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「ブレードランナー」から「2001年宇宙の旅」/ "Echoes" へと巡る旅 〜 〜 経由地は「いまを生きる」「6才のボクが、大人になるまで。」「生きる」「ゴンドラの唄」, "To the Virgins, to Make Much of Time", 途中下車して「ウィンザーの陽気な女房たち」, "Welcome to the Pleasuredome" "Relax", 「アポロの歌」, "If" & "If", 「ツァラトゥストラはこう語った」

左は「ブレードランナー」の "敵役", 反逆レプリカントのリーダー、ロイ・バッティ。右は「2001年宇宙の旅」、人工知能 HAL9000型コンピュータの反逆に遭う宇宙船ディスカバリー号の船長、デヴィッド・ボーマン。

前説 "Tears in Heaven"

今日の投稿テキストにおいてはあくまで「前説」。というか「前振り」。今日の投稿の前にこれを読まなくてもぜんぜん大丈夫だけれど(笑)、とりあえず今日の投稿内容と一部重なり、一部重ならず、でも重ならない中に内容的には「重なる」ものもある。昨日のもカオス、今日もカオス。いや、でも実はそれほどカオスでもないか(笑)。

カオス(英語 chaos の発音だとケイオスもしくはケイアス)とは「混沌」「無秩序」、その反対はコスモス(cosmos, 「宇宙」「秩序」「調和」)。

カオス(古希: Χάος .. 古代ギリシア語の発音が全く分からん!)とは、ギリシア神話における原初の神(主神ゼウスをはじめとするギリシア神話体系における原初の神)であり、全ての神々や英雄たちの祖にあたる。 オルフェウスによれば、このカオスは有限なる存在全てを超越する 無限 を象徴しているという(となるとカオスというのはまるで「宇宙開始時の爆発的膨張」つまり「ビッグバン」みたいな存在だな)。カオスの名は「大口を開けた」「空(から)の空間」の意味を持つ。配偶神はおらず、奈落のタルタロス、大地のガイア、愛と欲望のエロース、暗黒のエレボス、夜のニュクスを生み出したのが、カオス

ギリシャは若い頃のバックパッカー期(*2)に寄って 1ヶ月ほど滞在したけど、ギリシャは「ギリシャ」、古代ギリシア語とかギリシア神話とかに言及する時は「ギリシア」と表記することが多い、その事情は何だっけ?

 ってなことはさて措き、上の上の段落はウィキペディアからほぼ「いただき」した上で筆者が改竄、いや違う、俺は日本の財務省とちゃうで、ウィキの記述を筆者が編集。

*1

*2

*3 おまけ。グリコのおまけ、「の・ようなもの」(は邦画のタイトル)。

Tears in Rain 〜 「ブレードランナー」より

All those moments will be lost in time, like tears in rain .. これは 1982年公開のリドリー・スコット監督作品、1968年公開の "2001: A Space Odyssey" (邦題「2001年宇宙の旅」, スタンリー・キューブリック監督)と並ぶ SF映画の 2大金字塔の一つ、 "Blade Runner", 邦題「ブレードランナー」終盤の名シーンにおける、ブレード・ランナーの敵役となる反逆レプリカントのリーダー、ロイ・バッティがその死の直前にブレード・ランナーに語った言葉。

"I've seen things you people wouldn't believe. Attack ships on fire off the shoulder of Orion. I watched c-beams glitter in the dark near the Tannhäuser Gate. All those moments will be lost in time, like tears in rain. .. Time to die."

「いまを生きる」 「6才のボクが、大人になるまで。」 〜 「生きる」「ゴンドラの唄」, "To the Virgins, to Make Much of Time"

前章で取り上げた「ブレードランナー」終盤のシーンにおけるレプリカント、ロイ・バッティが語る ".. All those moments will be lost in time, like tears in rain. .. Time to die", これはやっぱり、(だから)「いまを生きよ」ってことだよね。

「死を想え」, Memento Mori のメッセージであるとともに、「いまを生きよ」, Carpe Diem のメッセージ。

映画 "Dead Poet Sociery" の邦題は「いまを生きる」だったけれど、Carpe Diem はラテン語の命令形で、「その日を掴め」「その日の花を摘め」「いまを生きよ」。

Carpe Diem は英語にすると Seize the Day (直訳するなら「その日を掴め」), それがテーマとなったと言える上掲の 1989年の映画で生徒の一人として重要な役回りを演じたイーサン・ホーク (Ethan Hawke, 演じた当時は17-8歳ぐらい) が、2014年に公開された映画 "Boyhood" (邦題「6才のボクが、大人になるまで。」) では、主人公の父親役というやはり重要な役を演じていて(映画は2002年から2013年まで12年間かけて撮影されていて、1970年生まれのイーサン・ホークの年齢は30代から40代の時期)、興味深いことに、その映画では、"Seize the Day" に似た "Sieze the Moment", そして "The moment seizes us" という言葉が、重要なキーワード、物語の鍵になるフレーズとして登場している。

"You know how everyone's always saying seize the moment? .. I don't know, I'm kinda thinking it's the other way around. You know, like the moment seizes us."

