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つくつく胞子


 なつきは中学二年生である。ピチピチだ。
 なつきのフトモモはすごい。水をはじくのだ。もしホットパンツなど穿いたら、世界が爆発するだろう。
 しかも夏なのである。なつきははじらいと、湿度への我慢の限界のはざまにいた。
 また、この季節、風呂場にはすぐにカビが生える。
 だから、風呂場に置いてあったカビキラーが、勝手に動き出したのである。

 なつきは学校に行くふりをして、帰ってきた。だって、学校に行きたくないのだ。
 母はもう仕事に出かけただろう。帰って鶴田謙二の漫画を読もう。
 家の前の公園にまでもどって来ると、この暑いのにジャケットを着たもじゃもじゃ頭が、ベンチに座っていた。
 なつきはもしや父かな、と思った。
 しかし父ではなかった。

 もじゃもじゃジャケットはなつきに近づいてきた。ホテルはこの辺にはない。
 なつきのカバンにはハサミが入っている。意識的な殺意の具現だ。
 「やあ。おれの名前はキノコ」もじゃもじゃがこもったような通るような声で言った。
 「お前はなつきだな。行こうぜ一緒に」
 「あんた、信用できなさそう。なんなの」
 公園の木にとまっている千匹のセミが一斉に鳴いている。

 「おれだけじゃ、不安なら、仲間を呼ぼう」キノコがぱんぱん、と手をはたいた。
 二人の足元のかさかさに乾いた地面にぼこぼこと小さな穴が開き、背中からキノコが生えたセミの幼虫が出てきた。
 「こいつはトーチューカソー。善でも悪でもない。生きても死んでもいない。つまり完全に中立の存在だ」
 トーチューカソーは不思議な力で宙に浮き、なつきの肩にとまって落ち着いた。
 外見はえぐいが、いいやつなのかもしれない。
 なつきは、キノコのことも、なんだかまあ許してしまった。

 「お前、親父のいないのひとりっ子の女の子に見えるね」
 図星であった。
 「父はシッソウしたのよ」
 「どこに」
 「わかれば苦労はないわ」
 「シッソーシッソー。ご苦労なこった。シッソーほどろくでもないことはないな。セキニンホーキでクモガクレだからな。ともかく、おまえの親父を探しに行こうぜ」
 「知ってるの、どこにいるか」
 トーチューカソーがジジジ、と鳴いた気がした。

 ブタの貯金箱を壊して一万七千円を財布に入れて、アサクサまで行って、東武日光線に乗った。壊れた貯金箱が母親へのメッセージだった。
 キノコはキオスクで買った缶ビールを飲んでいる。トーチューカソーは動かない。
 突然、なつきが乗っている次の車両が爆発して四散した。
 窓の外にどこかで見たことのあるような容器がふやふや浮いていた。
 「何なの!」
 「おまえん家の風呂場のカビキラーだ。おれたちを殺しに来たんだ」
 「どうするの」
 「なに、負けん」
 キノコは窓を開けて、懐から取り出したエノキやマイタケやエリンギを外にまき散らした。
 カビキラーはそっちに行ってしまった。列車は先に進んだ。

 カヌマというところに着いた。
 目的地までのバスはもうないという。朝の七時台に一本だけ。それではいったい帰りはどうするのか。誰も知らない。Nobody knows.
 仕方がないからタクシーに乗った。カビキラーがいつくるか、わからないのだ。

 駅前から車に乗ること約四十五分。山中の古い神社に着いた。
 運賃七千五百五十円也。ブタが浮かばれない。
 タクシーの運転手は、トーチューカソーをビールでやりたいといった。
 なつきは少し迷ってから、肩のトーチューカソーを運転手に渡した。運賃七千円也。
 (キノコ曰く「さくら水産ならこんなにとらない」)
 車を出て少し歩いたら、また地面からトーチューカソーが出てきた。便利なやつである。
 
 山の中だから寒い。森を抜けてくる風の音が強い。
 もしホットパンツなど穿いていたら、一発で風邪をひくだろう。なつきは自身の恥じらいに感謝した。
 キノコが社務所に行き、見たことのない変なお札を渡すと、眼帯をした黒髪ぱっつんの巫女さんが奥に引っ込んだ。
 二人と一匹がついていくと、社殿の奥に大きな一枚岩があって、大きな円形の鉄の扉がついている。
 巫女さんが何かスイッチを押した。地響きとともに扉が開いた。

 「この向こうに父さんが」
 「大概のシッソウ者はこの向こうだ。行こう」
 いつの間にかそこまで歩いてきた廊下の向こうまでカビキラーが来ていた。頭の溶けたタクシーの運転手も来ていた。
 急いで扉を閉めてもらった。
 「ところであの巫女さんの眼は」
 「ああ、ちょっとな。昔いろいろ」
 なつきの顔が火照った。年頃なのである。

 扉の向こうは紫の世界で、空は黒いし、だからといって夜ではなく、気持ちが悪い。
 ぐにゃぐにゃの道を歩いていく。
 「キノコはこっちの世界の人なの」
 「いやおれはずっとおまえん家の前の公園に住んでたぜ。お前がガキのときから」
 「ふうん」
 「地面の中ってのは、いろいろあってな。向こうがこっちだったり、こっちが向こうだったりする」
 「へえ」
 ふいにトーチューカソーが宙に浮いて、前方に飛んで行った。
 向こうに荒れた小さな社があって、その前に禿げたおっさんが立っていた。

