見出し画像

嫁がいるのにまだクリスマスで消耗していた話

毎年クリスマスシーズンには旅行に行っているのだが、今年も旅行に行こうと思っていた。嫁と一緒に、「どこいこっか~」みたいな話を、ずっと続けていた。(ちなみに僕は旅行はあまり興味もなく、ここ最近いった熱海旅行で一番面白かったのは、熱海旅行の電車中で嫁とted talksをみたことである。)

12月24日、結局クリスマスイブの今日はどこもいかなかった。僕は仕事を、嫁は修士論文を書きつつ、ちょっと疲れたら編み物をしていた。特別なことといえば、大好きな地元吉祥寺で、近所の適当なスーパーでちょっと高いいくらを買ってきて、昨日食べた鶏の丸焼きの骨をだし汁にしていくら丼を食べたくらいだ。

クリスマスイブは、毎日とほぼ一緒の日常だけど、それなりに幸せだった。

よく考えたら、なぜ対して興味のない旅行に行こうと思ったんだろう。なぜ何かロマンチックな雰囲気を作って、セックスは張り切らなければならないな~なんて思ってたんだろう。なぜか、クリスマスイブは、何か特別にしなければいけないと思っていた。

だけど、よく考えたら、クリスマスイブに頑張らなければいけない理由もない。全くないんだよね。みんなが幸せにならなければいけないと思い込んでいるから、その日だけみんな頑張って幸せになろうとする。そしてそれで儲かる産業があるから、仕組みとして頑張らざるを得ないだけの話。

普段あんまり、ヒトの幸福感を自分の中に取り入れないようにしているつもりだったんだけど、まだ自分の中に、みんなが考えている幻想の幸福感を追い続けていることを知ってぞっとした。呪いのように

「旅行に行かなければいけない」
「プレゼント交換をしなければいけない」
「ロマンチックな場所でセックスをしなければいけない」

そんな言葉が、自分の思考の中に少しでも入っていたんだなぁ。

彼女・彼氏とロマンチックな場所で、旅行して、プレゼント交換する必要なんてないんだよね。モノを売る人達のマーケティングの意図どおりの人生を送って、幸せになれるのであれば、そう過ごせばいい。

でも、世の中の人、それに幸せを感じない人もいると思う。別の幸福感があるなら、それを一人でも二人の間でも、ぶれない何かを見つければいいと思う。

僕らはマーケティングや、半世紀前の迷信にずっと呪われている。

大変だけど、呪いを一つ一つ見つけ出して、自分の幸せをもうちょっと定義して生きていかないなと思った。

サポートでいただいたお金はFanzaの動画を購入するために利用されます。