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生きづらくない人 第5回|松葉有香|人生の運動を流れるままに感じる

 有香ちゃんにインタビューしたあと。ぼくの奥さんミワコちゃんの畑に、彼女と一緒に行った。そのあと、うちの犬2匹とゆもちゃんと、有香ちゃんとで海に散歩に行った。

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 ごつごつした石がたたずむ、でこぼこした夕暮れの浜。人間はぎこちなく歩くけど、犬たちは米粒くらいの姿に見える場所まで一瞬で走る。犬のエマとワタは、はしゃいで水と砂にまみれていた。
 晩御飯をうちで、有香ちゃんと一緒に食べることに。帰ると泥まみれのエマとワタをお風呂場でミワコちゃんが洗った。家の床は外みたいに砂まみれ。足の裏にざらざらした感触。エマはシャワーが苦手だ。くおーん。窮屈そうに吠える。エマを洗い終わった。有香ちゃんのところにエマは寄って、ぶるぶるの身震いする。有香ちゃんにエマの毛を湿らせていた水分が、シャワーのようにかかった。
 つぎはワタが風呂場で体をすすがれている。エマは何故か、風呂場の入り口のところで、くぅくぅと何かを伝えようとしている。ワタの体の匂いをクンクンと嗅ごうとする。ワタは居心地悪そうにしている。ミワコちゃんも洗いにくいから、エマに「あっち行き!」と、エマが入ってこないように風呂場のドアを閉めてワタを洗った。洗い終えてワタが風呂場から出てきた。エマが突然、がなり声をあげた。ワタに向かって突進して、噛みついた。きゃんきゃんきゃんきゃん。ワタから血が滴る。ミワコちゃんはワタを助けようと抱きかかえた。すると間違えてエマは服の上から、ミワコちゃんに噛みついた。こんなこと始めてだったのでビックリした。ミワコちゃんの皮膚には、エマの歯型がくっきりと赤くついた。さらにエマに怒った。有香ちゃんは、それを見て泣きだした。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ミワコさん〜。エマちゃんがそんな甲高い声で怒らないでっていってますぅ」
 泣きじゃくって、大粒のたまのような涙が目から溢れている。エマは有香ちゃんにぴったり寄りそっている。
「ひっく。洗われたのも嫌だったんです……。ごめんなさい」
 有香ちゃんを通してエマが訴えているようだ。
 3ヶ月前にワタが家にやってきた。それまで2年ほど1匹でエマを飼っていた。2匹は仲が良いときもある。だけど、ワタが来てからエマは気が荒くなった。静かな犬だったんだけど、主張が激しくなって、ワタや娘のゆもちゃんにまで噛み付くようになった。間違えたとはいえ、まさかミワコちゃんにまで噛みつくとは……。
「ワタちゃん来てから寂しいんです」
 ワタに噛みつくエマが嫌だったから、ぼくたちはよくエマに怒るようになっていた。エマに優しくするようにした。まだ1日しか経ってないのに、エマはコロッと変わった。ワタにも優しくなった。穏やかにシッポをフリフリしている。有香ちゃんのおかげで、ぼくたち家族の関係が良くなった。彼女は不思議な力を持っている。

