見出し画像

書くことに疲れ果てたあなたに贈る「好き」のおすそわけ

古賀史健さんが好きだ。古賀さんのようなライターになりたい。その思いで、私はこの2年弱ひたすら書き続けてきた。

古賀さんのどこが好きなのか、古賀さんのようなライターとはどんなライターなのか、このnoteで古賀さんへの「好き」をおすそわけしたいと思う。書くことに疲れ果ている人が、また書きたくなる。そんな一本になればいいなと願いながら、綴ります。

正直なところ、商業ライターとしての一歩を踏み出すまでは、私は古賀さんのことを存じ上げなかった。けれど、この本は家にあった。

言わずと知れた、大ベストセラーだ。『嫌われる勇気』は5月29日現在、ダイヤモンド社の書籍ランキングで1位となっている。2013年に発売されて以来、日本だけでなく世界中で売れ続けている。

幸せになる勇気』と合わせると、累計発行部数600万部だそうだ。すごすぎ。この本が私にどんな影響を与えたか、は古賀さんへの「好き」に関連するので、そこから書いていきたいと思う。

私が『嫌われる勇気』に出会ったのは2015年の冬のこと。夫が「この本読んでみたら?」と勧めてきたのだ。

漫画ラバーな夫は、プライベートではほとんど本を読まない。そんな彼が本を勧めてくるなんて、とんでもなく稀なこと。なぜそんな事態が起きのたかというと、当時私は参りきっていて、彼に対してひたすら「不機嫌」を押しつけながら毎日を過ごしていたからだ。

末っ子が生まれ、夜泣きの激しい彼に、ひたすら続く睡眠不足の日々。眠くて眠くてたまらなくても、2歳になりたての長男がいて好きに眠れないし、二人して泣いたりするし、そんな中、長女の送迎に行かなければならないしで、本当にヘロヘロだった。

どんなにヘロヘロでも、夫は深夜過ぎに帰宅の働き方をしていたため頼れず、彼への不満が募っていた。大好きな本を読める余裕もなく、「こんなにかわいいのに、すごくつらい。どうして私ひとりが……」と思いながら、日々を過ごしていた。

そんな中で彼から勧められた『嫌われる勇気』。すぐ読んだかといえば、読まなかった。

「なに言ってんの? この状況で本が読めると思う? 本一冊読める余裕があるなら、1日でもいいから代わって!」そう思って、「いいね、本読めて……」とだけ返した。

青色の背表紙を目にする度に、どこか胸が痛くなる。そんな1冊として本棚に眠り続けていた。

そこから4年。2019年のある夏の日。当時0歳だった末っ子は4歳に。そして、専業主婦だった私は紆余曲折を経てライターになっていた。

ライターになるにあたって、古賀さんの『20歳の自分に受けさせたい文章講義』に大変お世話になった私は、「そういえば、『嫌われる勇気』も古賀さんが書かれたんだよなぁ。あの時には、開きたくない! とすら思ったあの本だけれど、今あらためて読んでみたい」と思い、手にとった。

「人は怒りを捏造する」
「すべての悩みは『対人関係の悩み』である」
「あなたの不幸は、あなた自身が『選んだ』もの」
「過去など存在しない」
「人生とは連続する刹那」

強烈なメッセージの数々。4年前に、いかにも不幸そうな気配をふりまいていた私に、夫は本を通じてこういったことを伝えたかったのか…。

「たしかに…」と「目からウロコ」が詰まっている(このバランスの重要さは、『20歳の自分に受けさせたい文章講義』に書かれている)この本を、私は夢中になって読み進めた。

今も3人の子ども達がいることは変わりないし、コロナを受けて3人ともフル在宅の3ヶ月間だったし、大変といえば大変だ。いや、正直なところ、「大変といえば」どころではなく、すごく大変だった。

けれど、夜泣きはないし、もう自分達でトイレも行ってくれるし、喋ってものを伝えてくれるし、あの頃よりはだいぶいい。過去を恨んだり、未来を憂うのではなく、なるべく「いま、ここ」を楽しもう。

