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内部からくさる桃 〜 自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ (茨木のり子、その1)

「その1」ってのは、たぶんそのうちまた続編「の・ようなもの」を投稿するだろうから。因みに投稿タイトルの上は、茨木のり子の詩「汲む ―Y・Yに―」の一節(初々しさが大切なの / 人に対しても世の中に対しても / 人を人とも思わなくなったとき / 堕落が始るのね 堕ちてゆくのを / 隠そうとしても 隠せなくなった人を何人も見ました)。右に写っている女性は、筆者の妻。

いや、筆者の妻はこのフィドルを弾いてる女性、いや、フィドルはダブル・ミーニング、いや、そうじゃなくて、前の段落の最後の行はこの歌のタイトル通りで、あ、そうだ、この一文の冒頭もこの歌のタイトル通り、当たり前田のクラッカー。

以上、本投稿のオープニング・アクトでした。

さて、今日午前、数日前から続けてる連続投稿「の・ようなもの」4本のうち3本(最初の切っ掛け投稿から数えると 5本のうち4本) を終えたので、とりあえずその締め括り投稿をするのが順序なのだが、今日投稿した3本目ってか4本目、「季刊『前夜』創刊号の頃 〜 ノーマ・フィールド、ガッサーン・カナファーニー、レイチェル・コリー」と題する投稿の中で予告した通り(と言ってもとりあえず現時点「スキ」という名の「いいね」1件だけの投稿に過ぎないけれど)、その季刊「前夜」創刊号 24-25頁に本人の詩が掲載されていた、詩人・茨木のり子(1926年6月12日生まれ - 2006年2月17日死去)について、ここでさらっと投稿しようと思う。

内部からくさる桃

果物という果物、自分は殆ど好きな方だと思うが、桃はかなり好きな果物の部類に入る。どう食べても美味いが、切らないで、丸ごと食べるのが一番美味いかもしれない。

...... (全部コピペするのもインドのパンなので、あ、ナンなので、前略)

ひとびとは盗まなければならない
恒星と恒星の間に光る友情の秘伝を

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ひとびとは探索しなければならない
山師のように 執拗に
<埋没されてあるもの> を
ひとりにだけふさわしく用意された
<生の意味> を

...... (全部コピペするのもインドのパンなので、あ、ナンなので、後略)

以下のリンクは、今たまたま見つけた、この詩の全文を載せているブログ記事。ざくっと、というか、さらさらッとクリックしたところ、わりと意見なり考え方なりが筆者と合いそうな人のブログのようだが、カップヌードル時間より短い時間ざくっとちら見しただけなので、詳しくは分からない。全ての事象について意見が一致するだなんてことは絶対あり得ない。まぁそれは勿論、誰とでもだけれど。

茨木のり子 .. あれ?.. ジミヘンになっちまった

筆者は「詩が好きですか」ともしも尋ねられれば、「好きですよ」と答える。しかし、世の中に数多いる、そして数多く存在してきた所謂「詩人」の、その多くの詩作を読んできたとはとても言えないし、詩の世界、みたいなものに通じている人間だとも、とても言えない。昔々に遡れば、中1か中2の頃にゲーテの詩集を持っていて、彼の小説「若きウェルテルの悩み」も読んだけれど、あれは思うに、ませたガキが単にカッコつけてただけのことかもしれない(同じ頃アンドレ・ジッドの「狭き門」だって読んだし、それで感想文乳腺、じゃなかった入選したし、エヘン、え変? ジッドは少なくともあの頃の日本では「ジイド」と呼ばれていたから、筆者には今でも爺度、あ、ジイド、という感じだけれど)。まぁそれが、つまり「カッコつけてた」だけが全てとは言わないけれど、自分でも、流石に。

因みに筆者は流石でなくて、転石。転石と言えば Rolling Stone, でもって、Rolling Stone と言えば、"Like a Rolling Stone" という歌は好きだね、歌って弾くは勿論、アホのボブ・ディランなんか(なんかだよ *1)じゃなくて、地味変、ジミヘン、Jimi Hendrix ♫

Like a Rolling Stone ー Jimi Hendrix (November 27, 1942 ~ September 18, 1970) LIVE at Monterey Pop Festival, June 18, 1967

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。歌詞に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.2 加筆/削除/編集)。

話を戻して、茨木のり子

あ、そう言えば、子どもの頃、小学生の時だったと思うが、教科書に載っていたその人の詩を読んで、石垣りんって人の詩っていいなと思った、そんな思い出はある。

今、特に好きな詩人は、と訊かれるようなことがあれば、その答えは、宮沢賢治と谷川俊太郎、そして茨木のり子。歌の歌詞を含めれば、断然、ポール・サイモン(Paul Simon)。