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「子どもころは、木とお話していました」

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 彼女の名前は松葉有香。彼女の視界からは色が見える。その色は人や自然のまわりにおぼろげに、ときにはハッキリと浮かぶ。
 彼女と始めて会ったとき。1年ちょっとくらい前かな。近所のカレー屋さんで数人で食事した。その中に、ゆかちゃんもいた。カバンの中に、ぼくの本『めにみえぬものたち』を忍ばせていて、付箋までつけて感想を伝えてくれた。
「この本には、わたしのことが書いてるって感じたんです!」
 とくに本のなかの『さよなら、ぼくのコロボックル』という章に出てくる、友だちのPに共感したようだ。
「わたし、あの本に出てくる人と一緒で、はちゃめちゃな人生なんです」
 Pは本当に迷惑なやつだった。大好きだったけど。
 目の前にいる純朴そうな、有香ちゃんがPに似ているとは全く思えない。その頃の彼女は、なんとなく自分に自信がなさそうだった。
 有香ちゃんと仲がいい、Oくんもいて「彼女の人生、けっこうアバンギャルドですよ」と漏らしてコーヒーを口に含んだ。そのときはまだ半信半疑だった。彼女がPのように破天荒だなんて。
 Oくんが「ゆかちゃんは色が見えるんですよ」と教えてくれた。
「いわゆる共感覚保持者なんですよ」
 ぼくは興味が湧いて、お店にいる人たちがどんな色に見えるのか教えてもらった。
「ミワコさん、赤です。すごい強いエネルギー。以前から、マルシェのときとかお見かけしていて、遠くから見ていたんです。ミワコさんの声から見える赤は強烈なんですよ。その場にいるかいないかは、姿を確認しなくてもすぐにわかります」
 ぼくの奥さんミワコちゃんが、自分の声にまつわる思い出の話を始めた。どんな話だったかは、ちょっと憶えていない。有香ちゃんは真剣にその話を聴いている。聞き手と語り手という境界すらないかのようだ。ミワコちゃんが悲しそう顔をする。有香ちゃんは、ミワコちゃんそのものにでもなったかのように、悲しみにくれる。ミワコちゃんが驚いたときの思い出を語ると、ゆかちゃんはまるで今、自分が体験したかのように、ビックリして椅子からずり落ちた。
「誰かが発した言葉に、色や味まで感じるんです。海がトマトのような味をしていたり。トマトだったりシゲキックスみたいだったりはするんですけど……。似ているだけで、まるで違うですよね。この味をうまく言葉で表現できないんです」
 
 彼女はそのとき、市役所で働いていて、青白い自分を抑えているような顔をしていた。真面目で頑張りすぎてしまう。鬱になって仕事に行けなくなったりを繰り返しているそうだ。ぼくたちはみんなで、もうゆかちゃんは仕事を辞めてた方がいい。島で気楽に暮らしてみてはと提案した。彼女の顔が明るくなった。蒼白した顔色から、桃色のようなつやつやした肌になった。

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「子どもの頃、みんなにも同じように色が見えているし、味を感じているって思ってた。だから感じたことをそのまま話ていたと思う。
 小学校3年生くらいのとき、給食のパンのまわりが真っ黒に見えるときとかがあって。それを友だちに伝えると。ビックリされたんです。先生にも変な子扱いされ始めて……。誰にも言わないようにしようって決めたんです。それから意識してはかはわからないけど、いつの間に見ないようになってましたね。色が見えることはすっかり忘れていました。社会に合わせて、自分で自分の力を封じ込めていたのかも知れませんね。
 わたし、社会性まっしぐらな人になっていこうとしてたと思います。心臓が弱くて、病弱だったから強くなりたかったのかも知れません。小学校、中学校はずっと学級委員長だったし、副生徒会長もしたことあります。高校からはバイオリンをやってオーケストラにも燃えてました。大学でも交響楽団をやってたんですが、集団で活動することに疲れてしまって……。人が集まると陰湿なことが起きるし、妬まれたり。結局、逃げ出しちゃったんです。
 わたしは被爆者3世なんです。祖父が広島の被爆してしまって。小学校のときに見た戦争映画もトラウマになっています。
 実家の福山から出て大阪の大学に入ったころから、社会活動している女性に憧れを抱くようになったんです。マザーテレサのようになりたい。大学では街づくりとか学んでいました。でも直感で政治的なことだけでは、世界は良くならないって思ったんですよ。だけど何をやっていいのかもわからなかった。
 両親はきっちりとした職業についています。大阪のデザインの仕事の内定ももらっていたんですが、両親に反対され無理やり連れもどされました。厳しい親という訳ではなく、わたしも両親が好きなんですが。両親が積み重ねた人生観とは混じり合うことはないと思います。残念ですが。
 若いときのわたしは両親に合わせることしかできなかった。わたしは実家に帰って、両親が気に入りそうな介護の仕事を選びました。その介護の職場で、前の夫と出会ったんです。わたしバツイチなの。
 介護の仕事は好きでした! おじいちゃん、おばあちゃんにマッサージをしてあげたり。職場の人たちには嫌がられましたけど……。みんなは業務サービース外のことはしたくないですもんね。利用者さんは喜んでくれた。職場の人間関係や、夫の両親のことなど色々重なって。わたし発狂してしまったんです。職場で大声で叫んでしまって……。鬱になって心療内科に通院することになった。病院に通いながら4年勤めましたが、仕事は辞めてしまいました」