さて、本章冒頭でアメリカ映画・邦題「いまを生きる」から "Carpe Diem" シーン、言わば「いまを生きよ」シーンを取り上げたけれど、次は日本映画、1952年公開の黒澤明監督作品「生きる」から 1915年の日本の流行歌「ゴンドラの唄」が使われたシーン、そしてその歌、そしてその歌の歌詞の元となった 17世紀イギリスの詩人ロバート・ヘリックの詩 "To the Virgins, to Make Much of Time" (1648年) を。この "To the Virgins, to Make Much of Time" は、映画 "Dead Poets Society", つまり映画「いまを生きる」の中の本章上掲のシーンでも言及されている詩。

1952年 黒澤映画「生きる」より。

以下のヴィデオの冒頭、超レア音源と思われる。大正4年(1915年)録音のようだが、冒頭 1:15 ぐらいまでは芝居の台詞で、その後に歌(唄)が始まる。当時この歌をヒットさせた松井須磨子のヴァージョンが終わると、その後で聞こえてくるのは大正4年録音ではなく、上掲 1952年の黒澤映画「生きる」で主人公を演じた志村喬が歌っているもの。

「ゴンドラの唄」(1915年, 吉井勇/中山晋平)

いのち短し 恋せよ乙女
あかき唇 褪(あ)せぬ間に
熱き血潮の 冷えぬ間に
明日(あす)の月日は ないものを

いのち短し 恋せよ乙女
いざ手をとりて かの舟に
いざ燃ゆる頬(ほ)を 君が頬(ほ)に
ここには誰れも 来ぬものを

いのち短し 恋せよ乙女
波にただよい 波のよに
君が柔わ手を 我が肩に
ここには人目も 無いものを

いのち短し 恋せよ乙女
黒髪の色 褪(あ)せぬ間に
心のほのお 消えぬ間に
今日はふたたび 来ぬものを

("Gather Ye Rosebuds While Ye May" by John William Waterhouse)

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"To the Virgins, to Make Much of Time" by Robert Herrick

Gather ye rosebuds while ye may,
Old Time is still a-flying;
And this same flower that smiles today
To-morrow will be dying.

The glorious lamp of heaven, the sun,
The higher he's a-getting,
The sooner will his race be run,
And nearer he's to setting.

That age is best which is the first,
When youth and blood are warmer;
But being spent, the worse, and worst
Times still succeed the former.

Then be not coy, but use your time,
And, while ye may, go marry:
For having lost but once your prime,
You may forever tarry.

.......................................

以下の note 投稿で若干の解説。

途中下車して 〜 「ウィンザーの陽気な女房たち」

前章の冒頭で取り上げた映画 "Dead Poets Society", 「いまを生きる」の "Carpe Diem", 「いまを生きよ」シーン、"To the Virgins, to Make Much of Time", "Carpe Diem" も出てくるが、あの中でロビン・ウィリアムズ演じるキーティング先生が語る言葉の中に、"The world is their oyster" がある。

あの言葉の意味は、「世界は彼らの牡蠣」じゃなくて、「世界は彼らのものだ」「世の中は彼らの思いのままだ」といった意味合い。

これは元々、ウィリアム・シェイクスピア (William Shakespeare, 1564 – 1616) 作の喜劇「ウィンザーの陽気な女房たち」 (The Merry Wives of Windsor) の中に出てくる台詞に由来する言葉で、それは、

"Why, then the world's mine oyster. Which I with sword will open" (Why, then the world is my oyster. Which I will open with sword.)

「世界は私の手中にある牡蠣のようなもの。ならばこの剣でこじ開けてみせよう。」ということで、

ここから "The world is my oyster" と言えば、「世界は私のもの」「世界は私の思うがまま」「私の可能性は無限」といったニュアンスの意味として受け取られるようになったらしい。

らしいと書くと心許ないけれど、そもそも筆者は英語に関して「筆者」というだけでなく「拙者」、つまるところ「達者」でもなんでもない。そもそもシェイクスピア、実は(「実は」も何もないか、笑)一冊も読んでない。と言った上でもう一言加えると、

シェイクスピアと言えばハムレット (Hamlet), ハムレットと言えば “To be, or not to be, that is the question”, あれの一番有名な和訳は「生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ」(「このままでいいのか、いけないのか、それが問題だ」を含め、他にも様々な訳があるようだけれど)、で、

生きる」と言えば、前章で取り上げた映画のうちの 2作品、1952年の黒澤映画「生きる」、そして、1989年のロビン・ウィリアムズ主演作 「いまを生きる」、後者の原題は "Dead Poets Society", 「死せる詩人(たち)の会」。

だから、「生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ」。

だからどうした? つまり、So What!?

