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大人の?読書感想文

今日はお盆休み3日目。
私は会社でブログ部というものに参加しているのですが、先日そこで「夏休みといえば、読書感想文が嫌いだった!」ということが話題になりました。
当時はなんでこんなことをさせられているんだろうと思っていましたが、今は逆に書いてみたいという自分がいました。

なぜ書いてみたいのか?

自分に問いてみますと、書くことがうまくなりたいという願望というよりは、今の自分はどんなことを言語化するんだろう、という自分への探求心が強くあるなと感じました。
ということで、早速お盆休み初日に書店へ行き、2冊の本を手に取りました。
太宰治の「人間失格」と「斜陽」です。
高校のころに夏目漱石の「こころ」を感想文に書いたのを思い出し、当時課題図書にあったひとつだった「人間失格」を選びました。「斜陽」は何となくチョイス。ド定番で読んだことがある人も多いのでいろんな人と感想が言い合えるワクワク感があります。
では早速感想文を書いてみましょう。

人間失格

タイトルどおり重い内容でした。
さきほど読み終わったばかりですが、頭の中にモヤモヤがいっぱいあります。主人公の思考のくせみたいなものが、私の性格とは全然違うので、共感しようとするととても苦痛でした。
私が読んでいるなかで終始あった疑問があります。

なぜ主人公は子どもの頃から道化を演じなければならなかったのか?
本文中に、こんな1節があります。
「それは、自分の、人間に対する最後の求愛でした。」
とても悲しいフレーズです。主人公は誰にも愛されなかったのか、愛されていると感じられなかったのか。もしこの主人公が私の目の前にいたならば、キャリアコンサルタント的に深堀って聞いてみたいポイントでした。

もうひとつ、私がこの主人公に抱いた疑問は、思考のアンバランスさでした。
さまざまな欲におぼれ、社会的に肯定されない生き方を送っている主人公ですが、巧みな言葉で読み手に衝撃や疑問を生じさせます。ここまで言語能力だけが突出していると、教養や社会常識なども身に付いていてもおかしくないのに、と感じます。これは果たして私の自己概念がそう思わせているのでしょうか?

自分という馬鹿者が、この二人のあいだにはいって、いまに二人を滅茶苦茶にするのだ

この1節にもあるように、たびたび主人公が自分自身を否定します。自分の行いを省み、自分の事を客観的に見ることもできているのに、自分で自分をを否定する行動をとってしまうのはなぜなのか?
むしろ自分を客観的に見ることができるおかげで、幸せな人を不幸にしていく想像ができてしまい、その状態に自分の身を置くことが自分自身を傷つけることがわかるのでそこから逃げる、という行動につながった。
そういう風に考えると、一種の自己防衛なのかもと理解できます。

まとめの感想

1回読んだだけで、感想文を書いてみました。
太宰治は、「人間失格」を書いた後自殺をしていますが、彼にカウンセラーのような話を聞いてくれる人は周りにいなかったのでしょうか?私のクライエントとして彼が目の前に現れたとき、どうかかわるべきか?
それを想像すると、私にはまだまだ勉強することがたくさんあると思わせてくれる良い作品だったと締めくくりたいと思います。
1200文字を超えたので、原稿用紙3枚は書けたと思います。
これから「斜陽」を読んでみます。

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