そんな風に思えるようになったのは、『嫌われる勇気』を読んだからかもしれない。

いつだって「やりたくない……」と感じていた、家事に対する思いも変わった。

「他者がわたしになにをしてくれるかではなく、わたしが他者になにをできるかを考え、実践していく」

言うは易しで、実際に行うのはなかなかハードルが高いことだけれど、この概念を知っているだけでだいぶ違う気がする。

この3ヶ月間、夫はかなりイライラしていた。私はそれに、オロオロしていた。そんな中、「彼はこの本を勧めた人である」という事実は、私にとって希望につながる何かだった。

彼はもうこの本の内容を記憶していないかもしれないけど、過去にはこの本を「いい」と思った彼がいる。私が彼を変えることはできないけれど、私は私の考え方を変えることはできる。「人は変われる」のだから。

当時の彼にしたって、4年後の私にしたって、そんな風に人の心を大きく動かす文章を書ける古賀さんってすごいな。私もいつかそうなりたいな。そういった思いから、古賀さんへの尊敬の念は深まっていった。

***

ライターになって、仕事を受けるようになった私は、「楽しい!」と思う一方で、どこか不安だった。

自分の腕前ってどうなのかよくわからないし、AIだ動画だと言われているご時世に、この先も「書くこと」は求められるのか。どうなんだろう…。と思いながら、書き続けていた。(今これを書きながら、未来を憂いてしまっている……と反省した)

そんなときに、この本に書かれている古賀さんのインタビューを読んだ。

「ライターの仕事は、照明と似てるんです。照明とカメラを動かしながら、一番かっこいいアングルを探すのが、インタビューするときのライターの仕事だと思うんです。

 ライターはありのままの相手を受け入れて、なおかつ相手のベストショットを切り取る仕事だと思います。大切なのは、広い視野と高い視座。真正面から証明写真を撮るような取材をしても、いい原稿にはなりません。

どこにどんな光を当てるかを考えることこそ、ライターの存在価値なんじゃないかな」

また古賀さんに心動かされた。

先日発売されたばかりの、ほぼ日の奥野さんと対話されているこの本にもまた、私の心は揺れ動いた。

奥野:細かいことはICレコーダーが憶えてくれているから、現場ではほんとの「おしゃべり」になることをめざしています。インタビューというより。

古賀:おしゃべりになったら、自然と「その人だけのエピソード」も出てくる。
   
奥野:ええ。やっぱり会話って、関係性のなかで生まれるものですから。

古賀:ああ、まったく同感ですね。ぼく、「相手から話を引き出す」みたいな考え方って、かなり傲慢な発想だと思っているんですよ。

奥野:それはぼくも思います。「引き出す」って言い方には、違和感があります。ぼくはただ「話してもらっている」という意識しかないです。

 〜中略〜

奥野:それを聴いたとき、泣きそうになったんです。人間、「この自分」でしかありえないんだし、自分自身で勝負する、それしかないんだよなって。あの最後のことばは、その後の仕事にも強く影響しています。

古賀:読者より先に、聞き手の人生を変えますよね、インタビューって。

奥野:だから、「インタビュー」ってジャンルにも、もっとなにかできることがあると思うんです。自分がこんなに感動しているんだから。もっとみんな「インタビュー」すればいいのにと思います。ぼくは、それを、つぎつぎ読みたい。

古賀:いや、なんだかうれしいお話でした。どうもありがとうございます。

奥野:あの……これは取材のあと、いつも相手の方から言われる台詞なんですけど……。

古賀:はい? 

 奥野:こんな話で、大丈夫だったでしょうか?

 古賀:ばっちりです(笑)。

私、ライターを続けたい。

誰に言われるでもなく、その思いが溢れてきた。

話してもらって、光を当てるこの仕事は、きっと機械に置き換えられない。ライトの当て方によって、誰かの心を動かすことが出来るなんて、なんて素敵な仕事なんだろう。そんな風に思わせてくれて、ありがとう古賀さん!!

