、そういう楽しい時間を共有することが、人間関係の基本であり、困ったときに助けてもらえるといった「損得勘定」を持ち出さない方が明らかに上品である。
僕は、少なくとも他者をそういったふうに評価し、自分の中で整理をしているつもりである。つまり、損得ではなく、その人間と会うことが楽しいかどうか、という観点が基本だ。これは、こちらから見たときの「価値」である。会う価値、つき合う価値、知合いでいることの価値があるかどうかだ。当然ながら、むこうもこちらに対して、なんらかの価値を見出すだろう。そこが、問題だ。両者が価値を得ているうちは、その人間関係は自然に継続するし、いわゆる「良い関係」と評価されるものになる。

こういう「良い関係」を大切な友人と築きたいものです。

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