ちょっと歩いて 〜 "Welcome to the Pleasuredome", "Relax"

ここでは、前章の "The world is my oyster" つながりで、Frankie Goes to Hollywood の曲 "Welcome to the Pleasuredome", そして歌の中身つながりで同じく Frankie Goes to  .. の "Relax" ♫

"The world is my oyster" でググると何年か前まではこの写真が出てきて(と書くのはいま試しにググったら出て来なくなってる)、面白い写真だと思ったのでダウンロードして Facebook に投稿したりしていた。

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前章で取り上げた、シェイクスピア作「ウィンザーの陽気な女房たち」 (The Merry Wives of Windsor) の中に出てくる "The world is my oyster", 既に書いたように筆者はシェイクスピアの著作など実は一冊も読んだことなく、"The world is my oyster" と言えば、筆者にはシェイクスピアのアレよりも、Frankie Goes to Hollywood のアレ、"Welcome to the Pleasuredome",

1984年リリースの同名アルバム(彼らのデビュー・アルバム)に収められ、翌1985年にシングル・カットされたあの曲、あの歌の歌詞の冒頭が "The world is my oyster",

あの歌、歌詞を見る限り、彼らの当時のもう一つのヒット曲 "Relax" 同様、直接的にセックスのことを歌ってるようで(彼らは確かゲイの人たちだったと思うけれど今日のこの文脈においてはゲイとかレズビアンとかストレートとかトランスジェンダーとか取り立てて特筆する必要はないでしょう)、さて、

セックスというのは、ある種の「生と死」の再現のようなものという感じがあると思うのだが、どうですかね。

英語の世界では彼ら、"Come" って言う。"I'm gonna come" とか "I'm coming" とか、で、あの "Come" っていったい何が「来る」のかなと。

あれは思うに、「聖霊降臨」。マジで? マジで、想像と妄想の断定。

日本人は普通、「いく、いく」。漢字で書くなら、「逝く、逝く」。マジで? マジで、想像と妄想の断定。実際、「死ぬ」とか言う人までいるではないか、あの時。

結局、セックスとはつまり、その度(「いく」度)に逝って、要するに死んで、その後また生き返ってるわけで。生と死と、再生、蘇生。極めて稀ながら「腹上死」という、とても喜劇とは言えない、文字通り、要するに本当に死んでしまう悲劇も起こるわけだけれど。

そして最後に、人間は本当に死ぬ。当然ながら、全ての生き物と同様に。で、本当の死に至ったら、それで終わり。一巻の終わり。

ブレードランナー」終盤のシーンにおけるレプリカント、ロイ・バッティが語ったように ".. All those moments will be lost in time, like tears in rain. .. Time to die",

つまり、御陀仏とは、本当のところ、終わりでしかない。輪廻も再生もあったもんじゃない。いや、確かめようはないんだけれども、「ある」だなんて証拠は何処にも無い。証拠がない以上、「あります」と強弁などしちゃいけない。「ありません」の証拠? 「ない」ことの証拠なんか、「ありません」よ。

以下の過去の note 投稿、その、ちょっと長い前説と最初の章「聖霊降臨と "I'm coming", 『いく、逝く』と輪廻転生」のところで、上に書いたようなことをもう少し詳しく書いていたと思う(「思う」って自分のことだけど、きちんと読まないでリンクしてしまうから、でも大丈夫、ほんとに書いてたという自信ある、笑)。

話を戻すと、"The world is my oyster" で始まる、Frankie Goes to Hollywood の "Welcome to the Pleasuredome", アレはセックスの歌であって、セックスといえば「いく」とか「逝く」とか "Come" とか「精霊降臨」(とまでは叫ばないか、笑)、まぁ兎に角、ウサギにツノが生えるくらいに(意味不明!)「惚れた腫れた」が高じ、「生きるの死ぬの」になるような類を含む恋愛の最中「など」に行なわれる行為。だから、単に "The world is my oyster" という、あの歌の歌詞の冒頭のフレーズだけでなく、黒澤映画「生きる」や "Dead Poets Society" (「死せる詩人(たち)の会」、邦題「いまを生きる」) に関係はある。

強引。はい、強引です。ごういん, going my way, おやじギャグ。

ともあれ、そういうわけでこの歌、"The world is my oyster" によるたまたまのつながりは、中らずと雖も遠からず、ぐらいの意味ある「つながり」ではあるかもしれない。かな?

兎にも角にも、なんだかセックス は「死を想え」と「いまを生きよ」、Memento Mori と Carpe Diem とが交差する行為だなぁと。

ではでは、以下は 12 inch version の "Welcome to the Pleasuredome" とその歌詞、そして "Welcome to the Pleasuredome" と同じアルバムに収録されていた、"come", "suck" などオンパレードの "Relax" ♫ 

"Welcome to the Pleasuredome" 〜 Frankie Goes to Hollywood (1984)

The world is my oyster........
Ha ha ha ha ha........

Who-ha who-ha who-ha who-ha .. Ha!

