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学びに携わるものとして〜世界最大の人材開発カンファレンスATDに思うこと〜

毎年10,000人以上の人材開発のプラクティショナーが世界中からアメリカの各都市に集うATD(Association for Talent Development)主催の国際カンファレンス。今年はコロラド州デンバーで開催予定だったが、その中止が先日正式に発表された(別途バーチャル・カンファレンスが開催される)。

私が所属するヒューマンバリューで毎年派遣しているデリゲーションについては、コロナの影響を考慮して随分前から中止を決めており、恐らく本会議の方も開催は難しいだろうと思われていたが、あらためて中止の連絡があると、やっぱりか、といくばくかの喪失感のようなものもある。主催者側も苦渋の決断だったと思われる。

私自身は2001年から毎年参加していたので、今年でちょうど20回目を迎えるはずだった。

ATDに参加したことのある多くの人が感じることでもあると思うが、振り返ってみると私自身にとってもATDは特別な意味を持つ場であった。

20年前、ヒューマンバリューへの入社を後押ししてくれたのも、ATDに参加してみたいという思いが1つのきっかけでもあった。6月1日に前職を退社し、その足で成田に向かう。オーランドでのATDが自分にとっての入社日。新たな世界へのチャレンジ一歩目だった。

英語はそれなりに自信があったつもりだった。が、膨大な情報の渦にただただ圧倒される1週間。そこで何が起きているのかさっぱりわからなかった。会期中に行われたVISAカード創始者のディー・ホック氏による特別セッション。テーマは「混沌と秩序(Chaordic)」だったが、秩序どころかカオスしか残らなかった。気持ちのいいくらい打ちのめされ、自分の小ささを知らしめてくれた体験。Fear(恐れ)というよりは、学びの世界へのAwe(畏敬)に近かっただろうか。

それから4年の月日が経過。2002年のニューオーリンズ、2003年のサンディエゴ、2004年のワシントンDCを経て、またオーランドに戻ってきた2005年、今度は自分自身がセッションで発表させていただく機会に恵まれた。テーマは、「Creating Engagement: The Mutual Contribution to Growth」。今でこそエンゲージメントは当たり前の概念だが、当時としては新規的なチャレンジだった。

社内外の仲間からの支援を受け、同僚と3人で衝突しながら発表の推敲や練習を重ねる日々。極東から来た若者たちのプレゼンが、どこまで受け入れられるか不安が募ったが、いざセッションがスタートすると、会場には多くの人。笑顔で最後まで参加いただき、終了後にもたくさんのコメントをいただけた。インタラクティブな学びが国境を超えるのを肌身で実感させてくれる体験だった。

2014年には、団体の名称がそれまでのASTD(American Society for Training & Development)からATD(Association for Talent Development)に変わるという大きな転換期を迎えた。ATD側が、自分たちのミッションを、トレーニングからタレントを開発することに、そしてアメリカを中心に置くことから、世界を中心に置くことに再構成する。図らずもこの転換は、私たち参加する側の意識や関係性にも少なからず影響を及ぼしたかもしれない。

ヒューマンバリューでは、毎年40名以上のデリゲーションを組み、現地で情報交換会を行っている。日本の企業内学習をリードする経験豊かな方々と、カンファレンスでの学びを共有し合えるこの場こそが、自分にとってのATDといっても過言ではない。参加くださるみなさまには毎年感謝でいっぱいだ。

このデリゲーションのあり方も、ATDに名前が変わったあたりから少しずつ進化してきているように思う。「学びを通じてより良い世界をつくる」という共通の志をもった同士たちが、役割や立場を超え、世界視点で集うセンス・オブ・コミュニティを強く感じるようになってきた。

次第にATDの位置づけも、1年に1回のイベントから、その場を起点に学びについての探求の対話を多様な人たちとともに繰り返すラーニング・ジャーニーへと自分の中でシフトしてきたようにも思う。

そのATD国際会議が、今年はリアルには開催されない。これは私たちにとってどういう意味をもつのだろうか? そして共に学んだ仲間たちは今何を感じているのだろうか?

ここ数ヶ月、テレビをつけると「不要不急」という言葉が飛び込んでくる。そういえば、リーマンショックがあった頃のATDでは、景気低迷を受けて企業がラーニングへの予算をいち早くカットする中で、人材開発担当者が自分たちの存在意義をいかに証明・説得するかといった文脈が強く感じられた時代であったように覚えている。

ではこのコロナの時代におけるラーニングは、果たして不要不急であろうか。

「変化への適応には学習が必要である」とピーター・センゲらが学習する組織の中で説いてからはや30年。私たちは今、これまで経験したことのない変化の只中にある。学習が、環境変化に適応して、新しい価値観、思考方法、知識、技術、行動を獲得し続けていくことであるならば、私たちがウィズコロナの時代を生き抜き、アフターコロナの世界を創造するために、今まさに大切なるのが学習そのものではないかと思う。

その中で、学びに携わるものの役割や使命はより大きいと言えるのではないだろうか。周りの仲間たちを見ると、既に新たな時代に適応すべく様々な実験的な試みが行われていることに勇気づけられる。ATDもバーチャルでのカンファレンスの開催が決まった。

そして、もう少し大きなことを考えると、そこでの学びは、知識学習を超えた新たな世界観を築いていく学びになるように思う。サピエンス全史のハラリ氏が、この危機を乗り越え、新たな世界をつくる上で、敵は憎しみ、強欲さ、無知といった心の中にある悪魔であると述べたのは記憶に新しい。連帯か分断か。岐路に立つ私たちが望ましい未来に進むために、私たちが今ここから学ぶ力をいかに高めることができるのか、そしてそうした学びをいかに支援できるのか。

ATDを通じて、自分よりも大きな全体とつながった感覚を共有する人たちと、そんな問いについてダイアログをしたいと願う。