新千夜一夜物語 第13話:衆愚政治とインターネット
青年は思い悩んでいた。
ネットが参加意識の高い“4:ブルーカラー”階級に占領されており、政治だけでなく文化までもが影響を受けていることに対してである。
今の青年には魂4に動かされる世の中がどのような方向に向かうのか、見当もつかなかった。
そこで、いつものように、青年は陰陽師の元を訪ねることにした。
『先生、こんばんは。今日も政治について教えてください』
「今日は政治の何について知りたいのかの?」
『まず最初の質問として、万が一魂4が政治を主導した場合、世の中はいったいどうなるのでしょうか?』
「そなたは“衆愚政治”という概念を知っておるかの?」
『はい。細かいことはともかくとして、そのような政治形態が結果的に失敗だったということは知っています。毎度のことながら、詳しくは覚えていませんが・・・』
頭をかきながら青年は言い、陰陽師は微笑みながらうなずく。
「まず衆愚政治の基本的概念について説明しておくと、衆愚政治とは紀元前5世紀末、古代ギリシア時代のアテネにおいて、デマゴゴス(民衆/扇動指導者)が国政の最高決定機関である民会を牛耳った民主政治のことをさしている。ここまではいいかの?」
青年は真剣な表情で首肯する。
「それに少し話を加えると、衆愚政治になる前はペリクレス(頭1、2(3)―3武士)という人物が市民の参政権を拡大し、議員をくじで選ぶようにするなど“民主政”を完成させた。そして、彼が民衆の指導者となったことでアテネは全盛期を迎えたのじゃ」
『ペリクレスは頭が1の、転生回数が230回で“3:ビジネスマン”階級の武士だったのですね。全盛期にするほどの人物なので“1:先導者”階級か武将タイプだと思っていました』
「ペリクレスの場合、様々な改革をしていたわけじゃから、人々の意見を吸い上げるというより、どちらかと言うとワンマンで切り開いていく武士の素質を存分に発揮したのであろうな」
『なるほど。ちなみに、ペリクレスが民主政の土台を作り上げたように思いますが、どうして後の世代で衰退していったのでしょうか?』
「端的に言うと、後任の指導者に問題があった。疫病で彼が命を落とすと、戦争の継続を望む下層民を主体とした主戦派と、富裕市民を中心とした和平派に分かれて対立することになってしまう。結果的に主戦派の扇動政治家が一時的な覇権を握ったものの、失策を重ねた挙句に、戦争に敗北してしまったわけじゃ」
青年は腕を組み、うなりながら口を開く。
『主戦派が魂4で、和平派が魂1〜3という感じですね。それにしても、どうして下層民は戦争をしたがったのでしょうか? 日本では戦さが始まると被害を受けるのは農村なので、下層民は反対しそうなものですが』
「当時のアテネは海軍が主力で、船の漕ぎ手が主に下層民であったことから、アテネが戦争に勝利をした場合、その功績に報じて彼らにも戦利品の分け前があったわけじゃな」
『文字通り、生死をかけた船の漕ぎ手たち、彼らの協力抜きにアテネは勝利できなかったわけですね』
陰陽師は首肯して答える。
「一方、富裕市民が戦争に反対する理由は、戦争の費用は彼らが担っていたことによる」
『つまり、戦争をすれば下層民は富を得られ、反対に、富裕市民たちの財産はなくなっていくと。実にわかりやすい構図ですね』
「その結果どうなったかと言えば、主戦派であったクレオン(頭2、2(7)−4)が中心になって一時は政権を握ったものの、失策を重ね、最終的に戦争で敗北を喫し、その後アテネが衰退していった経緯は歴史書にある通りじゃ」
『輪廻転生の期を問わず70回台は“大山”だったと記憶していますが、よりによってあの時期にクレオンが台頭したのは、アテネにとってタイミングが悪かったとしか・・・』
青年は小さく首を振る。
「まさにそのとおりじゃ。そして、浮動的な民衆には理性的な判断を行うのが難しいという歴史の悪例として、この一件は現代にまで語り継がれてしまうこととなるわけじゃ」
