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音楽がなければ、人生はただの間違いだろう。

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"Without MUSIC, LIFE would be a mistake." 音楽がなければ、人生はただの間違いだろう。― Friedrich Nietzsche フリード… もっと読む
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#日記

西部邁が説く解り易い自由論を, 坂口安吾の「堕落論」につなげてみる

坂口安吾 「堕落論」, その起と結 自分がいま持っているのは 角川文庫版で, 「昭和六十三年六月二十日 改版四十八版」。 坂口 安吾(1906〈明治39〉年10月20日 - 1955〈昭和30〉年2月17日) 「堕落論」の起 堕落論の結 さて, まずは切っ掛けを書いてから。 18年前の文章を いま note に載せる, その切っ掛け 1. 坂口安吾に関しては, いま自分の1983-84年バックパッカー「海外放浪もどき」の旅の 旅 note リンク集を 頻繁に更新して

1983-84年ユーラシア大陸(+アフリカ大陸北東端!)「ほぼ」一周の旅, note リンク集

前説最初に念の為に書いておくと, この前文の下にある 本 note 目次つまり旅 note リンク に付いている, それぞれのタイトルには, 「(写真 .. 枚)」と書いてあったりなかったりするものがあるのだが, 後者であっても, すなわちそうした記載がなくとも, 殆どの note にそれぞれの土地で撮った写真は掲載してある。ではでは。 さて, 以下の前文は, 本 note を投稿する今日 2022年5月11日 から振り返ってのこと。本 note は随時更新していくので,

1983年4月26日, 39年後の同日つまり今日と同じ火曜 〜 ユーラシア大陸「ほぼ」一周の旅へ出発, 横浜港からの船で向かった先は当時のソ連, 今のロシア!

今からちょうど39年前の1983年4月26日は, 今日2022年4月26日とたまたま曜日が同じ, 火曜日だった。いや, 暦を踏まえれば, この39年間に過ぎていった日数を 7で割ると割り切れるというわけだから, これは偶然というより必然といえばいいのか。そもそも曜日が一緒というのは大した意味があるわけでもないけれど。それはさておき, 旅立つ前 1) 1960年911 に知る人ぞ知る!静岡県の遠州森町というところで生まれた拙者(いきなり「帰国」「帰郷」note へのリンクだけ

タイ・バンコク 〜 1984年1月7-21日, 日本を発ってから約9ヶ月経過

タイトル写真は, 1984年1月19日のワット・プラケーオ(วัดพระแก้ว, Wat Phra Kaew; Temple of the Emerald Buddha, エメラルド寺院とも, しかし「ワット・プラケーオ」は本尊の名前が由来か; 寺院の正式名称は วัดพระศรีรัตนศาสดาราม, Wat Phra Sri Rattana Satsadaram, 日本語カタカナ表記としてはワット・プラシーラッタナサーサダーラーム)。カッコ長かったなぁ。 カッコマ

釈迦牟尼が 紀元前530年頃に悟りを開いた場所, インド・ブッダガヤの大菩提寺(紀元前260年創建)を訪ねた, 1984年1月3日

釈迦牟尼はサンスクリット語の発音ではガウタマ・シッダールタに近く, パーリ語の発音ではゴータマ・シッダッタに近いらしい。兎にも角にも, 1983年9月から10月にかけてベツレヘム, ナザレ, エルサレムなどアブラハムの「世界宗教」であるキリスト教とイスラム教の聖地を訪ねた拙者は(上に挙げたなかではイスラームにも直結はエルサレムだけかな, まぁイスラームもキリストを預言者としては認めてるわけだけど), 「世界三大宗教」なんぞという言い方をする時に先に言及した二つに加えられる仏教

ガンガー(ガンジス川, インド・ヴァーラーナシー)で 拝んだ 初日の出 〜 1984年1月1日

昨年4月から, 1983年4月から翌1984年2月にかけての「放浪」もどきの旅について, 38周年の日にピッタリだったり近い日だったりの期日に投稿するかたちで各国各都市各街各遺跡などの旅 note を連載してきた, 音楽やパレスチナ問題, 宗教関連など自分の関心が向く他のトピックの note を挟みながらなので, 断続的な「連載」だけれど。 1983年4月26日に日本を発って, ソ連・ヨーロッパ諸国・トルコ・シリア・ヨルダン・パレスチナ/イスラエル・エジプトを旅し, カイロ

インド, ヴァーラーナシー, ガンジス川を眺めながら過ごしていた, 38年前の年末年始 1週間

ガンガーガンガー(ヒンディー語やサンスクリットではヒンドゥー教の川の女神の名ガンガーがこの川の呼び名, 英語でのこの川の呼称 the Ganges が日本語の「ガンジス川」の由来)と書こうかなと思ったけれど, 日本では今も「ガンジス川」の方が通りがいいかなと思い, やや迷った末にあのようなタイトル表記に。相変わらず面倒くさい人間だ, 拙者は, 健さんに, 今日も合掌 🙏 さてさて, ガンジス川(ガンガー)の前に, インダス川 あり川ができた歴史ではなくて, 「文明」と

