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#おくわど output 第0回 未配信スクリプト


#おくわど 0回

「何故、今ポッドキャストなのか」

ゲイの方がゲイとしてポッドキャストを配信する、いわゆる「げいぽ」が最近増えている、らしい。私がこのポッドキャストの配信を決断した日にも、新しい「げいぽ」が配信された事をツイッター上で知った。

わたしは「げいぽ」が好きだ。それは何より、わたしが「ラジオっ子」だったことがある。好きこのんでラジオっ子になったわけではない。実家にいた頃の私は、暇さえあればアニメやスーファミのためにテレビにかじりついている子どもだった。

19歳の頃に長崎の実家を家出同然に飛び出したわたしは、福岡の住宅街にあるノミの出る八畳の畳部屋を二間にしたアパートで今で言うところのシェアハウスをしながら、新聞奨学生制度を利用して朝夕に新聞配達をすることでグラフィックデザインの専門学校に通っていた。何の後ろ盾もない当時のわたしは、テレビを持てるような経済的余裕はなかった。

それでもよかった。夕方の新聞配達の配達を終えた後、CDラジカセでラジオを聴きながらケント紙の上にカラス口を走らせる夜は、テレビ漬けだった実家の生活を忘れさせるほど素敵だった。それまでほとんど聴くことのなかった流行の洋楽を英語混じりに紹介し、蘊蓄を垂れ、お便りへの返事を流暢に返すラジオDJたち。彼らはわたしの生活に、乾いた喉に流し込むオロナミンCのように、爽やかな潤いと刺激を与えてくれた。四十路を過ぎた今の私であれば噴飯物のクサイ台詞も、当時は人生に刻みつけるべき教訓のように思えたのだった。

新聞配達しながらの学生生活から紆余曲折を経て、私はとあるデザイン会社の正社員となった。その頃には一人で四畳半の日の当たらないアパートに住んでいたが、わたしのラジオ中心の生活は続いていた。その頃にはリスナーとしての嗜好も若干変わり、格好をつけた謂わゆるFMチックなラジオ番組よりも、くだらないダジャレや笑い、小噺が楽しいものを好むようになった。等身大の、話し手の手触りがある番組の方が、聴いていて安心できた。そして何より手取り12万円でサービス残業が毎晩続く仕事のストレスを、ずいぶん軽くしてくれた。FM福岡には今も感謝している。

それから20年以上が過ぎた現在、オーストラリアの地方都市に住むわたしは、今も自宅にテレビを持たない。

話は変わるが、ラジオと同じように、20代当時の私を魅了したものに「雑誌」というものがあった。グラフィックデザインを志していた当時の私は、「目から脳を刺激する媒体」としての雑誌に熱狂していた。流行のファッション誌や各種情報誌を少ない賃金から買い漁り、そのレイアウトやイラスト、広告まで食い入るように眺めていた。しかし現在、紙媒体としての「雑誌」は、ネットの出現により、今の「テレビ」以上にその存在意義を毟り取られ続けている。紙媒体の価値を全否定するつもりは毛頭ないが、わたし自身は全く雑誌を買うことが無くなった。

時を遡ればテレビが世に出回りはじめた時代には、ラジオもその存在を大きく脅かされたことだろう。しかし「耳から脳を刺激する媒体」としてのラジオは、いまはCDラジカセではなくパソコンやスマホから、今も私の耳を楽しませている。紙の本が廃れても文字媒体が形を変えながら連綿と続くように、音声媒体もラジカセからスマホに発信端末を変えて発信されていく。

そこで、ポッドキャスト、しかも「げいぽ」である。それはもちろんわたし自身がゲイだからだ。そういう自身の性自認を基点に、ゲイならではと思われる言葉づかいや視点、関心や共感、仲間意識などが、「げいぽ」である、というだけで無意識に語られぬ情報として入り込んでくる。それもわたしが愛したFM福岡のように、そこには下世話な、俗っぽい、生々しい発信者の息遣いがある。

ポッドキャスターの選ぶトピックに、その声色に、その間に、その笑い声に、その吐息に、その唇や舌が触れ合う音に、わたしはマイクの向こう側に確かに居る「ゲイのポッドキャスター」達の輪郭を想像する。音声のみで作り出されるその肌触りに、その匂いに、硬さに、脈打つ様に、わたしは興奮してしゃにむに腰を振り、絶頂して崩れる。

いま、わたしはポッドキャスターになろうと決断したのは、つまり、あなたに、わたしを犯して欲しいからなのだ。

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