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イスタンブールとバンコクで Almost Cut My Hair 〜 Déjà Vu ♫

あ、間違えた、タイトル上の写真は俺じゃなくて ゲバラ だった

これを、日本語で「わざとらしい」と言います。ではちっぽけな人物、「ただの男」ならぬ「ただの日本人」に関する本題に入る前に、歴史、世界史に残るこの大人物についてあらためて。なお、今日はいつもに増してカオス(ギリシャ神話の「天地開闢」説における万物発生以前の秩序なき状態、混沌、混乱、または同時に全ての事物を生み出すことができる根源、ケイオス、反対語はコスモス)な投稿で、さらに推敲も校正もゼロでアップ、今日の投稿テキストは特に、誤字脱字ご容赦あれ、読む人いればだけど(笑)。

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"Si se nos dijera que somos casi unos románticos, que somos unos idealistas inveterados, que estamos pensando en cosas imposibles, nosotros tenemos que contestar, una y mil veces que sí, que sí se puede."

If it were said of us that we’re almost romantics (dreamers), that we are incorrigible idealists, that we think the impossible: then let us answer a thousand and one times - ‘yes we are’.

この人はもちろん、Ernesto "Che" Guevara (born June 14, 1928 – killed October 9, 1967), エルネスト・チェ・ゲバラ。

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その昔、いつだったか、とにかく昨年「還暦」の拙者が相当に若い頃だからかなりの昔日、ジュラ紀ぐらいの昔のこと、三好徹の「チェ・ゲバラ伝」を読んで、いたく感動した。

最近のこととなると、2017年の夏には東京で行なわれていた「チェ・ゲバラ展」(といったようなタイトルのイヴェントだったと思う)にも出かけ、アルゼンチン時代の若かりし頃のゲバラからキューバ革命、そしてるボリビアでドイツ(当時はもちろん西ドイツ)から逃亡して同国にいた元ナチス親衛隊中尉クラウス・バルビーが顧問となり且つ単に反共だけで結託したアメリカ合州国 CIA 及び同じくアメリカの陸軍特殊部隊グリーンベレーの軍事顧問団から武器供与と兵士の訓練を受けていたボリビア政府軍に捕らえられ、最後はアメリカ CIA の指令のもと殺されて最期を迎えるまでを記録した貴重な資料、写真、動画などを観たりもした。

因みにゲバラ銃撃・射殺を躊躇するボリビア政府軍兵士に向けて放った、ゲバラ最期の言葉は、"Sé que has venido para matarme. Dispara cobarde, que sólo vas a matar a un hombre.", 「私を殺しに来たのだろう。撃て、臆病者め。お前の目の前にいるのはただの男だ」。

ええい、もうこの際だから、ゲバラが残した言葉の数々を。

と言っても、横着して以前 Facebook 上でシェアした自分の投稿からそのまんま東(は好きじゃないなぁ)、そのまんま、つまり丸ごと転載してしまうので、海外の Facebook friends 向けに記した英語から、日本語、そしてゲバラの母語であるラテンアメリカを植民地化した宗主国の言語スペイン語の順。

■ At the risk of seeming ridiculous, let me say that the true revolutionary is guided by a great feeling of love. It is impossible to think of a genuine revolutionary lacking this quality.

バカらしいと思うかもしれないが、真の革命家は偉大なる愛によって導かれる。愛の無い真の革命家を想像することは、不可能だ。

-Déjenme decirles, a riesgo de parecer ridículo, que el revolucionario verdadero está guiado por grandes sentimientos de amor. Es imposible pensar en un revolucionario auténtico sin esta cualidad.

■ If it were said of us that we’re almost romantics (dreamers), that we are incorrigible idealists, that we think the impossible: then let us answer a thousand and one times - ‘yes we are’.

