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多様性は社会を強くする

■あるカフェの存在

私が滞在するノイケルン地区は、人口の約半数が移民のバックグラウンドを持つとされる。トルコ系やアラブ系といった飲食店や小売店の数々がそれを裏付けるように並んでいる。

自宅近くの裏通りの一角に、少し風変わりなカフェがある。その名は「REFUGIO」。カフェに限らずイベントスペースなども併設し、新旧ベルリン市民が共に生活しながら働ける場所を目指しているという。南アフリカのシェアハウスから着想を得てつくられたとあり、6F建ての上の複数フロアは居住スペースとなっている。

雑多なエリアの一角にたたずむREFUGIO24日、ベルリン・ノイケルン地区で

ここでは日々、誰もが参加できるイベントが種々行われている。
中でも私が気になっていたのは、ただ特定の言語でおしゃべりするだけの「Open Language Cafe」。主催者は「Give Back Something to Berlin(GSBTB)」という団体だった。

GSBTBはその名の通り、ベルリンのコミュニティのために何かできないか、というコンセプトをもとに設立された団体だ。多様性が社会を強くし、創造性を高めるという価値観の下、地域住民と移民難民とをつなぐコミュニティとして機能する。Open Language Cafeの他にも料理や楽器、ヨガなど複数のイベントを定期的に企画している。

■英語版

Open Language Cafeのイベントカレンダーを見ると、火曜が英語、水曜がドイツ語、木曜がアラビア語と分けられていた。念のため事前に責任者に連絡し、24日午後6時から開かれた英語版をのぞいた。

10分ほど前に到着したが、参加者はまだ誰も来ていない。少ししてボランティアホストの1人であるサムがやってきた。サムはシリア出身。8年前に戦禍のシリアを難民として逃れ、2年間トルコで過ごした後、ベルリンにやってきたという。英語学者だったから、英語も堪能だ。

「あなたのことは聞いている。座って座って」

簡単に立ち話をした後、サムにそう促され、テーブルを囲むソファの片隅に腰掛けた。そうしているうちに、ぽつりぽつりと人が集まり始めたのだった。

■多様性

最終的に集まったのは20人ほどだった。英語のネイティブからノンネイティブまで。把握できた範囲で、それぞれの出身国はアメリカ、イギリス、カナダ、ロシア、トルコ、チリ、パキスタン、アフガニスタン、シリア、といった具合である。

やって来た人は空いている場所に着席すると、テープに自分の名前を書いて胸のあたりに貼り、隣にいる人と会話を始める。形式ばった様子はなく、最終的には5つのグループができていた。

■難民

私の隣に座ったのはアフガニスタン・バーミヤン州出身のレザだった。25歳の彼はベルリンで暮らし始めて1年。ホテルで清掃のアルバイトをしながら暮らしているという。
バーミヤンといえば2001年、イスラム主義組織タリバーンにより仏教遺跡が爆破された土地である。

東アジア系と自称するレザは「アフガニスタンは多民族。自分のルーツはわからないが、どちらかというと自分の顔的には中国や日本にシンパシーを感じるよ」と笑った。

レザは気さくな性格だったが、英語があまり話せず、込み入った会話をするのは難しいようだった。それに、個人のエピソードよりも、アフガン難民全体の物語を語りたがった。

そんな中で話してくれた彼個人の物語をざっと要約するとこうだ。

5年前に両親とともに国を逃れ、難民としてギリシャにたどり着いた。(ルートには触れてほしくないとのことだったので割愛するが)両親とともにアテネに4年間滞在し、ギリシャのパスポートを取得。それからより良い生活を求めてベルリンに移ってきた−。

「自由がほしくて国を逃れたんだ。アフガニスタンは戦争ばかりだから。僕が求めているのは宗教争いではなく民主主義だ」

アフガニスタンでは米軍が撤収した2021年、タリバーンが再び権力を掌握した。私はベトナム戦争末期に米軍が敗走するような光景を想像した。

レザは近年の情勢をふまえつつ「パシュトゥーン人が中心のタリバーン政権の下では僕たちはまともに暮らすことができない」と肩をすくめた。

■何系?

ベルリンでの生活はどうかとレザに問うと、こんな答えが返ってきた。

「たしかにここは戦争もなくて安全だ。でも、自分の居場所とは感じない。ここでは移民は本当の意味で受け入れられていないような気がする」

レザはアジア系の容姿を気に掛けているようだった。

「アメリカやカナダ、オーストラリアに行けば、アジア系だってたくさんいる。だから自分がアメリカ人やカナダ人、オーストラリア人といっても不思議ではないだろう。でもドイツはそれらの国とは少し違うと感じる」

言いたいことはわかる気がした。たしかに肌感覚でいえば、ベルリンではレザが挙げた国々に比べてアジア系の人を見かける機会が比較的少ない。
「君はどこ出身なの?」「ベルリンだよ」「いや、元々はどこ生まれなのよ」「いや、ベルリンだよ」
こんな会話だって、いまだに結構あると聞く。

■「ガイジン」

ふと、私は自分自身のことを回想していた。

見た目や国籍とは一体何なのだろうか。
アメリカ人の母親の下、日本で育った私は、幼少期からそんな疑問を抱きながら育った。答えは明確なはずなのだが、成長するにつれてどんどんあいまいになっていった。