『優れた人物が指導していた民主政は栄えたものの、適任となる指導者がいないと衆愚政治は、結果として、衰退に向かってしまったわけですね・・・』
青年の言葉に、陰陽師は賛同の表情でうなずく。
「衆愚政治は、愚劣で堕落した政治といった表現をされることもあるが、実際、プラトン(頭1、2(7)−3武士)やアリストテレス(頭1、1(3)−1)といった当時の代表的な思想家たちによっても批判の対象となっておったわけじゃしな」
『大昔においても、思想家やエリートである魂1〜3の意見と、衆愚政治の中心となった魂4の意見は相入れなかったのですね』
青年は腕を組み直して言い、陰陽師は首肯する。
『鑑定結果を見る限り、プラトンかアリストテレスのどちらかが政治家になっていれば、事態はもっといい方向に推移したのでしょうね? どちらも頭が1ですし、プラトンは転生回数が大山の70回台ですし、アリストテレスに至っては“1:先導者”階級ではありませんか』
「たしかに、属性からみるとそなたの意見も一理あるとは思うが、そうはいっても各人の人生じゃ、歴史書を紐解く限り、プラトンはプラトンで当時の政治情勢に失望し哲学の道に進んだようであるし、アリストテレスはアリストテレスで政治家よりも教師の方に天命を感じていたらしいからな」
『なるほど、プラトンにしろアリストテレスにしろ、それぞれ政治家以外のところに天命を見出していたのですね。そうして、彼らの意見が大衆に届きにくくなると同時に、魂4の人々の意見が国論の中心になってしまったと・・・』
青年はため息をついて顔を伏せる。陰陽師は少し間を置いてから口を開く。
「衆愚政治とは、極端な言い方をすると、民衆が参政権を獲得したことにそもそもの端を発しているともいえるわけじゃが、実は、現代の社会状況もあの時代に酷似しているという見方もできるんじゃ」
『え、現代が衆愚政治の時代と似ているとおっしゃるのですか?』
「うむ」
『しかし、それはどのような意味なのでしょう?』
「端的に言うと、インターネットの出現がその引き金となったわけじゃな」
『ギリシア時代、初めて民衆が参政権を得た結果、魂4の人々が政治に直接の影響を持つようになったという経緯はよくわかりますが、インターネットが世論や政治に直接的な影響を与えているというお話は、どうもピンと来ないのですが、先生は何を根拠にそのようにおっしゃるのでしょうか?』
「インターネットが民衆に与えたのが“発言権”だった、と言えばわかりやすいかの?」
『発言権ですか』
青年は首を傾げながら唸る。陰陽師は二つの図を描きながら説明を始める。
「インターネットが存在しなかった20世紀終盤まで、情報を発信するのはマスメディアの専売特許じゃった。政治やスポーツや芸能関係の情報を、民衆は一方的に受け取るだけで、逆発信するツールを持っていなかったわけじゃな。もちろん、報道内容に関する電話でのクレームや投書という手段はあったものの、それらが世論に大きな影響を及ぼすことはほとんどなかった」
何度も頷いてみせる青年。陰陽師は青年の聞く姿勢を確認し、先を続ける。
「ところが最近では特にSNSが出現したことにより、ウェブ上とはいえ、魂4の人間たちが自由に様々な意見を発信できるようになった。つまり、今までは相手にされなかった彼らの声が自由に世の中に出回るようになってきたわけじゃな」
『そう言えば、一部の人が政治や芸能人の言動を批判したり、彼ら自身がSNSやTwitterで発言やリツイートをしてみたり、企業にクレームを入れることによって様々な意見が拡散され、結果炎上しているのをよく見かけます』
青年が大きく頷く。
「そればかりではない。最近の野球放映では、リアルタイムで観戦者のコメントが画面上に表示されるのじゃが、野球が魂4の好むスポーツだということを割り引いても、それらのコメントのほぼすべては魂4のものなのじゃ」
『なるほど。そんなところにも魂4の参加意識の強さが如実に表れているのですね』