もし私たちが空想家のようだといわれるならば、救いがたい理想主義者だといわれるならば、できもしないことを考えているといわれるならば、何千回でも答えよう「その通りだ」と。

-Si se nos dijera que somos casi unos románticos, que somos unos idealistas inveterados, que estamos pensando en cosas imposibles, nosotros tenemos que contestar, una y mil veces que sí, que sí se puede

■ I am not Christ or a philanthropist, I am all the contrary of a Christ …
I fight for the things I believe in, with all the weapons at my disposal and try to leave the other man dead so that I don’t get nailed to a cross or any other place.

僕はキリストじゃないし、慈善事業家でもない。キリストとは正反対だ ...
正しいと信じるもののために、手に入る武器は何でも使って戦う。自分自身が十字架などにはりつけになるよりも、敵を打ち負かそうと思うのだ。

-No soy Cristo ni un filántropo, soy todo lo contrario de un Cristo. Lucho por las cosas en las que creo con todas las armas de que dispongo y trato de dejar muerto al otro para que no me claven en ninguna cruz o en ninguna otra cosa.

■ The life of a single human being is worth a million times more than all the property of the richest man on earth.

ただ一人の人間の命は、この地球上で一番豊かな人間の全財産よりも100万倍も価値がある。

-La vida de un solo ser humano vale un millón de veces más que toda la propiedad del hombre más rico de la tierra

■ (from a letter to his children he left)

Above all, always be capable of feeling deeply any injustice committed against anyone, anywhere in the world. This is the most beautiful quality in a revolutionary.

世界のどこかで、誰かが蒙っている不正を、心の底から深く悲しむことのできる人間になりなさい。それこそが革命家としての、一番美しい資質なのだから。

-Sobre todo, sean siempre capaces de sentir en lo más hondo cualquier injusticia cometida contra cualquiera en cualquier parte del mundo. Es la cualidad más linda de un revolucionario.

■ (The last words in his life) 
* to a soldier who was going to shoot him

I know you are here to kill me. Shoot, coward, you are only going to kill a man.

私を殺しに来たのだろう。撃て、臆病者め。お前の目の前にいるのはただの男だ。

-Sé que has venido para matarme. Dispara cobarde, que sólo vas a matar a un hombre.

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ゲバラは「ただの男」ではなかったけれど、次は正真正銘の「ただの男」、まぁ自分自身や妻や息子にとっては「ただの男」じゃないと思うが(自分、夫、父、少なくとも、笑)、拙者、つまりのこの note 投稿の筆者の話。

ではでは、話を本日の主題に戻して、「ただの日本人」の バンコク 1984年1月 〜 Almost Cut My Hair ♫

ソ連、欧州、中東、南アジアと旅して、些か痩せてしまった、23歳と約4ヶ月。前章の歴史上の大人物と共通する点が一つだけある .. あご髭!(笑)

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タイ、バンコク、1984年1月7日、細かい話だが日記によれば土曜日。1ヶ月半近く旅したインド、最後に滞在したカルカッタを発って(前年4月以降の「放浪もどき」旅での飛行機はカイロ・イスタンブール間に次いで2度目だった)バンコクに着いた、その日の夜の、今いうところのセルフィー、だけど勿論スマホはないからコニカの普通のカメラ。フィルムはコダクロームだったから、カメラが同じ日本製でもコニカでなくニコンだったら、あれ ♫ だったのにな、あの歌は英語発音なのでニコンじゃなくて「ナイコン」と言ってるけど ♫ 

"Kodachrome, they give us those nice bright colors, they give us the greens of summers, makes you think all the world’s a sunny day, oh yeah, I got a Nikon camera 〜 I love to take a photograph, so mama don’t take my Kodachrome away" ♫

"If you took all the girls I knew when I was single, and brought them all together for one night, I know they’d never match my sweet imagination 〜 Everything looks worse in black and white ♫

こちらは拙者が独身時代に付き合っていた女性たち(のような気が、笑)。

こちらは拙者が 1983年から 1984年にかけての海外「放浪もどき」旅の間、だからやはり独身時代に付き合っていた女性たち(のような気が、笑) ... しかし明らかに年上っぽい人が混じってるな、ま、いいか歳なんて。

