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やれば出来るけど、動かなきゃ意味は無い

どうも、毎日の筋トレがサボり気味の私です。気が付いたら半月サボっていて、先日再開したら回数出来なくなっていました・・・。継続こそチカラ成りですね。

「やれば出来る」って自覚した瞬間ってありました?基本諦める性格の私でしたが、私の場合、初めて豪州に語学勉強を考えてワーキングホリデーで行った時でしたね。

ワーホリ

 「社会の歯車で終わってたまるか」と毎朝乗る満員電車で痴漢に間違われないように両手を挙げて揺られていたサラリーマン時代。務めていた会社も何か怪しい雲行きになっていくのを感じ辞めて、何をしようと約1年近く無職を続けてそこからオーストラリアへ行く事に。

 9割がその「社会の歯車」でその大切さすら自覚してなかったし、実際今は歯車の一部なんですけどね(笑)

 まともに英語も話せないし、遠い親戚が一人いたけど、初対面の人。少しお世話になって、シェアハウスで過ごす。まぁ家賃は、6畳程度の部屋で共同の風呂、便所、キッチンで週2万程度だったかな。もっとしたかな?まぁ長期でそこにいる気は無かったけど・・・

 まぁ、この話は別の機会にしますが、そんな誰も知らない地で、仲間も多く出来て、今も繋がりある人もいるし、なんだかんだ行動起こしてみればどうにかなるなと、やれば出来るなって思えた。これが結果、今の結果を生む、大きな勘違いをしていた事なのですがね(笑)

 

懺悔室

 子どもの頃から、面倒な事は簡単に諦めていてそれでもOKだったんですね。これも今になっても自分をダメにしているのですが。やりきった事が無いんですね基本的に。今までまともに宿題をした事もなければ、自由研究だ作文だと子ども頃ありましたがまともに提出した事が無い。図工も1度も完成した事が無いし、プラモデルもそう。部活にしても3年続いた事は無いし。そういう日々だった事は、良くなかったなぁと今は思います。

 話を戻して・・・。「やれば出来る」と思うと、行動になるし、行動を移さなければ・・・。となるのですが「やろうと思えば出来る」「いつだって・・・」となってしまうと最悪。これはかなり最悪です。根拠の無い自信にもなってしまうし、行動しない。というか私は行動しなかった。

 オーストラリアの貴重な経験なのですが、もっと今なら活かしたと思います。ムダにオーストラリアに居ただけというのもありますし、帰国してからも更に無駄にしてしまう。やれば出来るし、やってみてダメなら方向修正すればいい。しかも若者なのだから・・・。今やそんな微修正が出来ても、ここまで向かってしまった道を戻って岐路を変えるなんて・・・。こんなとこに来て気が付いてしまうというか、気付いてたのに気付かないフリをしていたが正しいのかも。

 勝手な諦め、情報だけでの出来ないの判断。意味不明な不安と怖さ、そして「やろうと思えばいつでも出来る」などという不思議な自信。結果何も取り組まずに流れに流れてとんでもない場所に行き着いている。

 「自分は周りとは違う」なんて思いながら、自分もその中にいる事を知る。その中でもかなりダメな方だって事を認めた時の残念さ。でもそれを知る事で、その中でどうするかを考えていけるようになりましたけどね。

 手に持っているように思える「何か」それは、実はたいしたものではない。それを何か失うような、失敗したらと思う不安や怖さは、何においてもある事。それをどう超えていくか。

 「やろうと思う」ではなく、「やる」と言い切りと、「今やる」という子動力と。間違うことを怖さを、結果への必要な物事と捉えられるか。
 そんな事を当時の自分に伝えたいなぁと思う。

「もしも」と思う事はあっても良いけど、それがすでに「過去」ならば、それを良いものにするために「明日」を変えていく事って大事だと思う。 


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