 「ハローハロー。聞こえますか。グッドバイ。センキュー。聞こえますか。聞こえますかおじょうちゃん」
 「あなただあれ」
 「わしはショードー坊だ。この辺りの山間信仰の祖となった、えらーい僧侶である」
 「長生きね」
 「そのセミと同じようなもんだ」
 「だって彼は背中からキノコが生えてるわ。半分生きていて、半分死んでいて」
 「セミの長い人生、そういうこともあるだろう。わしの背中にも、ほら」
 見てみると、確かに坊さんの背中には亀裂があって、そこからでかいキノコが生えていた。
 「ところで、父さんはどこ?」

 「おお、彼のことなら知っているぞ」
 「ほんとに」
 「コントンとコンランとジョーネツが好きなやつだったから、エナジーの行き場がなくなって、次元に挟まれてしまったのだ」
 「なんだ。ここにはいないのかよ」
 「こっちもあっちも合わないやつは、そうなることもある。こことあっちの間に、サンドイッチだ」
 「どうすれば会えるの?」
 「ナンタイサンへ行け。わしの名前を出せば山門が開く」
 「ありがとうキノコおじいさん」
 「ところでおじょうちゃん処女か」
 「なによあたりまえよバカじゃないのスケベ」
 「いいか。不良にささげてはいかん」
 「この人のこと?」なつきはもじゃもじゃキノコのことをうざったそうに、でもちょっとどきっとしながら見つめた。
 「いや、わしがいいたいのはな、バイクとロックとヒッチハイクはやめておけということだ」

 「ときにカビキラーが迫っておる」
 「しつこいやつだぜ。もうナメコもシイタケもねえ。マツタケは中国産だからばれる」
 後ろからカビキラーと、さらにバスマジックリンとサンポールもやってきた。もしさらにドメストやキッチンハイターが来たらおしまいだ。
 「ここはわしが食い止めよう」
 それに甘えてなつきたちが山に向かって走り出し、ちょっとしてから後ろを振り向くと、すでにショード―坊主は溶けていた。

 実際のナンタイサンはフジサンよりよほど大きかった。
 「こっちを世界遺産にすればいいのに」となつきは思ったが。
 「でもこっちが世界遺産になったら人がたくさん来て父さんのかくれるところがなくなるわ」そう思い直した。
 山門の小坊主にショード―の紹介であることを告げると門を開けてくれた。
 門が閉まった後、外側で小坊主が溶ける音がした。

 ナンタイサンは険しく、さらに木々に覆われ、紫色で、どろどろだった。
 外から見るとクールでも、実際に中に入ってみるとそうでもないものはよくある。
 たとえば音楽を聴きにオーストリアに行ったのに、結局物乞いにお金をあげて帰ってきただけ、など。
 そこら中にトーチューカソーたちが群がっていた。共食いをしている。どれが自分のものかもうわからない。

 ふと気づくと、キノコがクールになっていた。背筋が伸びて、愁いを帯びた眼で、まるで文学者みたいだ。
 もともとこちらの世界の人間だから? 聞くともったいない気がする。
 なつきはキノコと付き合ってもいい気がした。
 サルが出てきてトーチューカソーを食べようとして、逆にたかられて食べられていた。

 山頂に着いた。標高24,860mである。表の世界の十倍だ。
 眼下の雲海からは、富士山などの山々のてっぺんが頭を出しているのが見える。 
 山頂の屋代には飲料の自動販売機があった。
 「リアル水」というものが売っている。
 キノコが自販機を蹴とばした。いろんなものがガタガタ出てきた。
 キノコは自分はライフガードを取り出して飲んで、リアル水をなつきにくれた。

 ふいに目の前にショードー坊の立体電子ホログラム映像が現れた。
 「ふう。魂を電子化しておいてよかった」
 「ハイテクなのね」
 「今はどこでもそうじゃよ。よし、それを飲んで、世界を爆発させれば、次元のはざまが開くぞ」
 「世界って、具体的には、なあに」
 「その辺に見える高い山とか、あの浮かんでる月を破裂させれば、いいのさ」
 キノコがなつきの手からリアル水を取り上げて少し飲んで、空を見た。
 真っ黒い空に浮かんでいた真っ赤な月が爆発して、その破片が空に染みついた。

 なつきはリアル水を一気に飲んだ。
 あ、これって間接キッス。頬が赤くなった。その熱により、肩にとまっていたトーチューカソーが爆発して死んだ。
 向こうの方にあった、カナイマ、キリマンジャロ、チョモランマなどが爆裂四散した。
 真っ黒な空にヒビが入って割れ、その向こうに見えた火星や土星や冥王星も爆発した。
 もちろんすぐそこまで迫っていたカビキラー一味も粉々になった。
 つまり、世界そのものが爆発した。
 現在世界に残っているのは、仏教世界の須弥山の如く永遠に存在する、ナンタイサンとその周辺だけだった。

 なつきが目をさますと、家だった。
 家の布団で寝ていたのだ。汗でびっしょりだった。外は雨だった。
 部屋の中央にトーチューカソーが浮いているから、夢ではない。
 しかし初キスの相手であるキノコはどこにいったのだ。
 トーチューカソーの後をついて風呂場に行くと、いつの間にか下水溝から小さなキノコが生えていた。
 その横にカビキラーの容器が倒れていた。なつきの初恋は終わった。

 玄関の呼び鈴が鳴った。
 開けてみると、もじゃもじゃ頭のジャケットがいた。父であった。

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