ではでは、ようやくのこと、話をマジ話に戻します。

下の写真は、それから 1週間後、同年 1月14日の土曜日、あ、37年前の昨日。前年 1983年4月26日に横浜港を発ってソヴィエト連邦(って昔あったよねぇ、日本が縄文時代だった頃、爆)のナホトカに向け 2泊3日の船旅に出た、その前の1, 2年の間、拙者は海外、チェコとかブラジルとかタイなどなどにいわゆる「ペンパル」という名の要するに日本語に直すと「筆友達」(そんな言葉ないか、笑)を持っていて、この写真は、そのタイ人のペンパルと彼女の妹に初めて会って撮った記念写真、場所は当時の日記によればたぶんタマサート大学のキャンパスか、もしくはバンコクの国立博物館の前辺り、あるいはワット・プラケーオ(エメラルド寺院)の近く。日記の記述から判断する限りワット・プラケーオの近くである可能性が高いと思う。

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次の写真は、1984年1月15日、日曜日、曜日は違えど、ちょうど 37年前の今日。以前、Facebook に投稿した時に "at the Rose Garden, a part of a large cultural center located about 38 km west of downtown Bangkok. My pen pal and her sister, took me here." と書いていて、日本でも「ローズ・ガーデン」という名で紹介されているようだけど、タイのカルチャーを紹介するような大きなテーマパークみたいなところの一角にあるものではなかったかと。

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というわけで、Almost Cut My Hair ♫ ... いや、Almost Cut My Beard, Almost Shaved My Beard だったか(笑)。

次は、「ただの日本人」の イスタンブール 1983年10月 〜 Almost Cut My Hair ♫

というわけで、次はイスタンブールへ。「次は」と言っても、時間は逆戻り。と言えば「バック・トゥ・ザ・フューチャー」、マイケル・J・フォックス .. あ、間違えた、あれは文字通り、「未来に戻る」のだった。ここでは単に古い年月に逆戻り。わざとらしいんじゃなくて、マジでうっかり間違えた、とはいえ、このリンクは残す!

話が飛んだ。「飛びます、飛びます」、坂上二郎。いや、「飛んでイスタンブール」、庄野真代。

この歌の歌詞は絶対ヘン(笑)。いや、イスタンブールは「夜だけのパラダイス」じゃなくて、昼も夜もパラダイス。そういう話か(笑)。

石川さゆりのカヴァーも大変よろしい(これはヴィデオも大変よろしい)。歌詞は原曲のまま、ヘン(笑)。

話を再びマジ話に戻して、

トルコはつごう 2度旅したけれど、1度目はアテネとサントリーニ島で計1ヶ月ほどいたギリシャをアテネから発って 2泊3日の列車の旅、Maneaters に襲われながら(笑)、イスタンブールに着いた、「マジ」で?

そして、以下の写真は、その 1度目のイスタンブール滞在中の時のもの(イスタンブールは居心地がよく3週間と2週間、合わせて5週間いた)。街を歩いていて、いや、ツーリスト・インフォメーション辺りかな、たまたま会ったスペインからの旅行者たちと一緒に撮った写真。何かちらちらっと言葉を交わして親しくなったのかもしれない。1983年8月17日。

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以下の去年の note 投稿、なんと(まぁ驚くこともないか)書いた本人、拙者一人の分しか「読者」反応がない。

次は2度目のイスタンブールにて。ちょっと説明加えておくと、1度目のトルコの旅の後はシリア(1983年9月11日、パルミラで 23歳の誕生日を迎えた)、

拙者 41歳の誕生日 2001年の 911 アメリカ同時多発テロは当然ながらシリアもヨルダンもパレスチナも関わってないけれど、23歳の誕生日 1983年の911 を思い出しつつ、一昨年、59歳の誕生日 2019年の 911 に note に登録したその日の、拙者の note 最初の投稿。