 彼女はいま独立してマッサージを生業としている。ぼくはマッサージが大の苦手。ゆかちゃんはちょうど、コロナの緊急事態宣言が出る少し前に、因島にお店をオープンさせた。自粛をして緊急事態宣言が開けてから再オープンしたけど、しばらくは全くお客さんが来てなかった。ぼくは、見かねて少しでも収入になればとマッサージを受けに行った。メールで「オイルマッサージでもいいですか?」と言われて、良く分からないけどオッケーした。お店に着くと、パンツ以外は全て脱がなくてはいけないと伝えられた。ぼくは、全く知らない人ならともかく、有香ちゃんにそんなのことされるの恥ずかしくて出来ない。
「そうですかぁ……」と有香ちゃんは悲しそうにしている。ぼくは折り合いをつけて、上半身だけオイルマッサージを受けた。
 人に触れれるのが苦手なはずなんだけど、彼女の手はまるで違った。有香ちゃんの手から、ぼくの体に根が伸びてくるような感覚。もともと人間と人間のからだには境界などなかったのかも知れない。ベッドにからだが沈んでいく。ぼくが少しでも緊張しているのを感じると、彼女はわかっているかのように手を止める。ぼくの背中に手を当てる。手は止まったまま動かない。ぼくはうつ伏せになって目を瞑っている。網膜の闇のなかで、青く光る小さな粒が見える。星空のなかにいるみたいだ。光は少しづづ大きくなり、うすいオレンジに変化する。ぼくは幸せな気分になった。からだはどんどんほぐれる。ぼくの身体は、ぼくでありながらも有香ちゃんになったような感覚だった。この手は有香ちゃんのものでもあり、森羅万象の交差地点なのかも知れない。

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「夫とは別居しちゃいました。独立してマッサージの仕事を始めてたんです。夫との家にお店を構えてたので、自分の住む家から毎日通ってたんですよ。前の夫は、仏さんのような人でした。わたしこんないい人に出会ったことないです。でも、わたしは彼に好きという感情は残念ながら湧かなかった。きっちりした仕事をしていて、真面目で優しいから、こんな人と結婚したら両親が喜ぶだろうなと思って結婚したんです。ひどいですよね。夫を傷つけてしまった。
 夫の母親は躁鬱だったんです。ずっと家に籠ってました。わたしは仕事をしながら、家族の介護をしてたんです。行ったり来たりの忙しい生活に無理がたたって、車を運転していて一時停止を見逃してしまったんです。横切る車に後部が衝突した。車は大破しました。お医者さんにも、もう少しで死ぬところだったと言われました……。
 退院して街を歩いていたら、知らない男性に突然『よく生きていたね。お墓参りに行ったほうがいいよ。ご先祖さまが君を守ってくれたんだよ』と言われたんです。びっくりしました」
 彼女の人生には、映画みたいなことが起こる。もしかすると、彼女は現実ではなく物語の世界を生きているのかも知れない。空想でも現実でもない世界をぼくたちは感じる。

「マッサージの仕事は楽しいです。週に一度だけですが、精神科で重度の精神疾患がある人たちにマッサージを出張でしていたんです。症状が良くなって、篭りきりだった部屋から出て散歩できた人もいるんですよ。誰かに喜ばれるのはうれしい。色んな人を傷つけたりお世話になったりしているので、マッサージで恩返しをしたいんです」