 私の古賀さんへの「好き」(好きというか、感謝なのかもしれない)はますます募っていった。

***

書き仕事に追われて、「楽しい!」よりも「しんどい」が優って、「もう書くのやめようかな……」という思いが少しよぎっていた、とある冬の日に読んだ、古賀さんのこのnoteにもどれだけ救われたことか。

あなたがいま取り組んでいる原稿は、あなたが選ばれた結果、あなたの手元にあるんだよ。

卑屈になりたがるライターは多いけどさ、その「選ばれること」のしあわせをもっと、自覚したほうがいいとぼくは思うんだよ。「ライター冥利」ってことばの、その意味を。

あの冬の日。私はこのnoteを読んで、ボロボロ泣いた。今これを書きながら読み返しても、泣きそうになる。

本当だな。仕事を受け続けられるってことは、選ばれている結果なんだ。そう思うと、しんどさよりも喜びが増してきて、仕事がより好きになった。

私をライターとして見出してくれた人のひとりである佐渡島庸平さんは、「古賀さんの類推力はすごい。『インタビュー時には伝えてなかったけど、たしかに僕はそう感じていた』ということまで書いてきてくれる。完璧な原稿を仕上げてくれる人」と語っていた。

最近、お仕事でご一緒させていただいている田中裕子さん(バトンズで古賀さんと一緒に働かれているライター・編集者さん。丁寧なフィードバックをくださる、温かくて素敵な方)からは、「古賀さんは理解力がズバ抜けています。頭もいいですが、読む資料の量も理解にかける時間もすごい」とお聞きした。

そうか、古賀さんの理解力、類推力は綿密なリサーチに基づいているのか。「あれは才能だ」と言われたら真似できないけど、調べることなら私にもできる。

古賀さんみたいに、平日毎日、日常に起きる「なんてことない」を「なんか素敵に」書くことはまだできないけど、「インタビュー原稿を素敵なものにする努力」はできる。

私は、古賀さんみたく「誰かの心に届くもの」を書きたい。20年前と比較すると6500倍と言われているほどの膨大な情報が行き交う今、「読む」という能動的な行為のハードルは上がっていて、簡単なことではないのは理解している。

でも、私は読んで心動かされた。明日からも頑張ろうって励まされた。これからも書き続けようって思いが溢れてきた。古賀さんの書きものは、人の心を揺さぶる。

***

ライターになってから2年弱。私は、本当に本当にまだまだの腕前だ。まだまだ過ぎて、「とほほ……」となることもいっぱいある。だけれど、途切れずにご依頼を受けられるくらいにはなってきた。

そして先日、古賀さんが書いたことのある媒体の同じコーナー(正確に言うと、古賀さんが書かれた当時とは別の呼び名にはなっているけど)で、インタビュー記事を書くことができた。

純粋に、そのインタビュイーさんにお話しを伺えたこと、書けたことがまずすごく嬉しかったけれど、「私が目指している、あの古賀さんと同じところに書けたじゃん!!!」という喜びがどれほどのものだったか、ここまでお読みいただけた方には伝わるんじゃないかと思う。

古賀さんが書くような、「読んだ人の心に深く届くもの」が書けているかはわからない。けど、目指す姿がある状態はとても幸せだ。

「私、いつの日か、古賀さんみたいになりたいから!」そう思って原稿に向かう日々は、大変であってもハリがある。

書くって楽しい。聞くって面白い。届けられるって嬉しい。

仕事に追われると見失ってしまいがちなこうした感情を、古賀さんは思い出させてくれる。

古賀さんは、書く喜びを再認識させてくれる方であるとともに、ライターであることを誇り高く感じさせてくれる方でもある。納得いかないことがあったら、嘆いていないで、こうして自分で道をつくっていくんだな。

新たな気づきをくれる古賀さんが、ライターであることを誇らしく感じさせてくれる古賀さんが、「書く」という「好き」を「もっと好き」に変えてくれる古賀さんが、私は今までもこれからも大好きだ。

聞いただけだと忘れちゃう。思っているだけでは届かない。でも、書くことによって伝えられることってきっとある。

古賀さんが書かれている『ライターの教科書(仮)』を読める日を、心の底から待ちわびています。

画像1


書けども書けども満足いく文章とは程遠く、凹みそうになりますが、お読みいただけたことが何よりも嬉しいです(;;)