話を戻して(!)、シリアの次はヨルダン、そしてヨルダンの次は、ヨルダン川を渡ってイスラエルが1967年以来 国連安保理決議に違反しながら違法に占領し続けるパレスチナのヨルダン川西岸地区に入り、パレスチナとイスラエルを3週間ほど旅して、

その後、1983年10月18日、パレスチナのガザ地区(イスラエルが 1967年以来、国連安保理決議に違反して占領、2021年いま現在は軍事封鎖中)から陸路、エジプトのカイロに向かい、

あ、間違えた(笑)、

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ギザのピラミッドなど観たり、またコーラ代をちょろまかして "ぼる" 「現代」エジプトのせこい商人とも闘いつつ、カイロには 8泊9日し、1983年10月26日に、当時の海外「放浪もどき」旅の間では初めて飛行機を使い、エジプト・カイロから再びトルコ・イスタンブールへ。

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そういうわけで 、当時トルコは軍事政権下、英語が全く通じない床屋で "Military, military!!" と叫んで坊主にしてもらった 〜 Almost Cut My Hair ♫

そういうわけで 、既視感 〜 "Déjà Vu" by Crosby, Stills, Nash & Young (1970)

Side one
1. "Carry On"
2. "Teach Your Children"
3. "Almost Cut My Hair"
4. "Helpless"
5. "Woodstock" 

Side two
1. "Déjà Vu"
2. "Our House"
3. "4 + 20"
4. "Country Girl (Whiskey Boot Hill, Down Down Down, Country Girl (I Think You're Pretty))"
5. "Everybody I Love You"

バンコクの仏教寺院

1984年1月14日、Wat Phra Kaew (the Temple of the Emerald Buddha) での 1枚と、Wat Pho (the Temple of the Reclining Buddha) での 2枚、そして同年1月19日、再び Wat Phra Kaew での 3枚。

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「仏教」関係 載せたので、インドで観た仏教寺院を思い出しつつ、

「乞食」の二文字は元々は 仏教用語。カルカッタ(コルカタ)で目撃した「火の車」"のように" 見えた乞食。

イスタンブールのスルタンアフメト・モスク (Sultan Ahmed Mosque), ボスポラス海峡 (Bosporus, Straits) 〜 "Sultans of Swing" by Dire Straits ♫

以下、1983年に筆者が撮った Sultan Ahmed Mosque 3枚と、ボスポラス Bosporus という名の海峡 Straits 8枚、となれば、もちろん(笑)、"Sultans of Swing" by Dire Straits ♫

スルタンアフメト・モスク 〜 Sultan Ahmed Mosque

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ボスポラス海峡 〜 Bosporus, Straits

あ、手がすべった、まずは拙者一人分しか「読者」反応がついてない昨年の夏、日本「敗戦記念日」の日の note 投稿、その下にトルコ、イスタンブールで撮った1983年の夏と秋のボスポラス海峡の写真 8枚。

いざ、ボスポラス。

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以下の 4枚は 2度目のイスタンブール滞在中、1983年秋。

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髭を剃ったゲバラ

以下は、2017年8月27日、東京で開催されていた「チェ・ゲバラ」展に行った時に買った三品。

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革命家も革命も、資本主義社会では「消費」される? しかしまぁそんなことはいま始まったことじゃない。Che Guevara 関連グッズは、T シャツはじめ、おそらくは彼の死(1967年、2017年は50周年だった)の直後から、世界中で売られ続けてきた。今後もきっと売られ続けるだろう。しかし、彼は、本質的には「消費」されない。いつまでも、資本主義の欲望を凌駕し続けるだろう。

