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Carpe Diem.

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読んで字の如し。
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#音楽

911 記念 〜 自分の誕生日(1960), シリアの現職・独裁大統領の誕生日(1965), アメリカがチリの民主主義を殺した日(1973), シリア・パルミラの都市遺跡を訪問した日(1983), アメリカが「宗教」狂信者に攻撃された日(2001), 拙者の note 開始日(2019) 〜 誕生日リクエスト(2021), 今日は 歌詞和訳付きで この歌で締め, "Ol' '55" (Tom Waits) ♫

ナンセンス込みの前説9月11日は 62年前の拙者の誕生日でもあり, 3年前の拙者の note 開始日でもあり, そして他にも ... 。というわけで, 今日の拙者の note は, 911 記念 note リンク集「の・ようなもの」。 あ, あの映画は 911 とは関係ないですね。「リンク集のようなもの」と書こうとしたら, というか「のようなもの」と言おう・書こうとするといつも思い出してしまう懐かしい映画タイトル(しかしこの映画そのものは観てなかったと思う, 笑), ただ

The Dangling Conversation 宙ぶらりんの会話 by Simon & Garfunkel 〜 歌詞和訳

前説を少しばかり..Simon & Garfunkel が 1966年10月24日にリリースした 3枚目のアルバム "Parsley, Sage, Rosemary and Thyme", その LPレコードの B面 1曲目に収録されていた, 美しい旋律とハーモニーに彩られた曲。 シングルとしてもリリースされ, Billboard Hot 100 で最高25位を記録している。ある意味「地味」な曲調を踏まえれば, 商業的成功としては「いい出来」だったとも思えるのだが, Pau

ポール・サイモンのゴスペル調ロック "Gone at Last" 〜 歌詞和訳

Paul Simon が Phoebe Snow (July 17, 1950 – April 26, 2011) とデュエットし, ゴスペル・シンガーである Jessy Dixon (March 12, 1938 – September 26, 2011) による Jessy Dixon Singers がコーラスを付けたアップテンポの曲。1975年10月25日にリリースされ, 翌年グラミー賞の最優秀アルバム賞を受賞した Paul Simon の 4枚目(S&G解散後では

ビートルズ 「歌詞」 和訳 note リンク集 〜 39年前の今日 1983年5月23日に, 更にその昔 ビートルズ が「青春」の日々を過ごした街, ハンブルク に着いた「記念」

なんと大袈裟なタイトル(笑)。39年前の今頃, 自分がハンブルク にいたこと自体は事実。でも一方で「歌詞」 和訳 note リンク集と言っても ビートルズ の歌の歌詞はこれまで 3曲しか和訳したことがないのだった。 .. というわけで, ジョン・レノン のソロの歌の「歌詞」和訳も追加 ♫ 1983年4月26日に 横浜港からのフェリーで 日本 を発ち, 当時の ソ連, そして フィンランド, スウェーデン, ノルウェー, デンマーク を経て, 当時の 西ドイツ へ 〜 最初

39年前の今日 コペンハーゲン に着いた記念 〜 柳ジョージ&レイニーウッド の 横浜 の 「コペンハーゲン・パーク」 ♫

1983年4月26日に 横浜港 から 当時の ソ連・ナホトカ 行き 2泊3日のフェリーの旅で 日本 を発ち, ソ連 を鉄道で横断しながら旅し(ナホトカ から ハバロフスク までも鉄道, そして当時の ウラジオストク は軍事的理由で外国人は自由に出入りできなかったので ハバロフスク から モスクワ までが シベリア鉄道), その後, フィンランド・ヘルシンキ に 1泊2日, スウェーデン・ストックホルム に 2泊3日, ノルウェー・オスロ にも 2泊3日 滞在。オスロを 5月1

1983-84年ユーラシア大陸(+アフリカ大陸北東端!)「ほぼ」一周の旅, note リンク集

前説最初に念の為に書いておくと, この前文の下にある 本 note 目次つまり旅 note リンク に付いている, それぞれのタイトルには, 「(写真 .. 枚)」と書いてあったりなかったりするものがあるのだが, 後者であっても, すなわちそうした記載がなくとも, 殆どの note にそれぞれの土地で撮った写真は掲載してある。ではでは。 さて, 以下の前文は, 本 note を投稿する今日 2022年5月11日 から振り返ってのこと。本 note は随時更新していくので,

1983年4月26日, 39年後の同日つまり今日と同じ火曜 〜 ユーラシア大陸「ほぼ」一周の旅へ出発, 横浜港からの船で向かった先は当時のソ連, 今のロシア!

