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【料理と食べる事が好き】でそれを仕事にしてみた結果。見守る犬と10年前の決断 ~学生時代と1年目完結編~ 前編

痺れた足はもうそろそろ限界だ

不器用な父親はテレビを見ており、こちらに目線すら合わせる気はないようだ。話があると口にしてから既に数分。

D:「大学を辞めて専門学校に入り直したいんだ・・」

普段から狂った様に尻尾を振りながら飛びついてくる愛犬。

この時は静かに自分を見ていたと同時に、遠くのほうで花火の音がかすかに聞こえた記憶に残ってる。

ヴァイオリンの弦の様な.'ピンっ'と張り詰めた空気。この威圧今考えれば、500zに初めて座る緊張感と同じだった。長い沈黙が続いた後、首だけが静かにこちらを向いた。

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D父:「お前の人生だ。20歳にも満たない人間の面倒は見るが責任は取らない。自分の人生なのだから自分で決断しろ」

泣いた。いや嘘だ。その言葉の重みが自分の中に入って来ない。なんかボーッとしていたのが本音だ。

D:「うん。これから頑張る!!」なんとも中身の無い頑張る!だ。

その際に自分から親に提示した条件は
・大学の学費は先に返済する
・生活費の仕送りはいらない。自分で貯蓄する
・専門の学費は奨学金で行き、将来返済する

その条件ならあとは全力を尽くすようにとの事。

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数日後大学に辞める電話をしこれからの事を練った。まずはお金だ。次にどこの学校にする?今は8月で来年から入学できそう?どう勉強していく?山積みの課題だ。

次の日から図書館に通った。勿論料理の勉強をする為。西洋料理の本を読み漁ってノートに書き写真をこっそり撮った。自分の知らない世界が頭の中を駆け巡る。ただ楽しくて時間を忘れる。

料理学校に行った方ならわかると思うが、学校は食の東大といわれている学校にした。

学ぶなら一流でレベルの高いものを学びたい。これが志望動機の中で一番強い理由だった。

学費が他の専門学校の約2倍する。(恐らく日本で一番高い)実際地元の学校にいけば来年から通えるが、やめて再来年に入学する事にした。
学校に入るまではバイト、図書館、家で料理作りのループに入った。この生活を1.5年続けた。

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そして時が過ぎ晴れて入学

名の知れた学校だけあってなのか○○ホテルの料理長の息子や親が飲食経営者など生徒は中々の強者が揃っていた。

ただ脱サラして学校に入り直す人、世界放浪してきた人など年齢は結構ばらつきがあった。

そして4人のメンバーK、Y、Hそして自分D(年齢バラバラ)で仲良くなった。学校が終われば将来の夢や学校での出来事に花が咲いた。

k君はファミチキの残った骨でフォンドヴォー(鶏や野菜から取る出汁)を作ると言い出したり、Hはバイト先でオーナーシェフとバチバチに喧嘩をして後日学校にオーナーシェフが乗り込んできたり、中々の濃いキャラが集まった。4人でレストランに食べに行ったり、市場や休みの日を利用して誰かの家で料理の試作なんかもたくさんした。

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学校は座学と実習が半々ぐらいで行われる。

座学
自分はガツガツ手を挙げて質問していくタイプではなかった。どちらかといえば後ろで保守的に受けていたタイプだ。今からすればとても後悔している。分からない事をそのまま放置していたり、前の席で授業を受ければ香りも嗅げる。更に先生の料理の細かい動きも間近で見れる。もし生徒に戻れるなら一番前の席で聞きうざいぐらい質問攻めしている。

実習
学校だろうと怒号が飛び交う。なんなら手刀も何度も見た。
「おい!それ前の授業でやったやろ!なんで復習できてないんや!もう食材触んな!」

萎縮して動きが遅くなる生徒、背後からおもっきし殴られる生徒。これは自分だ。

「手を動かせ!そんなんしてたら、ダマになるやろ!はよせぇ!!バチコーン!」

D:「はい!!(口で言え口でぇぇえ!!)」

自衛隊なのだ。ここは。
鬼軍曹と兵士。自分が白だと思ってた物は簡単に黒えと変化する。絶対服従なのだ。

東京から星付きレストランが講師として学校に来訪。こうゆうのも学費の高い理由のひとつ。

東京の恵比寿にあるジョエルロブション。当時のシェフが来訪して授業してくれた。この時は前のめりで授業に臨んだ。現役三つ星シェフの話はとても貴重だった。一つ星と三つ星の大きな違いや調理技法、どうゆう過程で新たな料理が生み出されるのか、理解できないことも多々あったが新鮮だった。それと今でも感じるがあのレベルに行く人は人格者であることが多い。