「ガイジン」

中学生ぐらいまで、私はそんな言葉を日本で嫌と言うほど浴びせられてきた。そのせいもあるのかもしれない。正直に言えば、いまだに「日本人」というアイデンティティーを持つことができずにいる。被害者面をしたいわけではない。ただ、目の前で「俺たちとお前たち」という線を引かれてきたような気がするのだ。それに、「みんなと違う」自分の顔が嫌な時期すらあった。鼻が高いとか、目が茶色だとか…。指摘されればされるほど、コンプレックスを抱いた。

救ってくれたのは母親だった。小学1年ぐらいの時だろうか。自宅で「学校でみんながガイジンって言ってくる」と打ち明けた。本当に嫌だったのだ。できるのなら、生まれ変わりたいとすら思っていた。

でも、母親から返ってきたのはシンプルな答えだった。

「ガイジンって言ってくるやつには『地球人だ』だって言ってやりなさい」

子どもは単純だ。なるほど、と思った当時のことはよく覚えている。
それにしても、その言葉にどれほど救われてきただろう。私にとっては今も、出身国を誇ることなど比にならないほど、大事にしている価値観の1つになっている。実際に「みんな地球人だろ」と言い返してやった時には「たしかにそうだな」と態度を変えた同級生もいた。

脱線してしまったが、つまりは日本で生活していると、そんな些細なことが積み重なって疲れてしまうことが多かったのだ。暗い場所でなら目の色だって話題にされることはないだろうとか、本気でそんなことを考えていた。その時の経験から、今でも人と目を合わせるのが得意ではなかったりする。

ところが、ベルリンに滞在していると、自分が抱えていた悩みの小ささを感じるのである。もっと言えば、そんなものは存在しなくなる。
ここでは、見た目から国籍なんてはっきりわからない。当然のようにいろいろな人種や民族の血が混ざり合い、パスポートを3つや4つ持つ人だっている。

本音を言えば、私にとっては日本よりも生きやすさを実感できる。多様性の中に自分が消えていくような感覚があるからだ。容姿で目立つこともなければ自分が考えてきた常識などに意味がなかったことも、改めてベルリンが教えてくれた気がする。

表しがたいのだが「多様性は社会を強くする」のだとすれば、こうも言えるのかもしれない。
「多様性は個人を強くする」

■社会は複雑

しかし、レザの考えは少し違っているようだった。

「自分が移民だってドイツ人に言えば態度が変わるよ。僕は自分の顔に近い人が多いアジアの国に住む方が安心できると思う」

ヨーロッパには日本以上に激しい差別や嫌がらせがあるというのは報道の通りである。主にはアジア系やアフリカ系、アラブ系に向けられるし、見えないものも多い。レザはそれを実感していたのだろうか。
私は、多様な人々が入り乱れるベルリンに、誰もが魅了されているものだと勝手に思い込んでしまっていたような気がして、自らの思慮浅さを恥じた。

社会は複雑だ。それも、常に想像の上をいく。

■統合

レザの話に耳を傾けていると、すでに2時間が経っていた。
参加者は徐々にコートやカバンを手に取り、カフェを去っていく。

水曜に開かれるドイツ語版に、ドイツ語ができない自分も参加できるのだろうか。
その場にいたボランティアのイギリス人女性に尋ねると、「少し難しいかもしれない。ぜひ英語の方で」との答えが返ってきた。参加者のドイツ語レベルが上がり、A2レベルでは会話に入ることすらできない可能性が高いという。

それなら仕方がない。むしろ、ドイツ語を学んでこなかった自分が悪い。私はシリア人のサムに別の機会に詳しい話を聞かせてほしいと頼み、その場を後にした。

■多様性は善か悪か

私は自分のバックグラウンドも一因として、多様性や差別の問題には敏感な方だと自覚している。多様性を定義するのは難しいかもしれないが、国籍も民族も性に関しても、誰もが生まれ持った特徴で否定されることのない社会であってほしい。
移民難民を急速に受け入れてきたドイツの現状に対する評価が難しいのは事実としてある。移民難民政策そのものが分断を生んでしまっているからだ。国民の中に渦巻く移民難民への負の感情がそこここで見られることから、ここ数十年で進めてきた統合政策が曲がり角にあると考えるのが自然だ。
その一方、ドイツでは難民も将来の労働力になってもらおうという議論すら進んでいる。言語学習の機会などを積極的に提供しているのもそのためだが、肝心の「統合」にまでは行きついていない。多様な人々が文化の違いを超えて住むというのは、それほどに難しいのだ。

移民排斥を唱える極右政党AfDの存在感が増してきたのはそのためでもあるだろう。難民の流入が顕著になるにつれ、収容施設などは物理的にも攻撃対象となってきた。

大陸ヨーロッパの中心にあるドイツは、歴史的にも移民や難民の問題から目を背けることができない。しかも、ガストアルバイターを受け入れいていた時代には、統合政策が皆無だった。ドイツ語ができない人々がどんどん集住し、国内に「パラレルワールド」ができた。その反省を踏まえて成立したのが2005年の移民法なのだ。
地理的、歴史的な条件が違うとしても、外国人の人口が増え続ける日本もドイツの移民政策から学べることは多い。

移民難民を社会にどうやって統合していくのか。
おそらく答えはないのだが、私はGSBTBが創るコミュニティにヒントがあると感じている。だから、このコミュニティのことをさらに知りたいと思う。
多様性は社会を強くする、と信じる1人として。

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