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アウトプットをする意味

佐渡島庸平さんと栃尾江美さんが音声メディアVoicyで話していらっしゃる
「コルクラボの温度」の「ラボの人がnoteをやったほうがいい理由」の回が、コルクラボの方達にだけではなく、アウトプットをためらう全ての人に知って欲しい内容だ!!と思ったので、そのまとめ(ほぼ書き起こしだけど。。。)を書いてみたいと思います。

・アウトプットをすると自分の中で一回気づきがある

・自分がすごくいいなと思ったことでも、文章にしてみると3行くらいになったりする。
(これはまさに私が日々痛感していることで、「すごい!!」「感動したなぁ」「めっちゃいい!!!」の3ワードでしか瞬間の感動を表せない自分に日々もどかしさを感じています。。。)

・実際にアウトプットをしてみると、論がとんでいることに気づいたりして、ここを埋めたいと思うようになる。

いいインプットの定義とは状態によって違う
(いい食べ物というものはその人がやせているのか太っているのかで違うから存在しないように。)

・いいインプットとは自分から取りにいって知りたいと思っているもの。(お腹がすいていると何を食べてもおいしいように。)

・お腹が空いていると食べたものがおいしい!!という状態を知的欲求に対して起こすためにアウトプットは非常に重要

・アウトプットによって自分の状態もわかる。

アウトプットした後のインプットは身になる

インプットがどんどんいいアウトプットに繋がり好転する。

・自分のアウトプットを見てくれる人がいるということ。それはすごい力になる。それが相互に起き合うと自信が持てるようになる

・お互いのアウトプットを見合うことがお金に繋がることは大人になるとあまりない。一人の時間のアウトプットを見てくれるということは貴重なこと。

・おしゃべりは一緒に時間を過ごすこと。アウトプットを見てくれていることではない。

・自分が相手をよく知らないけれど相手は自分のことを知ってくれている状態は居心地がいい。それを繰り返していくと世の中の安全と安心につながる。

・100人でも200人でも自分がよく知らないけれど自分のことを知っている人がいると人は色んなことに挑戦しやすくなる

・自分の声が遠くまで届くようになる。

・会ったことがないけれど、その人のアウトプットを見ていると、その人の内面を知れてお互いが惹かれ合う状態に。それを通じてみんなの人生が変わっていって、アウトプットで自分の強みを活かせる

・外に出すのが不安な人はまずは掲示板に。それを繰り返していくと、外に出してみても意外と平気かもと思えるようになる。

・日々のアウトプットにより、ディープな話も外に出しても平気と思えるようになるかもしれない。

・殆どの人がディープでこれは外には出せない…と思っている話は、自分が話しづらいだけであって、聞き辛いことではない

・文字がいいか写真がいいかは、人によって違う。文字で記憶する人もいれば画像で記憶する人もいるから。


 私自身が昔から好きで今も変わらず好きなことの圧倒的第一位は、「読書」と「子供」です。
(長くなり過ぎちゃうから「子供」編はまた今度書いてみよう!)本当は紙の本が一番好きだけれど(だからこそ「おわりに」に「僕は本が好きだ。紙の本が大好きだ。」とある佐渡島さんのご著書「We are lonely, but not alone」にはグッときた。)本は文庫じゃないと重かったりするから、いつでも持ち運べる訳ではないので(3人の子供達の荷物だけで大量で重く、(子供達の水筒だけでも合わせると1キロくらいあるだろう。。。トホホ(;;))自身の本を持ち運べる余裕が無かったりします)そんな時には隙間時間にスマホで活字を追っています。

 Voicyを聞けない状態の時でも、これを読み返して自身のアウトプットへの活力にしようと思ったのでnoteに書き起こさせて頂きました。

 アウトプットは見ているだけとは違い、実際にやってみるとものすごく大変です。それは自身がnoteやTwitterをやってみてと痛感しています。Voicyのような音声メディアでも、聞いていることとは違って、「話すこと」はとてつもなく難しいだろうとしみじみ思います。

 私が未熟な力過ぎるけれど、アウトプットをしだしてみてよかったなと思うことは(メインはTwitterやコミュニティ内でのコメントやリアクションボタンですが)、「畳み人サロン」「コルクラボ」「Voicyファンラボ」「MIラボ」を筆頭にいくつか入らせて頂いているオンラインサロンで、初めてお会いする方々からも「だいまりさん!」とお声をかけて頂けたりして、「こんな無名でこれといったスキルが無い私でも、こんなことってあるんだ。。。」と日々驚きですし、それはやっぱり嬉しいことだったりもするのです。
 日々子供達から存在を求められることによって、今では低すぎた自己肯定力も昔よりはだいぶましになりました。けれど、大人から、しかも自身が日々触れ合えない方々から、存在を認識してもらえて、声をかけて頂けたり、「いいね」と思って貰えることは、子供達から「ママ」と日々求めて貰えることとはまた違った喜びがあるのです。(これが社会的承認欲求というやつだろうか。)
 内省することは昔からの得意技なのですがw、アウトプットをすることは、時には大変でそんな力が残っていない日もあるけれど、そんな日はこれを読み返して、なんとか力を振り絞ってし続けてみよう!と、思う力をくれた佐渡島庸平さんと栃尾江美さんのVoicyコルクラボの温度に心から感謝です(^^)

Twitterはこちらでやっています→https://twitter.com/daimarikooo
(私のつたない日々のアウトプットが社会や仕事とどう繋がっていくのかの成長記録でもあったりします!フォロー頂けたらとっても嬉しいです。)

お読み頂き、ありがとうございました(^^)

書けども書けども満足いく文章とは程遠く、凹みそうになりますが、お読みいただけたことが何よりも嬉しいです(;;)