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2019/1-3月 年記

日を記すのが日記なので年を記す。
そんな言葉あるのかは知らない。

情報化社会に生きる僕たちはその善悪や意図的か否かを問わず膨大な量の情報をインプットし、またSNSやチャットアプリ、スマートフォンのカメラなどで情報をアウトプットし形に残している。
そういったことが可能になったこと自体は自分の足跡が残っていくということで、非常に人間らしく素晴らしいことだと思っている。
しかしそれがそのまま何らかの役に立つかというとそんなことはないのだ。

煩雑で膨大な量の情報は人間の脳の処理能力を超えている。
そこに不足しているのは「インデックス」である。
何らかのストーリーを持った塊に加工されなくては、僕たちは生きてきた後に残された余りに大きな情報の山を飲み込むことができない。
タイムラインに流れ去っていく自分の思考、3年2ヶ月前に考えていたことが思い出せるだろうか。
インデックスの不在。
身体と意識と外部環境が一体化したナマの体験の連続こそが生そのものではあるものの、目次や索引をつけ意図的なストーリーに乗せなければ情報を解釈できないのもまた人間である。

ということで地球が太陽の周りを一周するという余りに確実な指標に従って情報をプロセスしておこうというのが年記の試みである。
適宜SNSや写真フォルダを見返しながらやっていこうと思う。
普通に「今年を振り返ります!」と書き出せばいい話なのだ。
では、

1月
9年ぶりのセンター試験を受けた。
今更点数自慢したところで何にもならないし同年代は社会のいろんなところで頑張っているわけで28歳にもなってセンターの点数の話をするのは本当にくだらないのでやめておこうと思う。
855/900で95%の得点率だった。

僕が受験した昨年度は、医学部の不正入試問題が取り上げられた年でもあった。
世間のメインの話題はその女性差別であったが、年齢差別の話もひっそりと上がっていた。
もちろん不正入試それ自体は許されないことであり憤りを感じたが、一方では、大きく社会問題になったことで「今年はもうさすがに年齢で差別できないから合格点とりゃ受かるってことジャン」と27歳での再受験に追い風を感じたのも事実である。
実力以外の理由で落とされることがない(だろう)という安心感は非常に大きかった。
僕は運がいいのだ。

<オピニオン>実力で勝っても報われない可能性がある戦いに全力で臨める人間がどれほどいるだろうか。大学入試くらい公平であれ。

2月
頭の中はお受験一色であった。
まあいけるやろ、いやでも怖いなと毎日思っていた。
あんまり日常のことは記憶にないし記録に残ったことも少ないが、Facebookには2019年2月10日付で非公開にして「うんこ」とだけ書いた投稿が残っているのでそれなりの緊張とストレスを感じていたのだと思う。

2月25日と26日、9年ぶりの東大受験。
何が起こったとしても結果が全てであり言い訳がきかないのが大人である。
ちょっと長く生きたことによって18歳の自分よりほんの少しだけ甘えが減った僕は当日にベストコンディションを持ってくるために周到な準備をした。

市販の睡眠導入剤を使って生活リズムを整えたのだ。
秋の模試の段階から何時に薬を飲めばいつ眠くなって翌日のパフォーマンスがどうなるかを自らを実験台にすることで確かめてきた。
その甲斐あって当日も23時ごろに寝て7時には起きた。
ベストコンディション。

当日はいつもと同じようにレッドブルとチョコとタバコだけを口にして試験を乗り切った。
これはただの思い込みだが、貧弱な胃腸の持ち主は食事をたくさん摂ると消化器が頑張ってしまい体の他の部位の働きが弱る気がしている。
科学的エビデンスとは対極にあるオレ理論も時には使っていかざるを得ない。
統計では語れないこともあるよ僕たちは皆究極的に特殊な1個体なのだから。

そして目標よりはちょい下最低ラインは死守できたくらいのパフォーマンスを出してお受験は無事に終了した。
半年間のニート義息を支えてくれた感謝を伝えるとともに何か大きなミスがなければ受かってると思います...と義両親に報告した。
2月26日の写真フォルダを見返すと娘を風呂に入れている写真が残っていた。
ようやく育児にしっかり携われるようになったことがとても嬉しかった。
そして半年間の妻の援助に最大級の感謝。

3月
3月10日、合格発表。
階下には義両親、部屋には妻と娘、18歳の時にはなかったプレッシャーの中、1人トイレにこもりネットで発表を見た。
その日見たのは包丁を持った人間に追い詰められる夢だった。
どこまでもメンタルが弱い。
とはいえ無事に合格し、晴れて受験生活が正式に終了した。
両親や前職の社長、お世話になった人などに連絡をし、みんな喜んでくれていいやつやなあと思った。

合格発表の翌週には実家へ帰り、娘の溜まっていたお祝い事を全て一気にやった。
父親が受験生につきお食い初め・お宮参り・初節句等々全て雨天順延になっていたからである。
お祝い事は先延ばしにしてもいいということがあるらしく(先に祝うのは良くない)、そういう言い伝えを作った日本の先人にカンシャした。
うちの父親は学歴厨なところがあるので大層喜んでいた。
まあ喜んでくれて何よりである。
娘には懐かれていなかったが。

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ビビるくらい進まなかったので3月分の途中で一旦終わりということにする。
果たして年内に年内を振り返り切ることは可能なのか。

あと9ヶ月ちょい分を年内にやる予定ではあるが一応言っておこうと思う。
良いお年を。

東大出てても馬鹿は馬鹿