The animals are winding me up
The jungle call
The jungle call

Who-ha who-ha who-ha who-ha

In Xanadu did Kubla Khan
A pleasure dome erect

Moving on, keep moving on - yeah
Moving at one million miles an hour
Using my power
I sell it by the hour
I have it so I market it
You really can afford it - yeah
Really can afford it

Shooting stars never stop
Even when they reach the top
Shooting stars never stop
Even when they reach the top

There goes a super nova
What a pushover - yeah
There goes a super nova
What a pushover

We're a long way from home
Welcome to the Pleasure dome
On our way home
Going home where lovers roam

Long way from home
Welcome to the Pleasure dome

Moving on
Keep moving on

I will give you diamonds by the shower
Love your body even when it's old
Do it just as only I can do it
And never ever doing what I'm told

Shooting stars never stop
Even when they reach the top
Shooting stars never stop
Even when they reach the top

There goes a super nova
What a pushover - yeah
There goes a super nova
What a pushover

We're a long way from home
Welcome to the Pleasure dome
On our way home
Going home where lovers roam

Long way from home
Welcome to the Pleasure dome

Keep moving on
Got to reach the top

Don't stop
Pay love and life - oh my
Keep moving on
On again - yeah

Shooting stars never stop
Shooting stars never stop

Shooting stars never stop
Even when they reach the top
There goes a super nova
What a pushover

Shooting stars never stop
Even when they reach the top
There goes a super nova
What a pushover

There goes a super nova

We're a long way from home
Welcome to the Pleasure dome
On our way home
Going home where lovers roam

Long way from home
Welcome to the Pleasure dome

Who-ha who-ha
Welcome to the Pleasure dome

WELCOME........ha ha ha ha ha........

Long way from home
WELCOME TO THE PLEASURE DOME 

...................................

Relax 〜 Frankie Goes to Hollywood's debut single, released in 1983, later included on their 1984 debut album "Welcome to the Pleasuredome"

Mi-i-ine
Give it to you one time, now
We-ell..
Whoa..
We-ell, now

Relax, don't do it
When you want to go to it
Relax, don't do it
When you want to come
Relax, don't do it
When you want to suck it, chew it
Relax, don't do it
When you want to come
When you want to come

Relax, don't do it
When you want to go to it
Relax, don't do it
When you want to come
Relax don't do it
When you want to suck it, chew it
Relax, don't do it
When you want to come
Come
Ohhh

But shoot it in the right direction
Make makin' it your intention
Live those dreams
Scheme those schemes
Got to hit me (hit me!)
Hit me (hit me!)
Hit me with those laser beams
Ow ow ow!
Laser beam me
1, 2

Relax
Don't do it
Relax
When you want to come
Come, uhh! Woo!

Ow ow ow ow ow ow uh!
I'm coming
I'm coming-yeah

Relax, don't do it (Once you're inside of me)
When you want to go to it
Relax, don't do it
When you want to come
Relax, don't do it
When you want to suck it, chew it
Relax, don't do it, no!
When you want to come
When you want to come
When you want to come
Come! ... Huh! Ow ow ow ow! Woooo! Ow ow ow yeah
The scene of love, feel it

Relax, don't do it
When you want to go to it
Relax, don't do it
Ow ow yeah
Relax don't do it
When you want to go to it
Relax don't do it

Bide your time, it's a sign of the times (hey!)
Come!

そのまま進んで 〜 「アポロの歌」

前章の "Welcome to the Pleasuredome" はセックスの歌だけれど、手塚治虫の「アポロの歌」はギリシア神話におけるアポローンとダプネーの悲愛にインスパイアされた性愛、平たく言えば(どっちが平たいんだか微妙だが)セックスが主題の物語(莫迦莫迦しいことに1970年には神奈川県において「有害」図書に「認定」ってか指定されているようで)。

(たった今、「2021年我が家の旅」、2階廊下の書棚から引っ張り出して此処、居間の炬燵の PC 前に置いて撮影。)

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本 note 投稿の女将じゃなかった序章「前説 "Tears in Heaven"」で、「カオス(古希: Χάος .. 古代ギリシア語の発音が全く分からん!)とは、ギリシア神話における原初の神(主神ゼウスをはじめとするギリシア神話体系における原初の神)であり、全ての神々や英雄たちの祖にあたる。 オルフェウスによれば、このカオスは有限なる存在全てを超越する 無限 を象徴しているという(となるとカオスというのはまるで「宇宙開始時の爆発的膨張」つまり「ビッグバン」みたいな存在だな)。カオスの名は「大口を開けた」「空(から)の空間」の意味を持つ。配偶神はおらず、奈落のタルタロス、大地のガイア、愛と欲望のエロース、暗黒のエレボス、夜のニュクスを生み出したのが、カオス」云々かんぬんカンヌ映画祭 .. ただの言葉の暴走 .. ってか兎に角ウサギにもツノにもウィキペディアからざっくりと引いて更にそれを編集して書いたけれど(カオスな修飾)、

