マガジンのカバー画像

宗教批判、および宗教に少しでも関係があるもの

141
何故この画像なのかというと、ネットで探したら合掌している女性の写真が出てきて、これがいいと思ったのだが、使ってみたらここには指先しか出なかった、とまぁそういうわけ。あ、アップロー… もっと読む
運営しているクリエイター

#歌詞和訳

ウィッシュボーン・アッシュ "The King Will Come" 歌詞和訳 〜 教皇 フランシスコ に 「テロリスト」認定された アパルトヘイト国家, アパルトヘイト社会, 「イスラエル」に捧ぐ

前説note ウィッシュボーン・アッシュ "The King Will Come" 〜 ローマ教皇 フランシスコ による イスラエル 「テロリスト」認定に寄せて さて, さて。 「西洋」を代表する宗教の 老舗 の トップによる 正論の裏で 〜 「西洋」の 相変わらずの 似非「自由」, 似非「民主主義」の 欺瞞 と 偽善まさしく, 欺瞞 と 偽善 と ダブルスタンダード に満ち満ちた「西洋」, 欺瞞 と 偽善 と ダブルスタンダード に満ち満ちた「西側」。 「よしログ

ジョン・レノン, God 〜 神とは, 我々の苦痛を測るための概念である (歌詞和訳)

歌詞の冒頭の一節には, ハインリッヒ・ハイネ(Christian Johann Heinrich Heine, 1797年12月13日 – 1856年2月17日)の次の言葉に共通したものを感じる。 God 〜 歌詞和訳God 〜 written by John Lennon (October 9, 1940 – December 8, 1980), included on the album "John Lennon/Plastic Ono Band" released o

ジョン・レノン, Working Class Hero 〜 風刺と痛烈な皮肉 (歌詞和訳)

歌詞の最後の 2行, その前までに言ってることと思い切り矛盾していて, 反語的というか何というか, とにかく一流の皮肉としか 受け取れない。 前説Working Class Hero は, ビートルズ 解散後の ジョン・レノン による最初のアルバム "John Lennon/Plastic Ono Band" (1970年12月11日 リリース)に収録された曲。自身のアクースティック・ギターをバックに, ジョンが一人で歌っている。この曲は 彼の 2作目のアルバム "Imag

911 記念 〜 自分の誕生日(1960), シリアの現職・独裁大統領の誕生日(1965), アメリカがチリの民主主義を殺した日(1973), シリア・パルミラの都市遺跡を訪問した日(1983), アメリカが「宗教」狂信者に攻撃された日(2001), 拙者の note 開始日(2019) 〜 誕生日リクエスト(2021), 今日は 歌詞和訳付きで この歌で締め, "Ol' '55" (Tom Waits) ♫

ナンセンス込みの前説9月11日は 62年前の拙者の誕生日でもあり, 3年前の拙者の note 開始日でもあり, そして他にも ... 。というわけで, 今日の拙者の note は, 911 記念 note リンク集「の・ようなもの」。 あ, あの映画は 911 とは関係ないですね。「リンク集のようなもの」と書こうとしたら, というか「のようなもの」と言おう・書こうとするといつも思い出してしまう懐かしい映画タイトル(しかしこの映画そのものは観てなかったと思う, 笑), ただ

1983-84年ユーラシア大陸(+アフリカ大陸北東端!)「ほぼ」一周の旅, note リンク集

前説最初に念の為に書いておくと, この前文の下にある 本 note 目次つまり旅 note リンク に付いている, それぞれのタイトルには, 「(写真 .. 枚)」と書いてあったりなかったりするものがあるのだが, 後者であっても, すなわちそうした記載がなくとも, 殆どの note にそれぞれの土地で撮った写真は掲載してある。ではでは。 さて, 以下の前文は, 本 note を投稿する今日 2022年5月11日 から振り返ってのこと。本 note は随時更新していくので,

旅と音楽と社会批判の不器用な生き方 〜 今年の自分の note に係る記録を, 折角の機会なので note 投稿して残す

不器用ですから 今日の note のお題, 「折角だから」と書こうとしたんだけけど, 厳密に言うとそれは「折角」の誤用のようなのであった。せっかく角を折ろうとしたのに。まぁ兎に角が生えても, あ, 兎にも角にも, あ, はい, 面倒くさい人間です自分は, というわけで, 兎にも角にも, 昨日 note 事務局から今年の自分の note に関する記録をいただいた角を折る機会に, あ, はい, 面倒くさい人間です自分は, 不器用ですから.. また戻ってしまった自分は「不器

クリスマス 諸々 note 寄せ集め

おっと 失礼(笑)。タイトル写真の人は キリスト じゃなくて ブライアン さんでした! .. それはさておき, 自分のこれまでのクリスマス関連 note, 全部は無理だけど, ざくっと寄せ集め(わりと直接関連するものから単に「キリスト」繋がりのものまで)。 あ, 因みに煩いこと言うと, キリスト教的には今日 12月24日の日没から明日 12月25日の日没までが「クリスマス」ということになって, かつ「クリスマス・イヴ」とはクリスマスの前夜という意味ではなく「クリスマスの夜」

