ひとりはなんでもできる至福の時 #3
宿帳に住所と名前を記入し、
1名と書いてため息をつくフー子に「どうかされましたか?」と
対応してくれた和服姿の女将が、心配そうな表情を浮かべた。
「あ、なんでもないです・・・いい旅館ですね」
「ありがとうございます。ごゆっくりおくつろぎくださいね」
女将の先導で、離れにある客室に案内され、一通りの説明を受けたフー子は
ひとりになると、ごろんと畳の上に大の字に寝転んだ。
「ダイジョーブタといつも一緒ってわけじゃないのに、なんだか妙に寂しくなっちゃうな・・・」
どのくらい天井をぼんやり眺めていたんだろう・・・と体を起こしてみたものの、何をすればいいのか分からずに、さっそく時間を持て余してしまう。
「ひとり旅をする人って、一体ひとりで何してるんだろう?」
テレビをつけたり消したりを繰り返していると、
コンコンと戸をノックする音が聞こえてきた。
「はい?」
引き戸を開けると、何枚もの浴衣を手にした女将の姿があった。
「お好みの浴衣がありましたら、お好きなのを選んでくださいね」
「え?いいんですか?」
女将が畳の上に何種類も浴衣を広げ、
そばでフー子は嬉しそうに選び始めた。
「どれもステキですね」
「まだお夕食まで時間がありますから、
温泉で温まってからこの浴衣をお召しになって、
近くを散歩されたらいかがでしょう?」
「いいですね・・・じゃあこれにしようかな」
フー子が、明るい色の浴衣を手にとった。
「きっとお似合いになりますよ」
チャポン・・・。
やわらかなお湯に首までつかったフー子は、
思わず「あ〜気持ちいい」と目をつぶった。
明るい時間に温泉に入るなんて、いつぶりだろう。贅沢な時間・・・。
ひとりで広い湯船で温まっていても、頭の片隅には平日に温泉に浸かっていることに対する後ろめたさを感じていた。
「今更会社では・・・ううん。別に私は悪いことしてるわけじゃないんだし!」
そんな思いを頭を振ってかき消した。
夕暮れの中、明るい色の浴衣を着て、外に出た。
湖の向こうに、夕日が沈もうとしている。
夕焼けが湖に反射して、水面がキラキラと光っていた。
「わぁ、きれい・・・」
夕日を眺めているうちに、フー子はふと小さな頃を思い出した。
お父さん、お母さんと一緒に見た夕日・・・
こんなことを思い出すのは何年ぶりだろう。
<つづく>
イラスト:かわい ひろみ
物語作 :今西 祐子
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