「軽石」「苦いお茶」「下駄の腰掛」が私の考える木山捷平ベスト3
『駄目も目である 木山捷平小説集』読了。久々に木山節を堪能した。かつての一時期、木山捷平を熱心に読んでいたことがあって、本書に収められている短編もいくつかは「そうそう、これこれ、これだよ、これ」と激しく頷きながら当時の感動を思い起こさせてくれた。
編者岡崎武志によれば、つぎのような方針でこのアンソロジーは編まれた。
木山作品は次の四つの時期に分けられるというのが岡崎説。本書はこの(三)を中心に選ばれた。
そして、これらは何度でも繰り返し読める、いい温泉やいい音楽と同じだと言いつのり、「耳かき」や「釘」や「下駄」や「軽石」や「竹筒」などの平凡なものとるにたりないものが木山文学の世界ではその存在の上位を占め揺るぎない、とする。たしかに、平々凡々たる日常を(ただし令和の今日となっては想像もつかないほど変化した風景や風俗もあるが)こう上手く飽きさせずに読ませる作家はごく限られているだろう。見事なものである。
個人的には、木山捷平が馬橋(まばし)に住んでいたことに注目した。「下駄にふる雨」にはこうある。
また「太宰治」のなかに小林多喜二の死亡記事を見て小林が馬橋に住んでいたことを知るくだりがあった。多喜二も馬橋住人だったのだ。
岡崎氏がイチオシの日常小説もむろん良いが、久々に読んでみて、小生には「太宰治」がいちばん面白かった。太宰の風貌姿勢を余すところなく(と思えるくらい)うまく捉えてわれわれに見せてくれる。絶妙と言える。
例えば、太宰が西鶴を下敷きに書き始めたことについては、こんなきっかけがあった。昭和十八年の秋頃、井伏鱒二と太宰治が連れ立って木山の家にやって来た。木山と井伏が将棋を指している間、太宰は木山の本箱から本を取り出して読んでいた。
その冬にも太宰と井伏と木山はおでん屋で飲んでいた。そのとき太宰が小山書店から「新風土記叢書」の『津軽』を頼まれているが、どうやって書けばいいのか弱りきっていると弱音を吐いた。それを聞いた井伏がぽつりと言った。
……さて、どう言ったのかは本書を読まれよ。
ご参考までに馬橋住人についての過去ブログ
阿佐ヶ谷ビンボー物語
https://sumus.exblog.jp/19951356/
ある「詩人古本屋」伝 2
https://sumus.exblog.jp/15188074/