そのギリシア神話の中の物語から着想を得た手塚治虫の「アポロの歌」(厳密に言うとギリシア神話ではアポローンと言って後年のローマ神話でそれがアポロになるようなんだけけれど、手塚の「アポロの歌」のアポロはアポローンの方ということ)はセックスをテーマにしていて、まぁそういうわけで、本 note 投稿における冒頭の章および前章とのつながりで、ここに置くのが相応しいのだ。

手塚治虫はわりとセックスに纏わる(「セックスにまつわる」って言い方は何か「愛と欲望のエロース」「夜のニュクス」的にエロティックな語感 .. 考え過ぎか、笑)物語を描いていて、「やけっぱちのマリア」や「ふしぎなメルモ」などもそう。「I.L」(アイエル)や「ばるぼら」などもそうだな。低年齢の少女向けとされる「ふしぎなメルモ」は読んだことないが、他は全て若い頃に読んだ。「やけっぱちのマリア」は小学4年の頃。「I.L」や「ばるぼら」、それから「アポロの歌」は学生時代。

「やけっぱちのマリア」や、やはり同じく手塚作品でセックスとある程度の関わりは持つ物語「聖女懐妊」について、筆者の過去のいくつかの note 投稿で言及(言及プラスα 程度だけど!)してきた(*1, 2)。そういや、セックスに関しては *3 でも(前章でもリンク置いたんだった!)。 

*1, 2

以下のは今日の本 note 投稿とは基本的に関係ないけれど、上の *2 に続く無神論者によるクリスマス「記念」投稿。その下はクリスマスに関わっての莫迦げたイスラエル空軍によるツイートについての投稿。

*3 ちょっと長い前説と最初の章「聖霊降臨と "I'm coming", 『いく、逝く』と輪廻転生」。巫山戯た見出しだなと? .. しかし「巫山戯る」の語源を探ってもらいたい。

「アポロの歌」の次は 〜 同じく ギリシア神話 にインスパイアされた "If"

前章でも引っ張ってきたように、本 note 投稿の序章「前説 "Tears in Heaven"」で、「カオス(古希: Χάος .. 古代ギリシア語の発音が全く分からん!)とは、ギリシア神話における原初の神(主神ゼウスをはじめとするギリシア神話体系における原初の神)であり、全ての神々や英雄たちの祖にあたる。 オルフェウスによれば、このカオスは有限なる存在全てを超越する 無限 を象徴しているという(となるとカオスというのはまるで「宇宙開始時の爆発的膨張」つまり「ビッグバン」みたいな存在だな)。カオスの名は「大口を開けた」「空(から)の空間」の意味を持つ。配偶神はおらず、奈落のタルタロス、大地のガイア、愛と欲望のエロース、暗黒のエレボス、夜のニュクスを生み出したのが、カオス」と書いたけれど、

前章では、そのギリシア神話の中の物語から着想を得た手塚治虫の「アポロの歌」(厳密に言うとギリシア神話ではアポローンと言って後年のローマ神話でそれがアポロになるようなんだけけれど、手塚の「アポロの歌」のアポロはアポローンの方ということ)を取り上げた。

その流れで、Bread の名曲 "If" を ♫

というのは、筆者自身この歌は大好きで、中学生の頃などよくギターを弾きながらこの歌を歌ったりしていたものの、一方で特別 Bread そのもののファンだったわけでもなく、この歌の背景とかいったことには全く通じていないのだけれども、この歌もやはり、ギリシア神話にインスパイアされたものらしいのだ。

以下は、だいぶ以前に YouTube 上のクリップに付いていたコメントで見つけ、気に入ってそこからの引用とことわった上で何度も Facebook に投稿したことがある、この歌についての説明。

(以下の引用内ではコメント原文にしたがって、「古代ギリシア」「ギリシア神話」でなく「古代ギリシャ」「ギリシャ神話」と表記。)

歌詞の以下の聯[れん]には少々というか、かなりな説明が要ります。
If a face could launch a thousand ships,
Then where am I to go ?

