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音楽がなければ、人生はただの間違いだろう。

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"Without MUSIC, LIFE would be a mistake." 音楽がなければ、人生はただの間違いだろう。― Friedrich Nietzsche フリード… もっと読む
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#1983年

ビートルズ 「歌詞」 和訳 note リンク集 〜 39年前の今日 1983年5月23日に, 更にその昔 ビートルズ が「青春」の日々を過ごした街, ハンブルク に着いた「記念」

なんと大袈裟なタイトル(笑)。39年前の今頃, 自分がハンブルク にいたこと自体は事実。でも一方で「歌詞」 和訳 note リンク集と言っても ビートルズ の歌の歌詞はこれまで 3曲しか和訳したことがないのだった。 .. というわけで, ジョン・レノン のソロの歌の「歌詞」和訳も追加 ♫ 1983年4月26日に 横浜港からのフェリーで 日本 を発ち, 当時の ソ連, そして フィンランド, スウェーデン, ノルウェー, デンマーク を経て, 当時の 西ドイツ へ 〜 最初

39年前の今日 コペンハーゲン に着いた記念 〜 柳ジョージ&レイニーウッド の 横浜 の 「コペンハーゲン・パーク」 ♫

1983年4月26日に 横浜港 から 当時の ソ連・ナホトカ 行き 2泊3日のフェリーの旅で 日本 を発ち, ソ連 を鉄道で横断しながら旅し(ナホトカ から ハバロフスク までも鉄道, そして当時の ウラジオストク は軍事的理由で外国人は自由に出入りできなかったので ハバロフスク から モスクワ までが シベリア鉄道), その後, フィンランド・ヘルシンキ に 1泊2日, スウェーデン・ストックホルム に 2泊3日, ノルウェー・オスロ にも 2泊3日 滞在。オスロを 5月1

1983-84年ユーラシア大陸(+アフリカ大陸北東端!)「ほぼ」一周の旅, note リンク集

前説最初に念の為に書いておくと, この前文の下にある 本 note 目次つまり旅 note リンク に付いている, それぞれのタイトルには, 「(写真 .. 枚)」と書いてあったりなかったりするものがあるのだが, 後者であっても, すなわちそうした記載がなくとも, 殆どの note にそれぞれの土地で撮った写真は掲載してある。ではでは。 さて, 以下の前文は, 本 note を投稿する今日 2022年5月11日 から振り返ってのこと。本 note は随時更新していくので,

1983年5月9日 〜 ソ連の対ナチスドイツ戦勝記念日当日, 首都モスクワにいたのだった

今般のロシアによるウクライナ侵略により, 今日 2022年5月9日, すなわち今年のロシアの対ナチスドイツ戦勝記念日が, 例年のそれ以上に世界の注目を浴びている。要は今日プーチンが何を言うか, その内容によりこの戦争の今後の成り行きを占う, もしくは検討できる可能性があるからなのだが。 ロシアのウクライナ侵略は何によっても正当化することができず, ロシア軍が即刻ウクライナの領土から撤退すべきであることは論を待たないのだが, 本 note はそれについて書こうとするものではな

1983年4月26日, 39年後の同日つまり今日と同じ火曜 〜 ユーラシア大陸「ほぼ」一周の旅へ出発, 横浜港からの船で向かった先は当時のソ連, 今のロシア!

今からちょうど39年前の1983年4月26日は, 今日2022年4月26日とたまたま曜日が同じ, 火曜日だった。いや, 暦を踏まえれば, この39年間に過ぎていった日数を 7で割ると割り切れるというわけだから, これは偶然というより必然といえばいいのか。そもそも曜日が一緒というのは大した意味があるわけでもないけれど。それはさておき, 旅立つ前 1) 1960年911 に知る人ぞ知る!静岡県の遠州森町というところで生まれた拙者(いきなり「帰国」「帰郷」note へのリンクだけ

1984年2月4日 帰郷 〜 1983年4月26日に日本を発ってソ連・欧州・中東(西アジア)・アジア諸国を旅して 285日目

前説1983年4月26日, 1960年9月11日に「秋葉路や, 花橘も茶の香り。流れも清き太田川, 若鮎躍る頃」から3ヶ月ぐらい後だろうか「松も緑の色も冴え」た時期は過ぎ, 夏が終わった頃に「遠州森町良い茶の出どこ, 娘やりたやお茶積みに, ここは名代の火伏の神。秋葉神社の参道に, 産声あげ」た「快男児」(だったかどうか判然としないが, 笑)「昭和の」じゃなくて令和の「御代」(って俺は天皇制要らないよ論者だが, 笑)「まで名を遺す」(いや俺は, 天皇制がまだ続くなら次の年号以

1984年2月1日 帰国 〜 1983年4月26日に日本を発ってソ連・欧州・中東(西アジア)・アジア各国を旅して 282日目

韓国・釜山港から下関港行きフェリーに乗って帰国, その後, 初めて広島に行き3泊し, 1984年2月4日にとりあえず静岡県の田舎に戻った。計285日。9ヶ月半程度だからバックパッカーの旅としてはそれほど長かったわけでもないが, まだソ連があった時代, そしてベルリンに壁があった時代, そのほか諸々, 現在とは違う, つまりもう「歴史」になっているようなものを見た面はあったわけだし, まぁそんな堅苦しいことを言わずとも, いま振り返って, あの当時の「世界」(の一部!)を自分の

