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観相師・景春 第四話

●4.城持ち
 景春たち一行は、帰りは、大坂の真田屋敷は寄らずに、一気に上田方面を目指した。道中何事もなく、不時に上田城まで戻れた。上田の大殿に湯本は、信繁様の様子を伝え、鉄砲の値についても、説明した。しかし、鉄砲
のことは、ほとんどおまけのようなものになっていた。その年の暮れに湯本善光は、あっ気なく肺の病で亡くなった。しかし、その嫡男・善広が新たな城主になっても、景春たちは、善広の相談役としてそのまま居住を許された。
 この日、景春は、善広に呼ばれ、城のよろず吟味所にいた。
「板倉殿、あの者たちは、父の代からの仕えているのですが、子を巡って争っています」
「子を巡る争いですか」
「それで、私は父と違って観相術に詳しくないので、顔を見ても親子関係が言い当てられないのです」
「なるほど」
景春は、隣の部屋の襖をほんの少し開けて、3組の親を名乗る人物たちと同席している12~13才の男の子を見ていた。
 景春と善広は、早瀬と共にその部屋に入った。
「城主・善広様のご裁定で、親子関係を決めるが良いか」
早瀬が念を押していた。
「善広様は、先代の観相術を引き継がれているのでございますか」
親を名乗る男が言った。
「もちろんだ。さらに補佐役もつけておる」
「そうでございますか」
 この間も、景春と善広は、親たちの顔をしげしげと見ていた。
「よし、その方らから、殿の前に出でよ」
早瀬が、少し前に出て、顔を善広に見せるように促す。続いて二組目、三組目と顔を見ていく。
 「善広様、これでよろしゅうございますか」
早瀬が言うと、善広は、景春の顔を見る。景春が、わかったという顔をして大きくうなずく。
「大丈夫だ」
善広は安心したように言った。
「皆の者、吟味の結果は追って沙汰するから、本日は帰ってよろしい」
早瀬が言いかけたのを抑えて、善広、自らが声をかけていた。

 「板倉殿、どうですか」
「善広様、人の顔は、男の場合、左半面が父方、右半面が母方の顔を引き継ぎます。ですから、あの子の顔の左右と親たちの顔を見比べて、合致しているもので見極めます」
「そういうことなのですか」
「それで、私の見立てによると、二番目の夫婦の子であることに、ほぼ間違いないと思います」
「二番目ですか。私は、同じ位置にほくろがあった最初の父親の子かと思ってました」
「善広様、もし、よろしければ、覚えていただくと重宝するかと存じます」
「それでは、さっそく、沙汰を出そう」
「それは、良いのですが、なんで、他の者は、平然と親だと名乗り出たのでしょうか」
「なんでも、産婆があの者たちの赤子を取り違えていたらしいのです」
「でも、ほぼ同時期に生まれたのですか」
「そのようです。それで、三人中二人は、5才ぐらいまでに死んでしまって、残ったのがあの子」
「なるほど、働き手が必要で、取り合いになったわけですか」
「せっかく耕した畑には、跡取りが必要ですから」
「善光殿は、善広様がいて、安堵していらっしゃるのでしょうな」
「いゃー、どうでしょうか。しかし、板倉殿、今後も相談役をよろしく頼みます」

 それから数年、しばらく、景春と善広は、父親と同様に、良好な関係を保ち、長野原城で暮らした。ある日、景春は、本丸に呼び出された。
「善広様、本日のご用の向きは」
「大殿様が肥前名護屋の築城の命を受けたので、私が人足を引き連れてかの地に参るが、板倉殿も参るか」
「肥前名護屋でございますか。しかし、なぜあそこにお城を」
「秀吉様の唐入りじゃ。そのためにまず朝鮮を攻めるにあたり、ご本陣を」
「そういうことでございますか。お供したいのは、やまやまなのですが、久代の具合が良くないもので、治り次第、後から参ります」
「いゃ、無理はせんでも良い、しっかりと治してからで良い」
「ありがとうございます」
景春が妻思いのことを理解している善広であった。その翌々日、善広は、人足を300名ほど率いて肥前名護屋に向かって旅立った。

 肥前名護屋城が完成しても、善広は、すぐに戻って来なかった。真田の大殿たちが、名護屋の真田屋敷に入ったので、そのまま付き従っていた。景春は、久代の具合が良くなったが、来なくても良いと善広から文が届いたので、行くことはなかった。朝鮮の役がひと段落すると、大殿たちや善広も上田にようやく、戻ってきた。
 長野原城に戻った善広の労をねぎらう宴に景春は招かれていた。
「板倉殿、加藤清正公は、朝鮮で虎を退治したとのことですぞ」
「虎、でございますか」
「清正公は、存分のお働きをなさっていなさる。次の朝鮮の戦では、信繁様が、かの地に渡られるようなので、お働きが楽しみでござる」
「いよいよ、ご出陣というわけですか。それでも善広様も行かれるのですか」
「もちろん、そのつもりだが、板倉殿も来るか。今度は奥方のいい訳は、許さんぞ」
善広は、かなり顔色を赤くしていた。
「喜んでお供いたします。明・朝鮮に渡ってかの地の民の顔を調べとうございます」
「また観相術か、父上とよく似ておるな」
善広は、久しぶりに自分の城に帰った来たので、ご満悦であった。

