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ワルシャワ・ゲットー蜂起, アウシュヴィッツ から、 パレスチナ へ

ワルシャワ・ゲットー蜂起: 1943年4月19日 - 5月16日

今週月曜日, 2021年4月19日は、「ワルシャワ・ゲットー蜂起」すなわち 1943年4月から5月にかけて起きたポーランドのワルシャワ・ゲットーにおけるユダヤ人レジスタンスによる対ナチス・ドイツ武装蜂起の開始日から、78周年に当たる日だった。

ゲットーという言葉はアメリカ合州国の映画やブラック・ミュージックの歌詞などに登場することから知られているように、同国(など)の主として大都市におけるアフロ・アメリカンなどマイノリティ(人口比率, いわゆる白人の人口比率の低下などを踏まえると「マイノリティ」は近年においては徐々に相応しくない「言葉」になりつつあるかもしれないが)の密集居住地を指す場合があるが、ここでいう「ゲットー」とは ヨーロッパにおいて歴史的に差別されてきたユダヤ人の強制居住区域を指し、その起源は中世の時代にまで遡るものの、ここではより具体的に言うと前世紀の第二次世界大戦時に東ヨーロッパ諸国を侵略したナチス・ドイツが各国の都市において復活させた「ゲットー」すなわちナチスによるユダヤ人隔離地域を指す。

ワルシャワ・ゲットーは、名前が示す通り(ナチス・ドイツが)ポーランドのワルシャワ市内に設置したユダヤ人隔離地域のことであり、このゲットーは当時ナチスが各地に作ったゲットーの中で最大規模のものであった。1940年11月に完成、同11月16日にナチスによって封鎖されて(入口には警備が置かれ)一般市民の自由な出入りができなくなる一方で、(数字はウィキペディアから引いている)11万3,000人の非ユダヤ人のポーランド人がゲットーとされた地区から追われ、代わって13万8,000人のユダヤ人がその地区に強制移住させられると、さらに1941年2月から4月にかけてはワルシャワ西部から連行された7万2,000人のユダヤ人がこのワルシャワ・ゲットーに送り込まれたということである。

ゲットーの広さはワルシャワ市の2.4%であり、市全体の30%と見こまれたユダヤ人を収容していた。1941年3月の段階で、ワルシャワの「アーリア」区域は、人口92万人、面積138km2、一人あたりの面積150m2あったのに対して、ゲットーは、人口44万5,000人、面積3.36km2、一人あたりの面積7.55m2しかなかった(栗原優著・ミネルヴァ書房『ナチズムとユダヤ人絶滅政策 ホロコーストの起源と実態』70ページ, ただしウィキペディアからの孫引き)。

ゲットーに住まわされたユダヤ人たちは、ゲットーの域外に出たくても、外に出ることが「絶対的に」必要であるということを証明できた場合にのみ通行許可証を与えられて出入り口を通過することができたという有り様で、極めて非人道的な扱いが為されていた。ゲットーは、言わば陸の孤島であり屋根の無い巨大な監獄であった。

ゲットーにおけるユダヤ人の生活は極めて過酷なもので、域外への自由な移動ができないということだけでなく、その結果として伝染病の蔓延や飢餓などを原因とする多くの死者が出ることにもなった。そして、1942年に入るとナチスは、ゲットー内のユダヤ人をユダヤ人虐殺すなわちホロコーストを目的とした強制収容所(絶滅収容所, 犠牲者の多くはユダヤ人だがそのほか当時「ジプシー」と呼ばれていたロマ, 同性愛者, また一部ソ連軍の捕虜や非ユダヤ人のポーランド人も犠牲となった)に強制的に移送するようになった。ゲットーに住まわされたユダヤ人だけでなくその他のヨーロッパ各地のユダヤ人がゲットー経由もしくは直接的に収容所に移送され、ワルシャワ・ゲットーからも半分以上の人口が強制収容所に移送されている。

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上の写真は、ナチスによる収容所への移送中、ゲットー内を行進させられるワルシャワ・ゲットーのユダヤ人たちを撮ったもの(アメリカ合州国・ワシントンにある United States Holocaust Memorial Museum, ホロコースト記念博物館 所蔵)。

こうしたなか、この, ナチス・ドイツが設置した各地のユダヤ人隔離地域「ゲットー」のうち幾つかでは反ナチスの武装蜂起が発生したが、ナチスの巨大な武力の前で全て失敗に終わり、武装蜂起したユダヤ人たちの大多数は無惨に、ナチスによって文字通り無慈悲に殺害された。

それらゲットーにおける武装蜂起の最大規模のものが、ワルシャワ・ゲットー蜂起だった。

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(武装蜂起に立ち上がったのは男性だけでなく、女性の戦闘員も多数いた。)