右上は、世界で一番有名なゲバラの肖像。自分も、これがプリントされた T シャツを持ってる。1983年にパレスチナを旅した時も、かの地でたくさん売られてた。イスラエルが 1967年以来 複数の国連安保理決議に違反しながら違法占領し続ける東エルサレムのパレスチナ人の店で買ったけれど、それは流石に、もう擦り切れてしまった。今は12年前に友人がタイで買って拙者に贈ってくれたものを持ってる。

確か、キューバ革命が成ったあと、ハバナ湾でキューバ船が爆破されて多くの死傷者が出た際、ゲバラが遥か彼方を見つめ、アメリカ合州国と闘う決意をあらためて固めたとされる時に、脇にいた有名な写真家がそのタイミングを逃さず撮った写真がオリジナル。それが、その後、世界中で無数の人々の手に渡ることになった、誰もが知るゲバラの肖像。

左は、キューバ革命後の暗闇の中のゲバラの肖像。セルフタイマーで自撮りしたものと思われる。25ヶ月もの間、超大国アメリカ合州国をバックにしたバティスタ軍事政権との革命戦争を戦い抜いて勝ち、しかしその後の、ある意味「革命戦争」よりも困難だったかもしれない(例えば各分野の人材はバティスタ軍事政権時代はどうしても富裕層に偏りがちだったが、その富裕層の多くが革命前後にアメリカ合州国に逃げ去った為、革命後の社会の人材不足は深刻だった)新国家、新社会の建設の重圧のなかで、しかも元々アルゼンチン人でキューバ人ではなかったゲバラとして、より一層の孤独を感じていた時期かもしれない、その時代のゲバラ自身の写真の一枚。

右下は、コンゴ内戦での「革命勢力」と期待した側に加勢したその戦いが思い通りに進まず、撤退を余儀なくされ、タンザニアの首都ダルエスサラームのキューバ大使館で、失意の底にありながらも「コンゴ戦記」を執筆していた時の、ゲバラの珍しい「髭なし」の写真。この翌年 1967年10月9日、ゲバラはボリビアで39年間の生涯を閉じた。

絶体絶命の窮地 〜 Dire Straits ♫

ゲバラは、ボリビアでの最期の時、文字通り絶体絶命の窮地にあった。そしてナチスの逃亡者及び反共目的だけで結託したアメリカ合州国 CIA が背後についた当時のボリビア政府軍に捕えられ、殺された。最期の言葉は、"Sé que has venido para matarme. Dispara cobarde, que sólo vas a matar a un hombre." (I know you are here to kill me. Shoot, coward, you are only going to kill a man.), 「私を殺しに来たのだろう。撃て、臆病者め。お前の目の前にいるのはただの男だ」。

絶体絶命の窮地と言えるような過酷な、苛酷な苦境を、英語で表わすと、Dire Straits,

以下の写真、これも絶体絶命の窮地? いや、こんなところで「いたす」のは快感かも。でも危ないなぁ(たぶんアメリカ合州国の写真家 Stefan Ruiz によるもの, Instagram, Facebook の relax it's only art から拝借した)。

実は筆者、この写真を Facebook に投稿して、なんと即刻削除されたことがある。その理由が笑える, "Your post goes against our community standards on nudity or sexual activity", つまり Facebook の検閲とは、そのくらい莫迦げたものなのである(Facebook の検閲のばかばかしさ、莫迦莫迦しさについては、筆者が Facebook 上に長崎の原爆犠牲者の写真を投稿した時に何とそれも上記同様の理由で即刻削除された経験があって、それに関して note 投稿したことがあるので、興味ある人がいたら拙者の note プロフのところから探してくだされ、何かキーワード入れれば検索できるかもだけど)。

さて、この写真の下の YouTube 音源、もしかしたらそのうち消えるかもしれない。そういう意味では、あのミュージック・クリップも YouTube に上げられたその時から既に「絶体絶命の窮地」, Dire Straits ♫

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Dire Straits 〜 Dire Straits' self-titled debut album released on October 7, 1978

Side one
1. "Down to waterline"
2. "Water of love"
3. "Setting me Up"
4. "Six Blade Knife"
5. "Southbound again"