 4年後、そろそろ二回目の朝鮮出兵の命が下るはずなので、取りあえず、善広と50人程の家臣が、名護屋の真田屋敷に詰め、戦に備えることになった。 諸大名に出兵の命が下されたのだが、真田の大殿は、無駄に兵を消
耗させたくないため、朝鮮に渡るそぶりはしているが、行動には移らせていなかった。
 「久代、真田の大殿は、次を見据えておられるようだ」
「また、戦が起きるのですか」
「秀吉様が危ないらしい」
「まさか、大きな声では、言えませんね、でも秀頼様が若くても前田利家様がいるから豊臣家は安泰では」
「年は行っているからな」
「それでも私たちは、ここにいられるのですよね」
「善広様がいる限り、大丈夫だ」
廊下を人が走る音が聞こえて来る。
「父上、一大事にございます」
元服間近の景親が廊下を走って来る。
 景親は、景春たちがいる部屋の前まで来た。
「景親、どうした」
「父上、太閤殿下が身罷られました」
「何っ、殿下が」
「景春殿、ということは、どうなるのですか」
「真田の大殿の読みが正しかったことになる。しかし、すぐに戦にはならないと思う」
「善広様、どうなるのですか」
「すぐにお戻りになるだろう」
景春は、頭に善広の顔を思い浮かべていた。
「あぁ、眉毛に乱れが気もしたが、道中何もなければ」
「景春殿、どうしたのです」
「なんでもない。ただ善広様のことが」

 数日後、景春は、上田の大殿に呼び出された。景春は、何回会っているが、公の用向きでお目通りするのは、初めてであった。
「まぁ、楽にしてくれ。といっても、そういう内容ではないがな」
「大殿、何事があったのでございましょうか」
「大ありだ。湯本善広が、帰途、流行り病にかかってな、亡くなってしまった。あっ気ないものよのぅ」
「あぁ、あの善広様がですか。あぁ、ご忠告していれば」
景春は、頭を抱えてひれ伏した。
「心配していたか。だからと言って板倉殿を追い出すことせんぞ」
「は、はいしかし」
「そちを、一時的だが湯本家の代わりに長野原城の城主にする。だから、しばらく、あそこにいられる」
「ええっ、そんな、城主ですか」
「どこぞで城主をしておったのだろう。問題はあるまい」
「一時的と申しますと」
「戦が起こるまでじゃ。お主は、戦が嫌いなのだろう」
「そこまで、ご存知で」
「あぁ、断るのだったら、即刻出て行ってもらう」
「いえ、承知いたしました」

 景春たちは、長野原城の本丸に移り住むことになった。
「景春殿、再び城主となられて、どうですか」
久代は、嬉しそうに景春を見つめている。
「父上、いよいよ我々も真田家の一員になるわけですか」
「そう喜ぶな。これはほんの一時的なことだからな」
景春は、周りには、次男・景親、白髪多くなった源兵衛、湯本家の家臣と夫婦になった侍女のつるが座っていた。
「大きな戦でも起こるのですか」
景親は、目を輝かせていた。
「景親は、武勲を立てたいのか」
「父上がこうして城主になられたので、これを一時的なものではなくしたいので」
「そうか。でも父は、別にそれを望んではいないのだ。それで景元は…」
「景春殿、そのことは、もう過ぎたことなので」
「兄上のことですか」
「戦は、甘いものじゃないからな。景親は、どういう考えを持っているかしれないが、無駄死にだけはせんでくれ」
「若、父上のおっしゃる通りです。状況をよく見極めなければなりません」
源兵衛がそっと口をはさむ。
「しかし…」
「景親、まだ今年中に戦があるわけではないだろう。真田家の間者の知らせ注視して考えることだ」

 ほぼ一年過ぎた。景春たちは、城を補修したり、細々したことに時を費やしていた。景春は、城の塀を見て回っていた。
「土塀だけでは、守り切れんだろうな。もっと堅固にしないと」
「殿、もし、ここに攻めて来る軍勢があるとすれば、どこになるのですか」
「たぶん、今の状況だと徳川様かな」
景春と源兵衛は並んで塀沿いを歩いていた。
「父上、真田の若殿がお越しです」
景親が、駆け寄ってきた。
「信幸様が、わざわざ来られたのか」
景春は、真剣な顔になった。

 本丸の奥座敷の上座に信幸が座っていた。
「ほう、板倉殿、塀の出来栄えはどうであった」
「南側の塀が弱いので、改修させます。しかし、信幸様が直々にお見えになるとは、一大事にございまするな」
景春は、信幸の真剣な眼差しを受け止めていた。
「近々、石田治部様と徳川様の戦になる。板倉殿は、この城に留まらず、江戸に行かれるが良い」
「治部様と徳川様がですか。それで長野原城はどうなりますか」
「ここは打ち捨てる。立て籠もっても無駄死にだからな。ここの者も上田城に加勢してもらう」
「さすがに知略の真田家でございますな。ところで江戸と言いますと、先頃、徳川様が開いたばかり町ですが」
「江戸は、京、大坂に匹敵する町になるかもしれん。それに真田家の間者の屋敷もある」
「間者の屋敷ですか」
「赤坂と申すところにある。今後、どうなるかはわからんが、上田近辺は、戦場になるであろう。板倉殿の安住の地ではない」
「しかし、何のお役にも立てないで、ご厄介になるわけには」
「江戸で、徳川の動きを見ていてもらえれば、よい」
「本当にかたじけのうございます。深く感謝申し上げます。それでは、大殿様にもご挨拶をいたしまして」
「あぁ、できれば、早い方が良かろう。既に徳川勢は動き始めているらしい」
信之は、路銀をいくばくか、手渡していた。
 その翌日、湯本家の家臣と夫婦になっている侍女のつるを残して、景春、久代、景親、源兵衛は江戸に向かった。

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