ダラムサラ(インド北部) 〜 チベット難民が住む標高2,000m超の山中で暮らした, 1983年12月の10日間

1983年4月26日に日本を発って, ソ連・ヨーロッパ諸国・トルコ・シリア・ヨルダン・パレスチナ/イスラエル・エジプトを旅し, カイロからイスタンに飛んだ後は2度目のトルコを東へ東へ 〜 そのまま陸路イラン入国, さらにパキスタンを旅し, そして インド に入ってまずは シク教「黄金寺院」の街 アムリトサルに4泊5日滞在なんだこの長尺な見出しは(笑)。まぁ映画じゃなくて週刊, 時には日刊「実話」なんだけど。ともあれ, インド入国までの旅(note リンク等)については前回の旅

インド入国, まずは シク教「黄金寺院」の街 アムリトサル へ 〜 1983年11月29日-12月3日

1983年4月26日に日本を発ってから 7ヶ月余り経過。本 note 第1章はここまでの振り返り。第2章はインド入国(ってか日本出国)序章, 第3章でパキスタンから陸路インドに入国してアムリトサルへ。 1983年4月26日に日本を発って, ソ連・ヨーロッパ諸国・トルコ・シリア・ヨルダン・パレスチナ/イスラエル・エジプトを旅し, カイロからイスタンに飛んだ後は2度目のトルコを東へ東へ 〜 そのまま陸路イラン入国, さらにパキスタンを旅し, ついに インド へ 2度目のトルコ

パキスタン 〜 ラホール, 1983年11月26-29日

1983年4月26日に日本を発ってから 7ヶ月経過。本 note 第1章, 第2章はここまでの振り返り note で, 第3章以降が本 note の主題, パキスタン・ラホール 1983年11月の3泊4日滞在記(インドに向かい, 陸路国境越えまで)。 1983年4月26日に日本を発って, ソ連・ヨーロッパ諸国・トルコ・シリア・ヨルダン・パレスチナ/イスラエル・エジプトを旅し, カイロからイスタンに飛んだ後は2度目のトルコを東へ東へ, その後イランを旅して, 引き続き陸路でパ

パキスタン 〜 タフタン, クエッタ; 1983年11月21-26日

1983年4月26日に日本を発って, ソ連・ヨーロッパ諸国・トルコ・シリア・ヨルダン・パレスチナ/イスラエル・エジプトを旅し, カイロからイスタンに飛んだ後は2度目のトルコを東へ東へ, その後イランを旅して, 引き続き陸路でパキスタンへ1983年4月26日に横浜港を発って, まずは半年間かけたソ連・ヨーロッパ諸国・トルコ・シリア・ヨルダン・パレスチナ/イスラエル・エジプトの旅については, 以下 note 1) の第1章 1983年4月26日に日本を発ってから 6ヶ月 〜 ソ連

イラン, 革命から4年後のエスファハンとザヘダン 〜 1983年11月17-21日

1983年4月26日に日本を出て, ソ連・ヨーロッパ・中東諸国を旅し, 11月15日からはイラン・イスラム共和国, まずは首都テヘラントルコ側の国境の町ドグバヤジッドから陸路 国境を越え, まずは首都テヘランに滞在, については以下 note で, 日本を出てからそこまでに関しては以下 note 第6章 イランに入る前の, 2度目のトルコ滞在記 〜 1983年4月26日の日本出発以降そこまでの各国各都市の旅 note 全リンク付き にて。 因みに第1章は イラン革命, 「た

イラン, 革命から4年後のテヘラン 〜 1983年11月15-17日, Teach Your Children ♫

1983年4月26日に横浜港からのフェリーで日本を発って, 半年かけてソ連・ヨーロッパ諸国・トルコ・シリア・ヨルダン・パレスチナ/イスラエル・エジプトを旅し, 同年10月26日にあの旅で初めて飛行機を使ってカイロからイスタンブールに飛び, 2度目のトルコでは 2度目のイスタンブール, 初めてのアンカラと旅を続け, その後, イランとの国境の町ドグバヤジッドに滞在, そこから陸路, 11月15日に1979年の革命(結果としてイスラム革命)から4年後のイラン・イスラム共和国に入っ

旧約聖書の御伽噺「ノアの方舟」が着いたとされるアララト山を拝んだ, ドグバヤジッド(トルコ), イランとの国境の街にて 〜 1983年11月12-15日

因みにアララト山を「拝んだ」のは聖書を信じているからでは全くなく, 自然を畏怖しているから。 1983年4月26日に日本を発って, 半年かけてソ連・ヨーロッパ諸国・トルコ・シリア・ヨルダン・パレスチナ/イスラエル・エジプトを旅した後, 同年10月26日より再びのトルコ1983年4月26日に横浜港を発って, まずは半年間かけたソ連・ヨーロッパ諸国・トルコ・シリア・ヨルダン・パレスチナ/イスラエル・エジプトの旅については, 以下 note *1(イスタンブール再訪記)の第1章