茨木のり子については、いつ知ったのか、もう記憶がない。にもかかわらず、それほど昔ではないと思う。筆者は若い頃から韓国に関心を持っていて、韓国語を勉強したこともあるのだが(だからハングルは今でも読めるが、かなりの基礎レベルのところで、かなり若い頃だけれど当時体調を崩した時期に当たり頓挫してしまった、残念、代わりにということでは全くないが、音楽好きの影響はあってもその件での親からの影響はほぼ無いはずの息子が数年前から韓国に関心を持ち始め、昨年末から韓国に語学留学、今も首都ソウルに住んでる、音楽ライターしながら、아이고, アイゴー、長い括弧だ)、茨木のり子は、50歳ぐらいになってから韓国語を勉強して習得した人で、韓国の現代詩の翻訳などもしているから、そういう面も、筆者が茨木のり子を知った背景の(少なくとも)一つであったような気がする。

茨木のり子は好きな詩人のひとり、とさっきから書いているが、そんなに沢山の彼女の詩を読んだわけではない、と思う。

有名な「わたしが一番きれいだったとき」は勿論いいが、一番好きな、茨木のり子の詩を選べ、と言われれば、「自分の感受性くらい」。この二つの他に、今さっともう一つ挙げるならば、「倚りかからず」(よりかからず)。

「倚りかからず」を、亡くなる7年ほど前、1999年、73歳の時に発表している(厳密に言うと彼女は2006年2月17日、79歳で亡くなった)、その文字通りの「感性」、「感受性」は、実に素晴らしいと思う。

茨木のり子、「自分の感受性くらい」 ー 英訳

茨木のり子は、日本の「年号」なるもので言えば、大正15年生まれ。「表現行為」そのものが戦後の日本より、そしてこの2020年の今より、ずっと残忍な方法で弾圧されていた戦前の時代の自身を振り返りつつ、1977年、当時50歳か51歳だった頃の茨木のり子が書いた、それでも 「自分の感受性くらい自分で守れ、ばかものよ」。

この英訳は、だいぶ以前、ネットを漁ってた時に見つけた。

茨木1

上の英訳以外に、こういうのもある。

Don’t blame others for
Your heart drying and cracking
You are the one who didn't water

Don’t blame your friends for
Your mind stiffening and stifling
Aren’t you the one who lost flexibility?

Don’t blame your family for
You being irritated
I am the one who could not handle much of anything

Don’t blame Life for
You losing your young enthusiasm
It was weak will to begin with

Don’t blame Time for
All your disappointments
Don’t lose the last ounce of your disappearing integrity

You are the only one
Who can protect your sensitivity
So wake up, You Fool

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"Your Sensitivity" (1977) ー Noriko IBARAGI 茨木のり子 (1926 - 2006)

* translation from http://curiousmindsayshum.blogspot.jp/2012/10/your-sensitivity.html

................................................

自分の感受性くらい ー 茨木のり子 (1977年) 

ぱさぱさに乾いてゆく心を ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを 友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを 近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを 暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志しにすぎなかった

駄目なことの一切を 時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい 自分で守れ
ばかものよ

........................................

おまけ (bonus track): 宙ぶらりんの会話 ー 宮沢賢治、谷川俊太郎、中原中也 ー "The Dangling Conversation" from Simon & Garfunkel 1966 album "Parsley, Sage, Rosemary and Thyme"

宮沢谷川坂口ナターシャ

あ、まちがえた、4冊中2冊は詩集じゃないね、これじゃなかったよ、わざとらしいな(笑)

詩人

中原中也の詩も好きだが、宮沢賢治や谷川俊太郎の詩ほど沢山は読んでない。その結果という面もあるかもしれないが、好きな、という意味でも、その二人ほどではない、筆者の場合。それはともかく、これって字余りだね(笑)。

"And you read your Chuya NAKAHARA, And I my Kenji MIYAZAWA & Shuntaro TANIKAWA" ♫ 

The Dangling Conversation ー From Simon & Garfunkel 1966 album "Parsley, Sage, Rosemary and Thyme"

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。歌詞に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.2 加筆/削除/編集)。

注釈: 本投稿のテキスト途中で 「ボブ・ディランなんか(なんかだよ *1)」 と書いた件

付録: この投稿の切っ掛け投稿 = 季刊「前夜」創刊号の頃 〜 ノーマ・フィールド、ガッサーン・カナファーニー、レイチェル・コリー


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