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佐渡島庸平さん「自分の成長をどのように捉えてここまできたか」講演〜前編〜

「自分の成長をどのように捉えてここまできたか」というテーマで登壇された佐渡島庸平さんの講演を聞く機会があったので、講演レポートです。
以下、佐渡島さんが仰っていたことです。

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元々は講談社でモーニング編集部で10年間働いていました。
僕は自分自身が「起業したい、世の中を変えたい」とは一切思わない人間でした。
以前は世の中全体に対してはあまり興味が湧かなかったし、幼少期からずっと本を読んでいたため、本に関わる仕事しかしたくないと思っていたからです。

中学校の時に南アフリカ共和国で2年半過ごしました。中学生の僕はずっと日本に居たかったと思っていて、その場に居たくなかった。当時の南アフリカ共和国は治安が悪く、家には有刺鉄線が貼られ、家の中も赤外線が貼られ、夜はトイレ以外いけないという環境でした。
南アフリカにいる間は歩いて外に出たことがなかったほどです。
日本人とは誰とも交流できずに、「ここじゃないところにいたい」とずっと思っていました。
それが、帰国後にたくさんの人から南アフリカの経験を聞かれたことで、「自分が嫌だと思う環境が自分を成長させてくれる」、「嫌だと思う環境の方に『いいな』と思っていこう」と思いだしました。

ずっと本を読んでいたかったため、エスカレーター式の高校に行きたかったのですが、早慶と灘、どっちが嫌かと考えて灘を選びました。笑
その後、大学へ進学。就職などしたくなくて、大学院に行こうと考えていたのですが、大学院の学費を出してもらうための親からの条件が「就活をすること」でした。形だけでもどこか受けることが条件だったため、もしも就職活動がうまくいっても大学院に行こうと当初は思っていたのですが、出版社を受けていたら、周りの友達はバタバタと落ちていた。そんな中、自分は選考に残り、辞退しますとは言えない雰囲気になり、大学院ではなく出版社に入る流れになりました。笑 講談社に入るか文藝春秋に入るか迷いました。

当時ついていた大学の教授から「フライデーはほとんどの記事が下品だが、写真一枚により世の中にインパクトを与えている。その一枚を世に出すために下衆なことも書き、お金を回している。それを見に行ったらいいじゃないか」と言われ、講談社に入社を決めました。

自分を成長させることで意識しているのが、「常に大変そうな方、面倒臭そうな方を選ぶ」ことです。スマートなアイディアと面倒臭いアイデアがあったら、必ず面倒臭い方を選ぶようにしています。スマートな方は、スマートに結果を出そうとしていることにより、結果が伴わないことが多いからです。

講談社という会社では、新入社員であってもいきなり超一流と接することが出来ました。それは、僕が優秀と見込まれていたとかそういうことではなく、出版社という会社の形態は非常に良く出来ていて、新人が必ず超一流の担当につけるように仕組み化されていたのです。

入社後すぐから、井上雄彦さんや安野モヨ子さんの担当が出来たことで、超一流がどれだけ努力するのかを間近で見ることが出来ました。
実際に作家の人と会ってみると、彼らは決してサクッと書いている訳ではありませんでした。一番最初に思いつくアイデアは、超一流の漫画家でも簡単に思い付いている訳では無いのです。

だた、超一流の方達は、一つ形が出来ると、そこからすごく直しこむ。インターネットのサービスのリリースと同じです。こんな感じかなと書いたものを直して直して直して直す。その姿勢を間近に見られたことは得難い経験となりました。

編集者の仕事の一つに、「いるだけというプレッシャーをかけにいく」ということがあります。笑
横に30時間、いるだけでいても、最後の最後までまだ直せる、もっと面白くできる、ということを出来るのが超一流の仕事でした。

どれだけ努力をできるのか」を超一流漫画家と接している中で感じました。
才能があっても1作作ったら「自分には才能がありませんでした」といい、田舎に帰ってしまった漫画家の方もいた中で、超一流と言われる方々は最後まで直しきる。「もっと面白く描ける」という思いを捨てないんですね。

「モーニング」の編集担当をしてた中で、小山宙哉さんとツジトモさんという漫画家に出会いました。それぞれの性格が、小山さんは井上雄彦さんに似ていて、ツジトモさんは安野モヨコさんに似ていて、この二人ならいけるんじゃないかと思い、5年かけて育てました。