釈迦牟尼が 紀元前530年頃に悟りを開いた場所, インド・ブッダガヤの大菩提寺(紀元前260年創建)を訪ねた, 1984年1月3日

釈迦牟尼はサンスクリット語の発音ではガウタマ・シッダールタに近く, パーリ語の発音ではゴータマ・シッダッタに近いらしい。兎にも角にも, 1983年9月から10月にかけてベツレヘム, ナザレ, エルサレムなどアブラハムの「世界宗教」であるキリスト教とイスラム教の聖地を訪ねた拙者は(上に挙げたなかではイスラームにも直結はエルサレムだけかな, まぁイスラームもキリストを預言者としては認めてるわけだけど), 「世界三大宗教」なんぞという言い方をする時に先に言及した二つに加えられる仏教

ガンガー(ガンジス川, インド・ヴァーラーナシー)で 拝んだ 初日の出 〜 1984年1月1日

昨年4月から, 1983年4月から翌1984年2月にかけての「放浪」もどきの旅について, 38周年の日にピッタリだったり近い日だったりの期日に投稿するかたちで各国各都市各街各遺跡などの旅 note を連載してきた, 音楽やパレスチナ問題, 宗教関連など自分の関心が向く他のトピックの note を挟みながらなので, 断続的な「連載」だけれど。 1983年4月26日に日本を発って, ソ連・ヨーロッパ諸国・トルコ・シリア・ヨルダン・パレスチナ/イスラエル・エジプトを旅し, カイロ

インド, ヴァーラーナシー, ガンジス川を眺めながら過ごしていた, 38年前の年末年始 1週間

ガンガーガンガー(ヒンディー語やサンスクリットではヒンドゥー教の川の女神の名ガンガーがこの川の呼び名, 英語でのこの川の呼称 the Ganges が日本語の「ガンジス川」の由来)と書こうかなと思ったけれど, 日本では今も「ガンジス川」の方が通りがいいかなと思い, やや迷った末にあのようなタイトル表記に。相変わらず面倒くさい人間だ, 拙者は, 健さんに, 今日も合掌 🙏 さてさて, ガンジス川(ガンガー)の前に, インダス川 あり川ができた歴史ではなくて, 「文明」と

タージ・マハル は確かに美しかった, インド・アグラ 〜 1983年12月23日

というわけで, 今日 2021年12月23日は, 我が「タージ・マハル」38周年記念日なのだった。 1983年4月26日に日本を発って, ソ連・ヨーロッパ諸国・トルコ・シリア・ヨルダン・パレスチナ/イスラエル・エジプトを旅し, カイロからイスタンに飛んだ後は2度目のトルコを東へ東へ 〜 そのまま陸路イラン入国, さらにパキスタンを旅し, そして インド に入って, アムリトサル, ダラムサラ に滞在した後, 首都 デリー へ またまた永井豪, じゃなかった長い見出しw..

インドでは市井の人に「哲人」顔の人がいたりする 〜 デリー 1983年12月12日から25日

1983年4月26日に横浜港からのフェリーで当時のソ連を目指し日本を発ってから 7ヶ月半, インドでの 3箇所目の滞在地デリーには 2週間ほどいたことになるけれど, 38年前の「明日」, 1983年12月23日には デリーから日帰りの旅で タージ・マハル で有名な アグラ(アーグラ)にも行っている。タージ・マハル については, 明日(気分次第で明後日かも)別途 note 投稿するつもり。 1983年4月26日に日本を発って, ソ連・ヨーロッパ諸国・トルコ・シリア・ヨルダン

ダラムサラ(インド北部) 〜 チベット難民が住む標高2,000m超の山中で暮らした, 1983年12月の10日間

1983年4月26日に日本を発って, ソ連・ヨーロッパ諸国・トルコ・シリア・ヨルダン・パレスチナ/イスラエル・エジプトを旅し, カイロからイスタンに飛んだ後は2度目のトルコを東へ東へ 〜 そのまま陸路イラン入国, さらにパキスタンを旅し, そして インド に入ってまずは シク教「黄金寺院」の街 アムリトサルに4泊5日滞在なんだこの長尺な見出しは(笑)。まぁ映画じゃなくて週刊, 時には日刊「実話」なんだけど。ともあれ, インド入国までの旅(note リンク等)については前回の旅

インド入国, まずは シク教「黄金寺院」の街 アムリトサル へ 〜 1983年11月29日-12月3日

1983年4月26日に日本を発ってから 7ヶ月余り経過。本 note 第1章はここまでの振り返り。第2章はインド入国(ってか日本出国)序章, 第3章でパキスタンから陸路インドに入国してアムリトサルへ。 1983年4月26日に日本を発って, ソ連・ヨーロッパ諸国・トルコ・シリア・ヨルダン・パレスチナ/イスラエル・エジプトを旅し, カイロからイスタンに飛んだ後は2度目のトルコを東へ東へ 〜 そのまま陸路イラン入国, さらにパキスタンを旅し, ついに インド へ 2度目のトルコ