古代ギリシャのスパルタン王妃レダが白鳥に化けたゼウス神と交わり産んだとされる卵からかえった空前絶後の美女ヘレネ。このヘレネが婿を選ぶにあたってギリシャ中の英雄に向けて無理難題を吹きかけました。ある者へは、昼も夜も光を放ち続ける宝石を見つけてこい。別の者へは、一度咲けば一年中枯れることのない深紅の花を何処からか持ってこい。或いは、どこかにいるとされる翼竜のつばさを切り取って持ってこい。そうして、それらの「おふれ」に応じて、ギリシャ中から我こそはヘレネの婿たらん、と勇敢で屈強な若者が集いました。
エーゲ海の入り江を見下ろす高台。入り江には、それら集まった婿候補の若者を乗せた千隻の船(a thousand ships)。やがて高台にすっくと立つヘレネ。そのヘレネが白く輝く美貌(a face)をあげて全船出帆(launch ships)の合図を送ります。高台の風に逆巻くヘレネの美しい金髪。合図に応じて一斉に真っ白い帆を掲げる船々。どこまでも青い空。さらに深く濃い青をたたえるエーゲの海の色。
要は、デビッド・ゲイツは、you を絶世の美貌をもつヘレネに喩え、I(where am I to go の"I")をヘレネの呼びかけに応じたギリシャ英雄の一人、に喩えているのです。最後の「地球の自転が止まったら」云々もそうですけど、なんちゅうか、ドラマチックと言おうか大袈裟な歌詞ではあります。楽曲そのものは大変よく出来ていて、当時のラジオでしょっちゅう掛かってました。
因みに、"a face that launches a thousand ships" の様な表現は、極く極くた~ま~にですが、目にすることがあります。ギリシャ神話を知らないと英語を母語とする人間にも何のことか意味が皆目不明で、ちょっとスノッブですよね。

If 〜  a 1971 song written by David Gates, originally popularized by his group Bread

*この曲の歌詞の掲載に関し, 一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。歌詞に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.2 加筆/削除/編集)。

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"If a picture paints a thousand words, then why can't I paint you?", これはおそらく "A picture is worth a thousand word" という英語のフレーズから来ている。で、"A picture is worth a thousand word" と似たような意味合いの言葉があって、それは "Every picture tells a story", 

というわけで(!)

ギリシア神話 にインスパイアされた "If" の次は 〜 もうひとつの "If"

些か強引ながら(ってか昨日に引き続いて今日の note 投稿、ずっと強引につないでるけれど .. でもまぁ意味はあるのだ意味は、たぶんね!)、前章の Bread の "If" (1971年) に続き、時代は遡って、Pink Floyd の "If" (1970年) ♫, 

筆者による和訳歌詞つき。

タイトルが同じということで持ってきたけれど、Pink Floyd の曲という意味では、本 note 投稿の最終章にもつながる。世の中、決して「つながりゃいい」ってもんでもないけれど(笑)。 

*この曲の歌詞の掲載に関し, 一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。英語歌詞・原詞は公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.2 加筆/削除/編集)。

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もしも僕が白鳥だったなら
僕はどこかへ行ってしまうだろう
もしも僕が列車だったなら
僕は遅れるだろう
そしてもしも僕が善い人だったなら
僕は今よりもっと君と話すだろう

もしも僕が眠ったなら
僕は夢を見ることが出来るだろう
もしも僕が何かに不安だったなら
僕はこの身を隠すだろう
もしも僕が気が狂ってしまったら
どうか僕の脳に君の回線を埋め込まないでほしい

もしも僕が月だったなら
僕はクールになるだろう
もしも僕がルールだったなら
僕は曲がってしまうだろう
もしも僕が善い人だったなら
僕は友達の間にある距離と空間を理解するだろう

もしも僕が一人だったなら
僕は泣くだろう
そしてもしも僕が君と一緒だったなら
僕は家に居て涙も乾くだろう
そしてもしも僕が気が狂ってしまっても
それでも君は僕をゲームの仲間に入れてくれるかい?

もしも僕が白鳥だったなら
僕はどこかへ行ってしまうだろう
もしも僕が列車だったなら
僕はまた遅れるだろう
そしてもしも僕が善い人だったなら
僕は今よりもっと君と話すだろう

..........................

「2001年宇宙の旅」 〜 「ツァラトゥストラはこう語った」

本 note 投稿(「前説」の次の)冒頭の章で取り上げた Ridley Scott, リドリー・スコット監督「ブレード・ランナー」(Blade Runner, 1982年)と、この映画、つまり Stanley Kubrick, スタンリー・キューブリック監督の「2001年宇宙の旅」(2001: A Space Odyssey, 1968年)は、このジャンルの映画として紛れもない「金字塔」的作品、いや SF というジャンルの枠を超えた名作。

この 2つの映画は互いにだいぶ趣が異なる映画であるものの、何処かでつながるものがあるように感じられる。つまり、

ブレードランナー」におけるブレードランナーの "敵役" 反逆レプリカントのリーダー、ロイ・バッティが(本 note 投稿の件の章で取り上げた如く) 

"I've seen things you people wouldn't believe. Attack ships on fire off the shoulder of Orion. I watched c-beams glitter in the dark near the Tannhäuser Gate. All those moments will be lost in time, like tears in rain. .. Time to die.

と語ったように、つまるところ、レプリカントならぬ個々の人間の「生」における全ての瞬間も、最後には雨に打たれる涙のように、時(の流れ)とともに失われていく。 

一方で、「2001年宇宙の旅」は、そんなちっぽけな一個の人間の一回限りの人生、つまりその生と死、その生から死に至る多難な旅路、それが繰り返されていくその集合体としての人類の歴史、人類の苦難の旅路を、永遠に続くかに見える宇宙を舞台にして描こうとしていた映画だった .. と今日はここでコスモスし切ろう(「コスモスし切る」とは宇宙語で「言い切る」「断定する」の強調語であると思われる .. ってか拙者の今日限りかもしれない造語!)

