見出し画像

1月17日。

阪神・淡路大震災から27年なんですね。1月に震災があり、3月にサリン事件。今でもこの2つの出来事はしっかりと覚えています。ボランティアに登録していたので、神戸へ派遣されたのが3月。まだ21歳だった私。なんにもわからない中で、仕事を(無理やり)休み、自力で神戸へ向かう。道が途中寸断されていたので県から指示された避難所へ最後は歩いて向かいました。

当時ボランティアの登録が少なかったため、県から一番最初に派遣されたはずです。急なことで参加できなかった人も多く、3人が民間ボランティアとして現地へ向かった記憶があります。50代くらいの主婦の方もメンバーにいたので、共に行動しました。

到着した避難所は、ボランティアが来ることを把握していませんでした。あのころはまだボランティアの体制が整っておらず混乱も多かったと思います。そのため、また別の場所へ移動。そして、あちこちに山積みにされた不用品。良かれと思って送られてきたものですが、着れないような服や、必要ないようなものもたくさんあったのを記憶しています。置き場もないので、段ボールが野ざらしにされていました。最終的には長田区の小学校にたどり着き、自衛隊の設営した風呂の掃除を担当。派遣期間は1週間程度。仕事が休めたのもそのくらいでした。

向こうで出会った人の中には仕事を辞めてきた方や、あと、全国から派遣された消防の方がいました。皆さん、今どうされてるのかな?

避難所には子供たちもいて、遊び相手もしてたのですが、今、もう30代後半くらいな年になってるはず。きっと、頑張ってるだろうなぁ。

向こうではあまり役に立たず。かえって被災したみなさんに励ましてもらいました。助けるつもりが助けられた。仕事にもちょっと悩んでいた時期だったのですが、当たり前の日々が送れてることにもっと感謝して、小さい仕事の悩みで悩むより、もっとすることがあるよなぁ‥って、派遣から帰った後は、いろんなことに前向きに取り組めるようになりました。

まだ混乱のさ中で、被災したみなさんは気持ちを強く持って、すごく前向きだったけど、日常に戻るまでの道のりの方がより大変だったはずです。特別なことがなく繰り返される平穏な「日常」がいかに大事かって思いました。

コロナになっていろいろ大変でいろいろ愚痴りたい日々だけど、あの震災、もちろん、2011年の震災もですが、それを思うと、まだまだ日常を送れてるだけでも、ありがたいし、感謝ですよね。

27年前の今日のことを考えながら一日過ごしたいって思います。

寿庵の変わらない日常はこちらのHPでチェック!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?