ダラムサラ(インド北部) 〜 チベット難民が住む標高2,000m超の山中で暮らした, 1983年12月の10日間

1983年4月26日に日本を発って, ソ連・ヨーロッパ諸国・トルコ・シリア・ヨルダン・パレスチナ/イスラエル・エジプトを旅し, カイロからイスタンに飛んだ後は2度目のトルコを東へ東へ 〜 そのまま陸路イラン入国, さらにパキスタンを旅し, そして インド に入ってまずは シク教「黄金寺院」の街 アムリトサルに4泊5日滞在なんだこの長尺な見出しは(笑)。まぁ映画じゃなくて週刊, 時には日刊「実話」なんだけど。ともあれ, インド入国までの旅(note リンク等)については前回の旅

インド入国, まずは シク教「黄金寺院」の街 アムリトサル へ 〜 1983年11月29日-12月3日

1983年4月26日に日本を発ってから 7ヶ月余り経過。本 note 第1章はここまでの振り返り。第2章はインド入国(ってか日本出国)序章, 第3章でパキスタンから陸路インドに入国してアムリトサルへ。 1983年4月26日に日本を発って, ソ連・ヨーロッパ諸国・トルコ・シリア・ヨルダン・パレスチナ/イスラエル・エジプトを旅し, カイロからイスタンに飛んだ後は2度目のトルコを東へ東へ 〜 そのまま陸路イラン入国, さらにパキスタンを旅し, ついに インド へ 2度目のトルコ

イラン, 革命から4年後のテヘラン 〜 1983年11月15-17日, Teach Your Children ♫

1983年4月26日に横浜港からのフェリーで日本を発って, 半年かけてソ連・ヨーロッパ諸国・トルコ・シリア・ヨルダン・パレスチナ/イスラエル・エジプトを旅し, 同年10月26日にあの旅で初めて飛行機を使ってカイロからイスタンブールに飛び, 2度目のトルコでは 2度目のイスタンブール, 初めてのアンカラと旅を続け, その後, イランとの国境の町ドグバヤジッドに滞在, そこから陸路, 11月15日に1979年の革命(結果としてイスラム革命)から4年後のイラン・イスラム共和国に入っ

ポール・サイモン 80歳の誕生日に 〜 ポール・サイモンの歌, 歌詞和訳とアルバム・レヴュー

今までに ポール・サイモンの歌の歌詞を 随分と和訳していた。ポール・サイモン 80歳の誕生日記念でこれまで note に載せてきたものを集めたら(本 note 第7章以降, 19曲; 2022年6月16日現在 22曲), 予想以上の数。一瞬, 課金したい念に駆られた(笑)。因みに今日のタイトル写真にあるフレーズは, "Hearts and Bones" の歌詞の一部。いつかあの歌の歌詞和訳もしてみたい ♫ .............................. *一

ジョン・レノンの誕生日に 〜 ジョンが作った歌の歌詞和訳集

今日は John Lennon (born John Winston Lennon; Liverpool, England, on October 9, 1940 – died [killed] John Ono Lennon; NYC, USA, on December 8, 1980) の誕生日。あの日に殺されず, 今も生きていれば 81歳。名前のことで細かいことを書くと, 彼は 1969年4月22日に法に則った正式な捺印証書によってミドルネームとして公式に "Ono"

ナザレ(48イスラエル, 47イギリス委任統治領パレスチナ)への旅 〜 1983年10月5日

「48イスラエル」(ひいては「47イギリス委任統治領パレスチナ」)についての注釈は, 前回 note(本 note 第1章リンク *6)の冒頭に書いた通り。 1983年4月26日に日本を発って, 9月28日からパレスチナ/イスラエル 〜 ここまでの振り返り1983年4月26日に日本を発ってソ連・ヨーロッパ諸国, トルコ・シリア・ヨルダンを旅した後, 同年9月28日早朝, ヨルダンの首都アンマンを発ってヨルダン川を渡り, 1948年5月「建国」のイスラエルが 1967年6月の

ペトラ遺跡(ヨルダン) - 1983年9月25,26日

タイトル写真は同年9月25日, 筆者撮影。両側の大きな岩の塊を抜けるとこれ。 この女性は筆者の知り合い ... だったような(笑)。 https://youtu.be/Dbm8ZxIy98I ♫ ではでは, 自分で撮った動画, じゃなくて 写真を。 ペトラ遺跡, 1983年9月25-26日(写真7枚 および 旅日記) 〜 流石に夜空の写真は撮れてないけれど, あの晩見た満天の星が, これまでの60年余の人生で見てきた星空のなかで正真正銘, 最も美しい星空だった! 以下の