1943年4月19日、強制収容所への移送に抵抗してゲットー内に残っていたユダヤ人住民を一人残らず強制移送することを目的に、ナチス武装親衛隊(Waffen-SS: 武装SS, SS はナチス親衛隊; ドイツ語 Schutzstaffel [Schutz 護衛, Staffel 部隊] の略称)と警察部隊がワルシャワ・ゲットーを包囲、さらにゲットー内に侵入したことに対して、ゲットー内のユダヤ人戦闘組織をはじめとする抵抗組織のメンバー750人ほどが手作りの火炎瓶や手榴弾, ごく少数の機関銃などで迎撃した(初日だけは侵入者ナチスの勢力を撤退させることができた)。それが「ワルシャワ・ゲットー蜂起」の始まりだった。

「ワルシャワ・ゲットー」におけるユダヤ人のナチス・ドイツに対する抵抗、それはゲットーに閉じ込められた側の, 絶望的な武装蜂起だった。

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この「ワルシャワ・ゲットー蜂起」は結局、5月16日までの 28日間にわたって続き、最終的にはナチス・ドイツ「国防」軍やナチス武装親衛隊などの巨大な軍事力・武力によって鎮圧され、この時のゲットーのユダヤ人側の犠牲は、1万4,000人から 2万人近い規模の死者を数えることになった(ナチス側の死者は16人という記録が残っている)。ユダヤ人はその他 5万人以上がナチス・ドイツ側の捕虜となり、うち7,000人は射殺され、多くが収容所に強制移送されたという。

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(ナチスの捕虜となり、ナチス武装親衛隊に連行されるユダヤ人たち)

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(貯蔵庫に隠れていたユダヤ人たちを捕える, ナチス・ドイツの兵士たち)

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(ナチス・ドイツは女性や子どもたちをも容赦なく連行した。)

以下の 7枚の写真(4枚目以降は ワルシャワ・ゲットー蜂起の際に撮られたものは、今年 1月20日に note 投稿した イスラエル批判を「反ユダヤ主義」として封じようとすることの度し難い愚かさ と題するテキスト(リンクを今日の本 note 投稿の付録として最後に付す)の中の 「決して忘れはしない」 〜 ナチスによるユダヤ人虐殺の記録 という見出しの章で取り上げた、「昭和三十六年二月十二日」に発行された当初に私の父が買い、私が小学校高学年の頃に初めて読んで(文章と非常に多くの記録写真, 子どもは勿論だが大人が見ても衝撃を受ける, アウシュヴィッツ強制収容所などで撮られた, 目を背けたくなるような写真を多数含む)、大学に入学する時に18年間暮らした田舎町を発つ際、父から譲り受けた,

ナチス(による)虐殺の記録「決して忘れはしない」〜 WE HAVE NOT FORGOTTEN: 1939-1945

というタイトルの書籍(1959年にポーランド・ワルシャワで出版された、極めて貴重な、かつ大量の写真 [見るに堪えない残忍で惨たらしいナチスの蛮行が記録された写真の数々] が掲載され、その解説が書かれた、"WE HAVE NOT FORGOTTEN" というタイトルの書籍の日本語版から 撮ったものである。

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4) 写真右頁(キャプションより)「ユダヤ人戦闘員組織の婦人たち」「1943年4月19日、絶滅を宣告されたワルソー・ゲットー(原文ママ, ワルシャワ・ゲットーのこと)の住民たちは武器をとった。ユダヤ人戦闘員組織がまず立ちあがり、空前絶後の英雄的な戦闘が27日間(注:厳密には28日間)つづいた......」

左頁・上「ドイツ砲兵はワルソー・ゲットー(原文ママ, ワルシャワ・ゲットーのこと)の住宅地中心部に砲撃を加えた」
下「ゲットーでの市街戦中、SS(ドイツ突撃隊員)(原文ママ, ナチス親衛隊員のこと)が隠れ家にひそむユダヤ人を逮捕した」

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5) 左「抵抗の拠点を掃討するために、ドイツ軍は一般住民のアパートを焼いた。写真はゲットーの住民が焼けた窓から飛び下りたところ」

下(右頁の下のこと)「ワルソー・ゲットー(原文ママ, ワルシャワ・ゲットーのこと)の殺戮者。ドイツ突撃隊員(注:SS, ナチス親衛隊員のこと)たちは抵抗の拠点の攻撃効果をみまもっている」

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6) (本章の前段で掲載した写真と同じもの)「おびえる無抵抗な一般市民たちを住居から引き出す、ドイツ突撃隊員(注:SS, ナチス親衛隊員)」