Side two
1. "Sultans of Swing"
2. "In the Gallery"
3. "Wild West End"
4. "Lions"

Dire Straits のカヴァー写真は、1983年夏にアテネで撮った写真にちょっとだけ似てるのだった

ちょっとだけだなぁ(笑)。アテネ、夕刻のアクロポリスの丘。

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前日、1983年7月13日のアテネ、アクロポリス、パルテノン神殿。

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あ、また手がすべった、1983年夏ではなくて昨年、2020年の夏、日本「敗戦記念日」の前日に、その更に前日 8月13日に note 投稿した「靖国神社 (1869-1945-2001-2020) 〜 ネオナチまがいの排外主義者が首都で18万票を獲得する国 (2020)」と題するテキストに筆者以外 2人しか触らないことに嫌気が差し(大袈裟な!)、ちょっと釣りしてみようと単なる「神殿」つながりでやってみたが、予想通り(笑)釣れなかった時の note 投稿、2020年8月14日付。

今日のカオス投稿のボーナス・トラックは 〜 Rickie Lee Jones ♫

今日の note 投稿のタイトル上、そしてカオス投稿の幕開けの章で取り上げた人物、Ernesto "Che" Guevara,

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ベレー帽を被って葉巻を咥えて、

おっと、ベレー帽(「の・ようなもの」, 1981年 日本映画)を被って、葉巻のようなもの、いやこれは単なる紙巻き煙草かな、まぁとにかく(ちょっとだけ!)似てるではないか、Rickie Lee Jones ♫ 

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歌、いきましょう ♫ 1979年、大学に入って札幌のミスドで深夜バイト(夜から朝までやったりしたが、翌朝の帰りに売れ残りのドーナツをもらえるのが嬉しかった)してた時、店でよくかかっていた、同年のヒット曲 "Chuck E.'s in Love" ♫

Chuck E.'s in Love 〜 from Rickie Lee Jones' 1979 eponymous debut album

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。歌詞に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.2 加筆/削除/編集)。

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Coolsville / Young Blood / Chuck E.'s in Love 〜 from Rickie Lee Jones' eponymous debut album, released on February 28, 1979


最期じゃなくて最後、いや最後から 2番目は 〜 Tom Waits ♫

理由はモノクローム Monochrome (Kodachrome を今日のカオス投稿の第二章「ではでは、話を本日の主題に戻して、『ただの日本人』の バンコク 1984年 〜 Almost Cut My Hair ♫」の冒頭で取り上げていたのだった), モノクロ系のイメージが今日のカオス投稿のタイトルと最初の章で取り上げた Ernesto "Che" Guevara に何となくマッチするし、それにボーナス・トラック 1曲目の Rickie Lee Jones とその昔、付き合っていたことがあるのだ、理由はそれだけ(かもしれないし、もっとあるかもしれない、あると思う、まちょっと覚悟はしてくれ、というセリフが入っている日本人歌手のあの歌は嫌いだけど) 〜 Tom Waits ♫

Ol' '55 〜 the opening track and lead single from Tom Waits' debut studio album "Closing Time" released on March 6, 1973 on ASYLUM Records

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。歌詞に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.2 加筆/削除/編集)。

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もう一曲、「放浪」のイメージに何となく近い 〜 Tom Traubert's Blues (Four Sheets to the Wind in Copenhagen) ♫

Tom Waits ならぬ拙者、つまりこの note 投稿の筆者、コペンハーゲンも行ったけれど、コペンの話や写真まで入れたらキリないからなぁ(もう既に「キリ」超えてるような気もするが)。

Tom Traubert's Blues (Four Sheets to the Wind in Copenhagen) 〜 from Tom Waits' fourth album "Small Change", released on September 21, 1976 on ASYLUM Records

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。歌詞に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.2 加筆/削除/編集)。

これで今日のカオス投稿は終わり。


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