ふたたび大きく頷く青年の顔を見ながら、陰陽師が言葉を続ける。
「ちなみに、その際の役割分担を説明しておくと、事件や有名人のスキャンダルに直接噛みつくのは基本的に2−4、煽って拡散するのが4−4という基本構造になっておる」
『たしかに理解できない部分で怒りを露わにしているコメントをよく見かけますが、今のお話からすると、それらのコメントは2-4、4-4の別はともかくとして、ほぼ魂4の人々が発信しているわけですね』
青年は深くうなずいて見せ、陰陽師も首肯する。
『以前、魂4の人々は参加意識が強いだけでなく正義感も強いとお聞きしましたから、スキャンダルや諸問題について意見を言うのはもっともだと思います。ですが、正義感が強いのですから、それはそれで悪いことではない気もするのですが』
「基本的にはそなたの言う通りなのじゃ。だが、以前にも話したように、問題は彼らのものの見方が往々にして大局観に欠けていることから、その正義感が偏狭なものとなってしまうという側面がある」
『先日、京都の話題(第12話参照)で魂1〜3と魂4とで味覚や価値観が異なるという話をお聞きしましたが、同じ様に、魂4の人々の正義感や倫理観は、時として、魂1〜3の人々に受け入れられないことがあるわけですね』
「間違いなく、その傾向はあるじゃろうな。それに加え、問題なのは、彼らの参加意識の高さじゃ」
『とおっしゃいますと?』
「たとえば、芸能人の不倫という事件が起こったとする。我々魂1~3の場合、それらの話題を飲み会の席などで酒のつまみとして取り上げることがあったとしても、そもそも客観的な事情もよくわからない他人のプライベートな問題について、ネットで我がことのように評論する可能性は極めて低い」
『おっしゃる通りです。日常で自分と関わることがない人物の話をするくらいなら、仕事のことや、将来に関する話をする方が有意義な時間の使い方だと僕も思います』
陰陽師は首肯して答える。
「しかし、彼らは違う。偏狭な正義感を振りかざし、挙句の果てには、人間じゃない、死んでお詫びをしろ、といった過激なコメントがネット上に溢れることが多々あるのは、そなたが一番よく知っておるであろう」
青年は苦笑しながら言う。
『たしかに、そのあたりはおっしゃる通りかもしれませんね。さすがの僕からみても、どうしてこんなプライベートな問題を、我がことのように、しかも上から目線でコメントできるんだろう、と時々考えさせられることはたしかにありますものね』
「参加意識の差に加え、そもそも6割を占める魂4(日本では例外的に45%)が相手じゃ。何事も多勢に無勢となり、我々魂1〜3の意見が片隅に追いやられてしまう危険性はこれからも大きくなりこそすれ、小さくなることはないじゃろう」
『せっかく魂1〜3の人が大局的なコメントを挙げたとしても、魂4の人々の反対意見に、ともすれば潰されてしまう可能性はたしかに高いと思います・・・』
青年は表情を曇らせて顔を伏せる。陰陽師は紙にペンを走らせながら口を開く。
「ネットの出現以前、発言のツールを一切持たなかった彼らがネットの出現によって発言権を持った結果、最近ではマスコミもテレビ局もネットのコメントに気を遣わざるを得ない現状になりつつあるようじゃ」
『そのあたりを、もう少し詳しく教えてください』
陰陽師は、眉間に微かに皺を寄せながら、先を続ける。
「たとえばNHKならともかく、民放ではニュース番組でも、放映するにしてもスポンサーが必要となることは、わかるな?」
『もちろんです』
「と言うことは、民放側としても、スポンサーの意向には逆らえないという側面がある。一方スポンサー側はスポンサー側で、自社の商品を買ってもらうために、ネット上の意見、同行に極めて神経質にならざるを得なくなるという構図が存在する」
『つまり、ネットの意見に敏感になりつつスポンサーの意向を、民放の報道番組は忖度せざるをえないと』
「まあ、端的に言うとそうなるわけじゃ。そして、この問題は民放の報道番組にとどまらず、たとえば紙媒体の新聞社などにも当てはまることとなる」