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7) 「蜂起した民衆は残酷な鎮圧をうけた。ゲットーは炎の海と化した」(注:ユダヤ人たちの抵抗を鎮圧するためナチス・ドイツは焦土作戦を行ない、ワルシャワ・ゲットー内の建物を一棟ずつ焼き払ったため、ユダヤ人たちがもともとナチスによって強制的に居住させられたゲットーの域内は文字通り「火の海」となった)

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1948年に「建国」されたイスラエル, そして イスラエル と パレスチナの今

以下に示すのは、1947年の「パレスチナ」を中心に置いた地図である(なお、その下にイスラエルとパレスチナの今現在を象徴する、二つのユダヤ系アメリカ人団体による直近のインスタグラム投稿を紹介する)。現在ここに、

1) 1947年11月29日に第二次世界大戦後に新たに組織された当時まだ欧米諸国が支配的だった国際連合の総会において採択された不当な国連パレスチナ分割決議案(19世紀末からのシオニズムによるユダヤ人のパレスチナへの移民運動がナチス・ドイツによるユダヤ人弾圧とホロコーストによって加速度的に拡大した結果パレスチナ域内のユダヤ人人口が急激に増大した後の当時でさえユダヤ人人口は同域内のアラブ系住民=現在言うところの「パレスチナ人」の人口の半分に満たず且つユダヤ人側の土地所有率に至っては前述の経緯によりパレスチナ全域の7-8%程度であったその時にパレスチナの土地の半分以上をユダヤ人のための国家「イスラエル」の領土とするという極めて不当・不公平・不平等な案)、そしてシオニスト民兵によるアラブ系=現在言うところの「パレスチナ人」に対する民族浄化および第一次中東戦争における「領土」獲得によってできた1948年「建国」の「イスラエル」という名の国の "48テリトリー"(そのイスラエルが 1967年6月まで支配していた範囲)、ならびに, 

2) そのイスラエルによる "48テリトリー" を除く旧「イギリス委任統治領パレスチナ」地域1967年6月の第三次中東戦争によりイスラエルがエジプトのシナイ半島およびシリアのゴラン高原の一部とともに占領したパレスチナ地域内の東エルサレムを含むヨルダン川西岸地区ならびにガザ地区因みにこれら1967年6月の侵攻による「占領地」からのイスラエルの撤退を同年1967年11月22日に採択された国連安保理決議242号が要請しているのだが、これまでイスラエルがこれに従ったのはエジプトのシナイ半島のみであって、その他は半世紀以上経過した今現在もイスラエルが国連安保理決議に違反して「占領」を継続, 且つ ガザ地区については軍事封鎖中である)がある。

<<イスラエルという国の 1948年の「建国」やその後の「領土」「占領地」拡大の経緯があって、一気に書くとこうなってしまうという!>>

筆者は双方を, 合わせて 3週間ほど旅したことがあるが(1983年秋)、当時この眼で直に見たイスラエルによるパレスチナ人に対する人権弾圧の実態は、悲しいかなその後さらに悪化し、いま現在, 当時と比べても極めて深刻な状況にあると言ってよいだろうと思う。

以下に示す 1947年の「パレスチナ」の地図には、「イスラエル」という国はない。当然である。当時、存在していなかったのだから。 

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次に、以下に、アメリカ合州国において、イスラエルによるパレスチナ人に対する弾圧に抗議の声を上げると共に「母国」アメリカ合州国による不当なイスラエル側のみへの肩入れ(アメリカ合州国は現在, 年間38億ドルという巨額の軍事援助をイスラエルに対して行ない、また同国は, 国連安保理でイスラエルによるパレスチナ人に対する国連安保理決議違反の「占領」継続政策やジュネーヴ条約違反の占領地における入植活動などに対する非難決議が行なわれようとするとほぼ常に拒否権を発動してイスラエルを不当に「守護」してきている)にも異議を唱え、イスラエルによるシオニズムやアパルトヘイトと見做される政策に反対の声を上げ続けている二つのユダヤ系アメリカ人団体によるインスタグラム上の投稿を紹介する。

一つは Jewish Voice for Peace の現地時間で昨日(2021年4月22日)、もう一つは IfNotNow の同じく 2021年4月22日(現地時間で昨夜)の投稿であるが、共に、エルサレムで現在進行形で起きている武装した右派イスラエル人(イスラエルには 1948年のイスラエル「建国」時に難民として域外に出ずに済んだアラブ系住民=基本的に現在言うところの「パレスチナ人」なのだが法律上はイスラエルの市民権を持つ, しかし「パレスチナ人」としてのアイデンティティを持つ人が少なくない= およびその子孫もいるが、ここでいうイスラエル人は当然ながらユダヤ人国家「イスラエル」の多数派を占めるユダヤ人, 右派は極右と言ってもよいが「極右」という言葉の語感に反して「極右」はイスラエルにおいてはもはや決して少数派ではない)による、エルサレムに住むアラブ人(パレスチナ人, 念のため記しておくと少なくともエルサレム旧市街がある東エルサレムは1967年以降のイスラエルによる国連安保理決議違反の「占領地」内にある)に対する暴力行為 = 言葉による暴力から実際上の暴力を含む = に向けて深い、極めて深刻な憂慮を表明したものである。