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↑恵比寿にあるロブション

その年、レストランサービスコンクールの国際大会「クープ・ジョルジュ・バティスト」なる物で日本人として初めて世界一のメートルドテルが誕生した。彼もこのジョエルロブションに属する方だった。

メートルドテルとは→  ※下記引用です。
格式高いレストランにおける接客サービスの総責任者である。「給仕長」という意味のフランス語で、邸宅の主人に仕えるサービスの総指揮者

もともと自分はゲストをもてなす人=サービスマンと思っていた。がそれは大きな間違いであった。

本来ホストがいてゲストがいて、そのサポートをするのがサービスマンなのだ。例を出してみよう

男性が女性とディナーに行く。サービスマンは椅子を引いたり、コートを預かったりするが、本来はホスト(男性)がその役割をやる。それをスムーズにできるよう補助するのがサービスマンなのである。

女性にメニューを渡すのはNGで、仮にもらってもアタフタされては恥を欠かす事になる。ジェントルマンに振る舞うのならば、サービスマンと相談してから女性に「とりあえずシャンパンでいい?それとワインは辛口か甘口どちらが好き?」など選択制にしてあげるとゲストも選びやすい。

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だが実際自分がそれをやるのはとても大変ではある(逆に完ぺきにやってきたら怖いまである)。が本来の意味を知れると視野が広がり、理解度も増す。

たった1年の時間はあっという間に過ぎ、すぐ卒業が来た。Y君とHはフランスにある学校で半年間学び、更に半年間現地のレストランで働くコースを選択。K君は技術研究所という更に1歩踏みこんだ、サービスや知識を深掘りするコースを選択。そして自分は前作で書いた通り就職した。

★最後に

今回は仕事の手を抜くと徐々にストライクゾーンが広がっていくって話をしたいです。例えば⇒

味見したら少し味が変だぞ。。忙しいから今回はこれでいくか。

やっべ、火を通しすぎてしまった。でも1個だけだからいっか。

5mmの厚さで切ってたけどこれだけ厚くなったな?ま、いっか。

※料理は手を抜こうも思えば簡単に抜ける。

適当な仕事をしたり、自分に対して妥協していると、少しづつストライクゾーンが広がり「え!?今のボールでしょ!?なんでストライク??」となってしまう。

手を抜いてるわけでは無いが、妥協せずやるとドンドンレベルが落ちてくる。その為できるだけ自問自答する様にしています。

自分で言うのも凄くおこがましいが、探究心や好奇心が強い人も仕事ではいい結果を出してくることが多い。逆に浅い考えの人や、何に対しても興味を持てない人は、仕事ができないことが多いような気がします。例外はもちろんあります。

その為、これでいい?もっと他にやるべき事はあるじゃ無いか?などの欲深さを常日頃大切にしています。

それと今回は自分のルーツとなる話をしました。

結果だけみればあの時の決断(専門に入りなおす)で今があるけど、ただ点と点が繋がっただけだと思ってます。 途中で嫌になって投げ出してたかもしれないし、特に飲食業界は過酷です。労働時間は長いし、頭と体も同時に使うし、上下関係はほかの業界よりかなり強いと思います。結果今まで続けてきて手に職を付けれたのは、本当に運が良かったです。

そのきっかけを与えてくれ、許してくれた親には感謝です。

あの時もし断固反対されていたら、その気持ちがなくなってしまった可能性もあり、そう考えると今の自分は絶対ないので。ここまで自分で切り開いた人生だけれども、色々な人に支えられて今がある。その事を忘れがちだけど、ふとした瞬間に思い出すようにしています。

今後も何が起きても誰のせいにもできないけど、何が起きても自分の責任で生きていける人生で謙虚に驕らず生きていきたいです。

★補足

皆さんの貴重な時間を自分の為に使って頂いてる!そう思うと感謝の気持ちに加えて自分の為に書いたnoteですが、しっかりしないと!と気が引き締まる思いです!

改めてですが、ここまで読んで頂きありがとうございました!

もし今回の章が良かったと思ってくださったらいいね、リツイート、コメントなどしてもらえると嬉しいです!

後半編も近日出しますので、良かったら読んでいただければ嬉しいです。


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