今からちょうど39年前の1983年4月26日は, 今日2022年4月26日とたまたま曜日が同じ, 火曜日だった。いや, 暦を踏まえれば, この39年間に過ぎていった日数を 7で割ると割り切れるというわけだから, これは偶然というより必然といえばいいのか。そもそも曜日が一緒というのは大した意味があるわけでもないけれど。それはさておき, 旅立つ前 1) 1960年911 に知る人ぞ知る!静岡県の遠州森町というところで生まれた拙者(いきなり「帰国」「帰郷」note へのリンクだけ

1984年2月4日 帰郷 〜 1983年4月26日に日本を発ってソ連・欧州・中東(西アジア)・アジア諸国を旅して 285日目

前説1983年4月26日, 1960年9月11日に「秋葉路や, 花橘も茶の香り。流れも清き太田川, 若鮎躍る頃」から3ヶ月ぐらい後だろうか「松も緑の色も冴え」た時期は過ぎ, 夏が終わった頃に「遠州森町良い茶の出どこ, 娘やりたやお茶積みに, ここは名代の火伏の神。秋葉神社の参道に, 産声あげ」た「快男児」(だったかどうか判然としないが, 笑)「昭和の」じゃなくて令和の「御代」(って俺は天皇制要らないよ論者だが, 笑)「まで名を遺す」(いや俺は, 天皇制がまだ続くなら次の年号以

1984年2月, 初めて訪れた広島平和記念公園

1983年4月26日に横浜を発ってフェリーで当時のソ連のナホトカに向かい, その後, ソ連・欧州・中東(西アジア)・アジア諸国を旅し, 最後の訪問国であった韓国の釜山からフェリーで下関に着いて帰国したのが, 1984年2月1日。下関からひとまず静岡県の自分の田舎の家に戻る途中, 後輩が広島大学にいたこともあって, 広島に立ち寄った。初めて訪れた広島には3泊し, 滞在中, 2月2日と3日の2回にわたり広島平和記念公園に行った。タイトル上の写真は 2月3日に撮影。3日前の1984

韓国 1984年1月の11日間 〜 1983年4月に日本を発ってから足掛け10ヶ月目, 全斗煥軍事独裁政権時代に旅した初めての韓国, 板門店も

1984年1月と言えば, 1980年5月の光州事件からまだ4年足らず。北はまだ金日成の時代。因みに日本のいわゆる「韓流」ブームの第一次の時期は2003年から翌年にかけて放映された「冬ソナ」が切っ掛けということになるが, 韓国ブームらしきものは実はそれ以前にもあった。1970年代後半には韓国の歌謡曲が流行った時期があったし, 1980年代に入ると, 歌謡の世界だけでなく文化全般から国情の広範囲にわたる関心が高まった時期があった。1984年には関川夏央の「ソウルの練習問題」がベス

コルカタで見た 「火の車」 は現実だったのか幻だったのか 〜 カルカッタ, 1984年1月4-7日

インドのコルカタは当時は「カルカッタ」と呼ばれていた。第2章でそれ書いてたら, いつの間にか, 今日の note タイトルと関係ないポリコレ話に脱線していた。 コルカタ(当時は「カルカッタ」)の前までの話 〜 1983年4月26日に日本を発って, ソ連・ヨーロッパ諸国・トルコ・シリア・ヨルダン・パレスチナ/イスラエル・エジプト, 再びのトルコ, 更にイラン, パキスタンを旅してからインドへ, インドではアムリトサル, ダラムサラ, デリー, アグラなどを旅し, 年末には首都

釈迦牟尼が 紀元前530年頃に悟りを開いた場所, インド・ブッダガヤの大菩提寺(紀元前260年創建)を訪ねた, 1984年1月3日

釈迦牟尼はサンスクリット語の発音ではガウタマ・シッダールタに近く, パーリ語の発音ではゴータマ・シッダッタに近いらしい。兎にも角にも, 1983年9月から10月にかけてベツレヘム, ナザレ, エルサレムなどアブラハムの「世界宗教」であるキリスト教とイスラム教の聖地を訪ねた拙者は(上に挙げたなかではイスラームにも直結はエルサレムだけかな, まぁイスラームもキリストを預言者としては認めてるわけだけど), 「世界三大宗教」なんぞという言い方をする時に先に言及した二つに加えられる仏教

ガンガー(ガンジス川, インド・ヴァーラーナシー)で 拝んだ 初日の出 〜 1984年1月1日

昨年4月から, 1983年4月から翌1984年2月にかけての「放浪」もどきの旅について, 38周年の日にピッタリだったり近い日だったりの期日に投稿するかたちで各国各都市各街各遺跡などの旅 note を連載してきた, 音楽やパレスチナ問題, 宗教関連など自分の関心が向く他のトピックの note を挟みながらなので, 断続的な「連載」だけれど。 1983年4月26日に日本を発って, ソ連・ヨーロッパ諸国・トルコ・シリア・ヨルダン・パレスチナ/イスラエル・エジプトを旅し, カイロ

旅と音楽と社会批判の不器用な生き方 〜 今年の自分の note に係る記録を, 折角の機会なので note 投稿して残す

不器用ですから 今日の note のお題, 「折角だから」と書こうとしたんだけけど, 厳密に言うとそれは「折角」の誤用のようなのであった。せっかく角を折ろうとしたのに。まぁ兎に角が生えても, あ, 兎にも角にも, あ, はい, 面倒くさい人間です自分は, というわけで, 兎にも角にも, 昨日 note 事務局から今年の自分の note に関する記録をいただいた角を折る機会に, あ, はい, 面倒くさい人間です自分は, 不器用ですから.. また戻ってしまった自分は「不器