なお、IfNotNow の投稿テキストにある "pogrom",  ポグロムはもともとロシア語で「破滅」「破壊」を意味する言葉であり、通常、ユダヤ人に対して行なわれる殺戮や略奪、破壊行為などの集団的迫害行為を指して使う言葉である。

1) Jewish Voice for Peace によるインスタグラム投稿、その投稿テキストと投稿(スワイプして 2頁分)へのリンク。

Armed far-right Israeli civilians in Jerusalem are committing blood-curdling violence against Palestinians and chanting genocidal slogans such as “death to Arabs.
They have already injured over 30 people. Swipe left to see them attack a Palestinian home while children cry in the background. These are the kinds of violent acts they are perpetrating en masse.
We must keep our eyes on and our hearts with the Palestinians of Jerusalem tonight.

2) IfNotNow によるインスタグラム投稿(スワイプして 2頁分)。上に書いたように、"pogrom" は通常、ユダヤ人に対して行なわれる殺戮や略奪、破壊行為などの集団的迫害行為を指して使う言葉。

Our statement regarding tonight's pogrom in Jerusalem:

ワルシャワ・ゲットー蜂起, そしてアウシュビッツ強制収容所・マイダネク強制収容所の生存者である両親のもとに生まれた, ユダヤ系アメリカ人政治学者の, イスラエルによるパレスチナ人弾圧に対する激しい怒り

最初に一点、書いておきたいのだが、冒頭の章で 1940年代当時のナチス・ドイツ支配下のユダヤ人隔離地域であったゲットーについての記述をした際、ゲットー内に強制的に住まわされたユダヤ人たちは、ゲットーの域外に出たくても、外に出ることが「絶対的に」必要であるということを証明できた場合にのみ通行許可証を与えられて出入り口を通過することができたという有り様であったということを書いたのだが、例えば その点、現在イスラエルによって軍事封鎖されたパレスチナ・ガザ地区や、ヨルダン川西岸地区でパレスチナ人の移動を繰り返し繰り返し妨げている,「占領」軍であるイスラエル軍がパレスチナ人の出入りを厳しくコントロールする為にイスラエル側が設置している無数のチェック・ポイントの存在を, 想起させるものがある。ガザ地区はまさしく「言わば陸の孤島であり屋根の無い巨大な監獄」であって、東エルサレム並びにその他のヨルダン川西岸地区内のパレスチナ人の街も, 居住民(パレスチナ人)に対するイスラエル側の非人道的行為の深刻さについては, 似たり寄ったりの有り様である。

さて、最後に、ユダヤ系アメリカ人の政治学者・作家で、反シオニストの活動家でもあるノーマン・フィンケルスタイン(Norman Finkelstein, 1953年ニューヨーク生まれ)の言葉(ヴィデオ)を掲載する。これは筆者のこれまでのパレスチナ/イスラエル問題にかかわる note 投稿の中で複数回紹介しているものだが、繰り返し繰り返し取り上げる価値があり、また今日の note 投稿テーマに関わって相応しいので、今日ここであらためて紹介することにする。

このヴィデオの中で本人が(ある意味, 止むに止まれず)語っている通り、ノーマン・フィンケルスタインの両親は共にナチス・ドイツが設置したワルシャワ市内のユダヤ人隔離地域であった「ワルシャワ・ゲットー」、そして "Warsaw Ghetto Uprising", すなわち今日の本 note 投稿で取り上げた, ユダヤ人がナチスに対して絶望的な蜂起をした「ワルシャワ・ゲットー蜂起」の生存者で、母親は更にナチス・ドイツがポーランドに建設したマイダネク強制収容所の生存者でもあって、父親は更にアウシュヴィッツ強制収容所の生存者でもある。

以下のヴィデオで聴くことができるのは(英語、英語字幕付き)、その彼が、(反)ナチス、(反)ホロコースト等に言及してイスラエルをひたすら「擁護」する人たち、そんな特にイスラエル人もしくはユダヤ人に向けて、同じユダヤ人(ユダヤ系アメリカ人)として語った言葉である。

付録:関連 note 投稿リンク

冒頭の章で写真を数枚掲載した ナチス(による)虐殺の記録「決して忘れはしない」〜 WE HAVE NOT FORGOTTEN: 1939-1945 というタイトルの書籍に関することを書いていた, 以前の note 投稿へのリンクを以下に残す。

投稿のタイトルは、イスラエル批判を「反ユダヤ主義」として封じようとすることの度し難い愚かさ である。


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