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これまで繰り返し引いたように、本 note 投稿の序章「前説 "Tears in Heaven"」で、「カオス(古希: Χάος .. 古代ギリシア語の発音が全く分からん!)とは、ギリシア神話における原初の神(主神ゼウスをはじめとするギリシア神話体系における原初の神)であり、全ての神々や英雄たちの祖にあたる。 オルフェウスによれば、このカオスは有限なる存在全てを超越する 無限 を象徴しているという(となるとカオスというのはまるで「宇宙開始時の爆発的膨張」つまり「ビッグバン」みたいな存在だな)。カオスの名は「大口を開けた」「空(から)の空間」の意味を持つ。配偶神はおらず、奈落のタルタロス、大地のガイア、愛と欲望のエロース、暗黒のエレボス、夜のニュクスを生み出したのが、カオス」と書き、その後、前々章までにギリシア神話からインスパイアされた手塚治虫の「アポロの歌」を持ち出したり、同じく Bread の "If" を紹介したりしたけれど、

映画「2001年宇宙の旅」の原題 "2001: A Space Odyssey" にある "Odyssey" とは、紀元前8世紀末の古代ギリシア(古代ギリシャ)の吟遊詩人ホメーロスの作と伝えられる(断定は難しいらしい、そもそもホメーロスが実在したのかどうかも判然としないらしい!)長編叙事詩「オデュッセイア」(ウィキから引くと、古代ギリシア語イオニア方言:ΟΔΥΣΣΕΙΑ, Ὀδύσσεια, Odysseia, ラテン語:Odyssea)から来ている言葉で、困難を伴って長期間に及ぶ長旅 を意味する言葉(このニュアンスを邦題タイトルに生かすような日本語訳は不可能だったかも)。

この映画では、リヒャルト・シュトラウスの「ツァラトゥストラ(は)かく語りき」(「ツァラトゥストラはこう語った」)がオープニングや冒頭の「人類の夜明け」シーン、最終盤のシーンなどで使われているが、シュトラウスのあの曲は言うまでもなくフリードリヒ・ニーチェの「ツァラトゥストラはこう語った」(翻訳タイトルは色々あるけれど)にインスパイアされたもの。

ニーチェの「ツァラトゥストラはこう語った」とオーヴァーラップするこの映画のイメージと中身を、象徴しているようにも思える。

"The Dawn of Man", 「人類の夜明け」シーン。

因みにもう一人のシュトラウス、ヨハン・シュトラウスの「美しく青きドナウ」も冒頭のシーンやエンディングなどで使われている。

1:00~辺りからが上のヴィデオの続きで、映画史に残る超絶美しいシーン

(上のヴィデオと少し重なるけれど、もう少し観聴きしたければ)

ニーチェの著作は大作「ツァラトゥストラ」しか読んだことがないけれど(筆者が読んだ手塚富雄訳の翻訳版タイトルは「ツァラトゥストラはこう語った」が略されて「ツァラトゥストラ」だった, 一度読んだだけでは消化できず繰り返し二度読んだけれども、脳味噌の瞬発力でなく持久力が必要なのであれは若いうちに読んでおいて良かったと思う)、あれを原作とするリヒャルト・シュトラウスの「ツァラトゥストラ .. 」がオープニングと最終盤のシーンを含む複数回、印象的な使われ方をしていたことには、やはり意味があるのだろうと感じる。

結局、"2001: A Space Odyssey", 「2001年宇宙の旅」という映画は、宇宙の、そして人類の、そして一個の人間の、あるいは人間一人一人の、Odyssey, 「オデュッセイア」、つまり苦難の長い旅路について描いている映画だった .. のではないか

いや、今日のこのカオス投稿では「 .. 」前のところで言い切って断定し、そのようにコスモスしておこうと思う(このくだり、宇宙語、笑)。

「2001年宇宙の旅」は、永遠に続くかに見える宇宙を舞台にしつつ、宇宙空間で、あるいは宇宙におけるこのちっぽけな惑星であるところの地球の上で、果てしなく続く人類の歴史、その中にある更に更にちっぽけな一個の人間の一回限りの人生、つまり生と死、生から死に至る多難な旅路、そして話を戻せばそれが繰り返されていく人類の歴史、人類の苦難の旅路、そういうものを描こうとしていた映画だった .. のかもしれない

いや、今日のこのカオス投稿では「 .. 」前のところで言い切って断定し、そのようにコスモスしておく(宇宙語、繰り返すともう笑えない、、でも「爆」は「爆笑」の「爆」ではなくて、ギリシア神話の原初の神カオスがいた頃の「宇宙開始時の発的膨張」つまりビッグバンベイダーじゃなかった、「ビッグバン」)。

