人は思っているよりずっと優しい


先日、長男幼稚園での参観行事があった。

数週間前に行われた運動会の演目を再度披露するという参観内容。

毎年行われるこの参観を前に、人に注目されて何かをするのが苦手な長男は、1週間以上前から想像しては涙してた。

いざ当日。長女の小学校発表会と被っていたこともあり、私と旦那は遅れて到着。

私の姿を目にするまでは、ブルーながらもなんとかやっていたのが、私の姿に気づいた瞬間からボロボロ泣きだした。

彼の順番が近づくにつれ、「ママぁ…」と少し離れたところにいた私を見ながら手を伸ばしてボロボロ泣いていて、「私がこの先もずっとこの子の隣で並走してあげられたらどんなにいいことか…」と胸が苦しくなった。

でもそれはできない。

彼が「いってきまーす」と家を出て、「ただいまぁ」と帰ってくるまでの間、「大丈夫かなぁ?」とは思いながらも、それぞれの時を過ごさなければならない。

この先は、そんな時間が今よりももっと増えていく。

大好きで、いつまでも抱きしめて、ほっぺをすりすりしていたい子供達は、私との人生ではなく、彼ら自身の人生を歩み始めている。

リレーでの自分の出番を前に、泣きじゃくる長男に、駆け寄って手を繋ぎたい思いを必死にこらえて、少し離れたところで見守った。

本番では走った彼は、今回は走れなかった。しゃくり泣きながら歩いて、どうにかバトンを渡し、終わった後も大泣きしてた。

彼の順番のところで、それまで隣のクラスとほぼ僅差だったクラスリレーは大幅に遅れてしまい、息子のクラスが負けてしまった。

でも、走れずに、泣きながら歩いて戻ってきた長男を、クラスメイトは誰一人怒ったり責めたりすることなく、抱きしめて、よしよししていた。

6歳児の愛の深さに、私は胸がいっぱいになった。

彼が私から離れて、自身の足で過ごしてきた3年間は、こんなにも愛に溢れていたんだな。3歳からの3年間で築かれた絆って、私が思っている以上に強いんだな。

彼の不得意なことをクラスメイトは受け止めてくれていて、それでもいいよと思ってくれている。

「人は思っているよりずっと優しい」

怒られせちゃうんじゃないか、不快にさせてしまわないか、それなら自分が我慢した方がいいのかな…どうしよう……そんなことばかりすぐ気になってしまうけれど、実際には人は優しくて、助けてくれ、支えてくれる存在なのだ。

私自身も、ここ最近同じような思いを痛感したことがあったためにより一層、本能的にそれを体現している子供達の姿にハッとさせられた。

人生において、出会える人、見られるシーン、得られる経験は残酷なほどに有限。だからこそ、今自分が目にする日々を、大切に大切に噛み締めたい。

書けども書けども満足いく文章とは程遠く、凹みそうになりますが、お読みいただけたことが何よりも嬉しいです(;;)