二人は連載をやりながら、どんどん漫画が上手くなっていきました。その途中には思い通りに行かずにスランプに陥ることも当然ありました。
けれど、小山さんは『宇宙兄弟』を創り出していく中で、作中のムッタの成長を考えることとともに、小山さんの日常生活の思考法もどんどん良くなり、人間的にどんどん素晴らしい人になっていきました。
小山さんは「相手を思う心」、「誠実さ」が素晴らしく、小山さんに比べて自分は人間的に負けているなと思い、自身が成長するためには環境を変えるしかないと感じました。
これ以上ヒット作を作っても、人間的に成長出来る気がしなくなったんですね。

僕が南アフリカにいた頃は、政治が不安定だった頃で、マンデラが大統領になった瞬間にあの国にいました。歴史的に超重要な出来事だったのですが、僕ら家族は外から来ていた人間だったので、選挙権が無かったこともあり、あの出来事があった時もすごく淡々としていました。友人宅でBBQをしていたんですが、もしもその日TVをつけていなかったら、その日はただの休日だったと感じてしまうほどにです。

その経験を経て、「世の中が変わるときに、こんなに音がしないものなんだな」ということをすごく感じました。それが南アフリカで得た一番大きな収穫です。
江戸城の無血開城にしたってiPhoneの発売にしたって、当時それに気づいていた人はほんの10人くらいだったかもしれない。
時代が変わる時には音がしない」それを身を持って感じたことにより、
10年後、20年後に、「あの瞬間に時代が変わった」と言える瞬間に立ち会える人になりたいと思いました。そのためには旗本でいたら絶対にそこに立ち会えないと感じたんですね。講談社に入った時は一つもストーリーの作り方を知らなかったのですが、10年経ったら自分なりに語れるようになりました。それと同じことをビジネスモデルで繰り返せばいいと考え、講談社を退社し、コルクを創業しました。

なんだの法則」というものがあります。有名進学校で有名大学合格者が多かったりするのには理由があり、身の周りにいた特にすごいと感じていなかった先輩や友人が、有名大学に進学したりする。その姿を見ると、「なんだあの人でもいけるんだ」と感じ、自身にも出来ると思うようになる、という法則です。そう思うか否かで結果が全然違ったものになるそうです。

コルクを作る前に三田紀房先生の漫画、「ドラゴン桜」の続編である「エンゼルバンク」を編集していたのですが、「エンゼルバンク」をやっていた中で、いまは大物になっているベンチャー社長に沢山インタビューをしました。様々な社長に会う中で、当時すごいなと感じた方々の会社は今大きくなっています。けれど中には「そうでもないなぁ」と思うような方々もいて笑、「社長という人たちもこれくらいの人たちなんだ」と思えたのも、思いきって外に出ることが出来たきっかけの一つです。

自分の成長を考える際に、大切としていることの2つ目は、「朱に交われば赤くなる」ということです。自分の身の回りで接する10人を自分で設計していくことにより、変わるだろうと思うんですね。誰とどういう風に接してなんの話を聞くのか、というところから自分の成長を設計するように心がけています。

最近刺激をもらっているのは幻冬舎の箕輪さんです。4年前には仕事で会っても名前すら覚えていなかったのですが、彼はどんどん人から聞いたことを素直に実行する。さらに、自分が質問に思ったことはなんでも聞き、試してみています。それにより、箕輪さんは驚くスピードで成長しています。そんな彼の姿から、僕自身も学ぶことが多いです。

自分が思いついたベストなアイディアをどんどん他人に渡す」ということも意識しています。それにより、自分の行動力の遅さを意識出来ます。そうすることで悔しさが芽生えたりして、成長に繋がると考えています。

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今まで何度か佐渡島さんの登壇を聞いているのですが、今回も新たに初めて知れたことが数多くあり、とても楽しかったです!
「自分が嫌だと思うほうを選ぶことで成長する」
「自分の身の回りで接する人を自身で設計する」
なるほどなぁ、と思いつつ、やっぱりそのストイックさハンパない。。。
次回後編では「自己の成長を促すために」佐渡島さんが意識している3つ目のポイント、質疑応答についてなどをお届け予定です!次回も、類稀なる佐渡島さんのストイックさを感じるエピソードが!!

長文お読み頂きありがとうございました(^^)
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書けども書けども満足いく文章とは程遠く、凹みそうになりますが、お読みいただけたことが何よりも嬉しいです(;;)