「おまけ」な一言。「2001年宇宙の旅」は、究極のロードムービー .. かもしれない。いや、今日のこのカオス投稿ではそのようにコスモスしておく(笑でも爆でもなく何だ?)。つまり、ロードムービーの定義を逸脱するロードムービー

普通のロードムービーと「2001年宇宙の旅」は、移動する距離がおそろしく違う。長大かつ広大かつ深淵かつ深遠な、という形容が相応しい、時間と空間におけるとてつもなく長い距離を移動する、まさしく究極というか無限の距離のロードムービー。ヤマモトツヨシはこう語った。ヤマモトツヨシかく語りき。ニーチェ「ツァラトゥストラ」かぶれ(笑)。少なくとも「やぶれかぶれ」ではないぞ(爆、ビッグバン .. 無茶苦茶やがな、しかし「無茶苦茶」とは「カオス」のことと見つけたり)。

ってなことをもっと詳しく、もっと真面目にここに書いた!

シンクロニシティ 〜 スタンリー・キューブリック「2001年宇宙の旅」 と ピンク・フロイド「エコーズ」(歌詞和訳)

前章で書いたように、「2001年宇宙の旅」は、永遠に続くかに見える宇宙を舞台にしつつ、宇宙空間で、あるいは宇宙におけるこのちっぽけな惑星であるところの地球の上で、果てしなく続く人類の歴史、その中にある更に更にちっぽけな一個の人間の一回限りの人生、つまり生と死、生から死に至る多難な旅路、そして話を戻せばそれが繰り返されていく人類の歴史、人類の苦難の旅路、そういうものを描こうとしていた映画だった。

となれば、あの映画の最終章 JUPITER AND BEYOND THE INFINITE, 日本語では「木星 そして無限の宇宙の彼方へ」と訳されているようだけれど、あれとピンク・フロイドの「エコーズ」, ECHOES がその秒単位の時間、サウンド、メロディ、歌詞、歌詞におけるワーディングなどにおいて見事なまでにシンクロしているという現象は、あの歌の歌詞が描いている世界を考えたとき、何やらそれ以上の意味を感じさせるものがある、というところにあらためて思い至ったところで、

以下にそれについて「あらためて」掲載して、今日のカオス(については本 note 投稿の冒頭「前説」にて)な投稿は終わり。

と言ったって、このシンクロシティは当然ながら「偶然」のシンクロに違いないんだろうけれど。ってかシンクロってそもそも偶然か。

この後は、去年12月の筆者の note 投稿リンクと、その中で掲載した JUPITER AND BEYOND THE INFINITE from Stanley Kubrick's "2001: A Space Odyssey" ECHOES from Pink Floyd's "Meddle" のシンクロニシティ、ECHOES の筆者による和訳歌詞つき。

JUPITER AND BEYOND THE INFINITE from "2001: A Space Odyssey", with ECHOES from "Meddle" (歌詞, 筆者による和訳つき)

*この曲の歌詞の掲載に関し, 一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。英語歌詞・原詞は公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.2 加筆/削除/編集)。

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頭上 空高く アホウドリが (*1)
宙に舞い上がったまま静止して垂れ下がる
そして 揺れる波間の奥深く
珊瑚の洞窟の迷宮の中
遠く離れた潮の流れ 遥かな過去の残響が (*2)
砂地を越え 風に舞う柳の如くゆらゆらとやって来る (*3)
そして 何もかもが青々とした緑色を成し 海の底に (*4)

誰も我々を陸地に導かなかった
誰もが 何処にいるのか 何故そこにいるのかを 分かっていない
しかし何かが目覚めて動き出し 何かが試みを始める (*5)
そして 光に向かって 登り始めるのだ

通りすがりの見知らぬ者どうしが
偶然にも 一瞬その視線を交わす
実は私はあなたであり 私が見ているのは私自身なのだ
私はあなたの手を取り
この地の何処(いずこ)かに導き
自らができる最上のことは何なのか 理解することになるだろうか?

先に進むよう呼びかけるものなどいない
視線を落とすよう強いるものもいない
言葉を発するものはいないし 我々のように試みるものもいない
太陽の周りを飛ぶものなどいないのだ

雲ひとつない毎日 あなたは 覚醒した私の眼に舞い降りる
私に起き上がるよう 誘い(いざない) 鼓舞しながら
そして 壁に埋められた窓を通し
陽の光の翼に乗って差し込んでくるのは
眩い(まばゆい)ばかりに光り輝く何百万もの朝の大使 (*6)

私に子守唄を歌ってくれるものなどいない
私の目を閉じさせるものもいない
だから私は窓を大きく開け放ち
空の向こうのあなたに呼びかけるのだ

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*注釈は過去の note 投稿の中(上掲リンク先、あるいは以下リンク先など)。

付録: ピンク・フロイド Echoes 歌詞和訳 〜 ネットで入手した「英語原詞」に誤り発見 (2021年5月12日, 翌5月13日 note 投稿)


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