 わたしは借金ができてしまって……。返すために、マッサージの仕事を辞めました。両親が好む公務員の仕事を始めたんです。ここでも度々、鬱に襲われて仕事に行けなくなったりしました。辛いことをすることで、人を傷つけた罪を償えると思っていたんです。
 今から3年前くらいですね。この頃から、出会う人が変化したんです。尾道の人たちに出会ったのは大きいですね。この街には、両親の好む人生の反対側の生きている人がたくさんいたんです。野菜を育てる人、芸術家、狩猟する人、手づくりのお菓子や料理を生業にする人、ヨガや瞑想の世界に、深い知識や行動を持っている人。わたしに色が見えていたことを話すと面白がってくれます。やっと心から自分自身を肯定してくれる人たちに出会えた。子どものころに、封じ込めていた力ともう一度、向き合い始めたんです」

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 有香ちゃんは1年ちょっと前に因島へ引っ越して来た。よく知るにつけ、彼女はPに似ている。余計なお節介をしすぎて、友だちに絶縁されたり。恋愛で人間関係を破綻させるとことか、Pと生き写しのようにそっくりだ。
 彼女は島に来ても、なんだかふらふらしていて自分が定まってない感じ。やりたいことを気楽に仕事にするために島に来たのに、海の家でバイトしたり、しまいには造船所で就職した。また自分を押し殺したような青く無機質な顔になっていた。郵便局で、ゆかちゃんに会ったんだけど、ぼくは話しかけられてもしばらく誰だかわからなかった。彼女は人との境界がすぐになくなる。カメレオンのように。そのときはOLになりきっていた。ぼくが会うたびに、仕事を辞めてほうがいい。と何度も言った。しまいには煙たがられて避けられ始めた。この感じもPにそっくり、とほほ。
 彼女が仕事に限界に感じたとき、イベントでたまたま会って相談された。ぼくは有香ちゃんは才能あるから、自分が心からやりたいことをやれば大丈夫って言った。お金の心配もその内になくなる。しばらくして、自分で踏ん切りがついたのか仕事を辞めた。途端に、自由で穏やかな顔になった。
 ゆかちゃんの人生は、鴨長明の『方丈記』みたいだ。人間の世界の歪みにずっと耐えて生きていた男が、自然のなかで1人で生活を始める。社会から離れて大自然の流れに乗ること。キルケーゴールは「わたしは運動だけに気を配る」と言った。彼女は人生の運動を流れるままに感じる。離婚、事故、鬱、すべてはいまの松葉有香を創る流れだ。因島の大浜の海は、健やかなミントブルー。潮風は防波堤を越えて、もともと幼稚園だった場所の庭を通り抜ける。この場所で彼女はマッサージのお店を開業した。

「今日の海は、穏やかな黄色で優しい気持ちになれました!」

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 有香ちゃんは前世も見えるそうだ。音楽家のT氏の前世を見てもらった。T氏はギリシャの海岸沿いに住むピエロだった。ピエロは自分の仕事に誇りを持っていた。宮廷に仕えるピエロで、貴族を楽しませるのが仕事だった。道化を演じること、笑いを取って過ごすことにも憤りを感じていた。悩むと海岸沿いを歩いた。海の上を舞う鳥を見ると、悩みも一緒に飛んで行った。T氏は鳥の図鑑の眺めるのが趣味なほどの、鳥好き。尾道の海岸沿いをよく散歩している。ぼくは、ヨーロッパの海岸沿いは歩いたとき、尾道に似ていると思った。T氏の前世が本当かどうかは、ぼくにはわからない。だが、彼女のイメージには強度のある小説のような、世界の輪郭がある。

 いまの有香ちゃんは活力や霊力がみなぎっている。コロナの自粛ムードにも関わらず、最近は毎週のように予約が埋まっているそうだ。
 ぼくが彼女にマッサージしてもらったとき、体や精神に疲れが溜まっていること、その原因の人間関係などをすぐに見抜かれた。若いときに、女性と遊びすぎていたことも。うふふ。ちなみにぼくは、占いやカウンセリングも大の苦手。だけど彼女の言葉や態度は、押し付けがましくないから、すんなり体に入ってくる。有香ちゃんはぼくのマザーテレサだ。こんな風に救われている人は、たくさんいると思う。
「わたしいまが人生で一番楽しいです!」

 彼女の笑顔は太陽のようだ。彼女はいままで生きづらかったんだろうけど、まさにいまから、生きづらくない人になろうとしている。ぼくはそのいまの姿を、朝日のように眩く見ている。

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