『たしかに、ただでさえ発行部数が落ちている新聞社としても、魂4が形成する世論に真っ向から反対しづらいでしょうからね』
「そのとおりじゃな」
陰陽師は、青年の言葉に小さく頷いた後で、言葉を続けた。
「マスコミが今話したような状態に陥ってしまった現在、その余波を受けるように、一般大衆を引っ張るべき政治家までもが魂4の顔色をうかがう、というような嘆かわしい事態も恒常化するようになるわけじゃなる」
『つまり、最近話題になっている“政治家の小型化”などといった問題も、根本はそのあたりにあるわけですね』
「もちろんじゃ」
しばらく思案顔でだまりこんでいた青年が、おもむろに口を開いた。
『たぶん、今の話に関連するのだと思うのですが、最近はテレビ番組がつまらなくなったという声を聞きます。たしかに、刺激的で、過激な内容の番組が影を潜め、代わりにグルメ番組や旅番組といったあたりさわりのない番組が増えてきたような気がします。それと、“番組中に不適切な表現がありました”というコメントをたまに見かけますが、ああいった対応もネットのコメントを気にした結果なのですね。個人的には、あのくらいの内容であの手のコメントを出す必要はまったく感じないのですが』
陰陽師はグラスに注がれた水を一口飲み、答える。
「昨今の政治家は、ネットをベースとした世論の上げ足取りや見当違いな政治批判を気にするあまり、思い切った発言や討論が難しい状態に置かれているわけじゃが、それもこれも魂4の人間たちがネットで多勢となっていることが、そもそもの原因といえるじゃろうな」
『古代ギリシアでいうところの、2−4が4-4を扇動し、それに感化された4−4が暴動を起こすといった構造とまったく同じなのですね』
青年は手を打ち、陰陽師は微笑みながらうなずく。
「今の政治の在り方を短絡的に判断するつもりはないが、歴史が繰り返されていることは間違いない事実なのじゃろうな」
『大昔のギリシアの轍を繰り返さないことを切に願うばかりです。そしてあのような歴史を反面教師として、ふたたび政治が “衆愚政治”の方向性に向かわぬよう、微力ながら僕も様々な行動を起こしていきたいと思います』
姿勢を正し、真剣な表情で言う青年に対し、陰陽師は深く頷いて答える。
「そなたが言うように、現代社会がギリシア時代の過ちを繰り返すとはかならずしも限らんが、魂1〜3の人々が世の中のあらゆる事象に対し、大局的な見地を持って積極的に意見を表明することが切に求められている時期であることは紛れもない事実じゃろう。ネットに大局的見地に基づいた意見を表明するにしろ、清き一票を投じるにしろな」
『わかりました。これからは、ネットの情報をよく吟味して、僕なりの意見をしっかり発信していきたいと思います』
「ああ、その意気じゃ」
大きく頷いたあとで、何か言いたげな青年に陰陽師が訊ねかけた。
「どうした、何か言いたいことがありそうじゃが」
『実は』
「うむ」
『今日先生と話し合った内容を、ネットにアップすることは問題ないでしょうか?』
「もちろんじゃとも」
青年の意図を理解すると、陰陽師は青年の背中を叩いた。
「今回ワシらが話し合った内容をインターネットにアップし、魂1~3の人間たちに考えるきっかけを持ってもらうことは、とても意味のあることだとワシも思う。そなたが早速そのような行動に出てくれることは、ワシとしても望外のよろこびじゃ」
青年は真剣な表情で自らの使命に思いを巡らし始めていた。そんな青年の表情を眺めながら、陰陽師は微笑をたたえて小さくうなずいた。
青年は帰路の途中、電車の中でインターネット上のコメントに新たな気持ちで目を通していた。表面上の言葉に捉われずに様々なコメントを観察するように読んでみると、今まで見逃してきた様々な事象が見えてきたのだった。
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