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室内管弦楽のコンサートへ招待される

私が中学生の頃、女子に吹奏楽部は人気があった。

 
私は卓球部かバレー部か吹奏楽部に入ろうと思っていて
全ての部活の体験入部を行った。

バレー部と吹奏楽部は女子のみで
どちらも女の世界だった。

 
バレー部は顧問がイケメンで優しいが、先輩が部活の中で一番厳しいで有名だった。
私は身長が高いし、運動の中ではバレーが比較的得意だったし
母親がかつてバレー部だったから、バレー部に憧れもあったが
いざ体験してみて、感じたことがあった。

 
私はトスが上手くできなかった。

 
サーブや返しは比較的得意だったのに
両手の親指と人差し指を三角形のような形にして
ボールの威力を殺し
ポーンとアタッカーが攻撃するようにボールを垂直に上げる
トスができなかった。
私がトスをすると、バシッという音になった。
明らかに間違った音になった。

 
人生で初トスだし
練習すればできたのかもしれないが
周りが当たり前にできていたトスが
体験入部日にできなかったのが私を落ち込ませた。

 
先輩が怖いという噂も気になったが
トスができなかったことが入部をやめる一番の理由になった。

 
体育でトスができないならまだしも 
バレー部でトスができない、トスの取得に時間がかかる、では話にならない。

 
 
続いて、吹奏楽部に体験入部した。
バレー部も吹奏楽部も興味がある子がたくさんいたので
まずは友達とそちらに体験入部したのだ。

 
 
 
吹奏楽部は先輩が優しいで有名で
なるほど、雰囲気は優しかった。
私は吹奏楽部で打楽器を希望していたが
いざ楽譜を見ながら軽くやらせていただくと
思ったよりもできなかった。

楽譜が思ったよりも難しい…!

私は衝撃だった。
仮にもピアノを習っていたのに、吹奏楽部の楽譜は想像より難しく
楽譜通りに叩くのはなかなか難しかった。

吹奏楽は合奏だ。
少しのズレが全体ハーモニーを汚くさせる。
特に打楽器は希望者が少ないし
私一人のミスは悪目立ちをするだろう。

 
私は吹奏楽部に入部をやめた。
吹奏楽部に入ると運動不足になって太りやすいと噂を聞いたが
それよりも私は、自分が想像以上に楽譜通りに演奏できないから入部をやめたのだ。

 
 
結局私は、卓球部に入部した。

体験入部で楽しかったし、筋が良いと言われたし
姉が副部長をやっていた為、先輩方にかわいがられたからだ。
おまけに卓球部は男女部員がたくさんいて、雰囲気が和気藹々としていた。

 
このように私は、最初に成功体験がないと足を一歩前に踏み出すことが苦手だ。
人間関係や雰囲気も重要視してしまう。

 
 
中学二年生の頃に仲良くなり、親友となった子は吹奏楽部に所属していた。
彼女の演奏している様は行事の際に見たが
やはり吹奏楽部はかっこいいなと思った。

一人一人がそれぞれ楽器を持ち
それぞれが出す音が合わさり
それが大きな一つのメロディになる。

それはやはり、吹奏楽部ではない人間から見ると
憧れの世界だった。

 
 
高校時代は吹奏楽部が弱く、演奏を聞く機会はなかったが
私は大学入学式で度肝を抜かした。

 
 
大学の入学式では、吹奏楽部が見事な演奏をした。

生の吹奏楽を聞くのは久々だったが
記憶と比較してもレベルが段違いで
入学式で一番印象的だったのは、吹奏楽だった。

 
それは母親も一緒で
「あの吹奏楽部はすごかったわね…!」と絶賛した。

それもそのはずで
私の大学の吹奏楽部は全国優勝レベルで
日本各地で演奏しているレベルだという。

 
 
大学生の吹奏楽部だからレベルが違うのではなく
レベルの高い吹奏楽部だから演奏がずば抜けていたのだ。

大学で別の部活やサークルに興味があった私は
入学するまで、吹奏楽部がそこまでレベルが高いとは知らなかった。
吹奏楽部が強いから受験する人もいたことさえ
私は知らなかったのだ。

 
 
大学の吹奏楽部はレベルが高いだけあり
運動部の私よりも練習日が多く、練習時間が長かった。
クラスメートが吹奏楽部に入部したが
あまりの厳しさに退部した。

私もやがて運動部を退部した為
夜遅くまで吹奏楽部が練習していることを見ることはなくなった。

 
 
運動部を辞めた私は後に料理サークルに入り直し
週一回のサークル活動にのほほんと参加していた。

 
私の大学の仲の良い友達は、ほとんどの人が部活やサークルに入っていなかったが
他のグループの子が、室内管弦楽部に入部していた。

 
室内管弦楽!?

 
吹奏楽部との違いが、分かるようで分からないが
とりあえず文字からして、エレガントな気はする。

 
 
私が室内管弦楽部を初めて見たのは、学祭の時である。

室内管弦楽部は毎年、大学の校舎内で喫茶店を行っていた。
喫茶店内では部員が生演奏をしている。
室内管弦楽なので、バイオリンやビオラ等を弾いていた。

私は室内管弦楽部の友達に招待され
他の友達と共にその喫茶店に訪れた。

 
 
学祭ステージや野外はワイワイ賑やかだが
そこから少し離れた校舎内の一室は
優雅な管弦楽の音が響いた。

喫茶店には花が飾られていた。
ウェイトレスや演奏をする人はモノトーンの衣裳でコーディネートを揃えていた。
品がある空間だ。

 
紅茶とシフォンケーキを食べながら生で聞くビオラの音は美しさしかなく
私はその音色にうっとりした。
生でビオラの演奏を聴くのは初めてだった。

お客さんもそこそこしかいなく
私と友達は癒やしの空間を楽しんだ。

 
「来てくれてありがとう!」

 
室内管弦楽部の友達は笑顔で見送ってくれた。
普段校内で見掛ける彼女とは、また違う一面を見た気がした。
彼女かウェイトレスをする様も演奏する様も
とても美しかった。

 
「室内管弦楽部、いいね…!」

「弦の音がいいね………!」

「生演奏聞きながら紅茶飲むとか、優雅過ぎる………!」

 
建物から外に出ると、そこはいかにも学祭らしいガチャガチャとした雰囲気だったが
私と友達は室内管弦楽の魅力にうっとりし
しばらく室内管弦楽の話しかできなかった。

 
 
 
そんな学祭から三ヶ月も経たずに、私は室内管弦楽部の友達から招待券をもらった。
大学近くのホールでクリスマスコンサートをやるらしい。

友達「もしよかったら…」

 
私「行く行く行く!学祭の生演奏もとてもよかったし、ホールでの演奏も気になる!!」

 
私は前のめりでチケットを受け取った。

 
 
 
室内管弦楽部は人数が少ない部活だ。 

私の大学はとにかく吹奏楽部が強いし、人数が多いが
室内管弦楽部がホールでクリスマスコンサートをするレベルとは知らなかった。

 
 
私は友達と共にそのホールに行った。

想像以上に広いホールでビックリした。
席は満員である。 
コンサートが始まるまで
キョロキョロソワソワした。

ライブには行ったことがあっても
コンサートに行ったことはなかった。
あったかもしれないが、それは幼き頃に家族と行ったもので
記憶は薄れていた。

 
 
幕が開けた。

友達は部員のみんなと共にモノトーンの衣裳を着ていた。
学祭の時はまずソロ演奏だったが
コンサートでは最初が四重奏(カルテット)だった。

 
楽器はソロでも美しいが
四人が奏でる音色は重圧感が増し
ホールには美しい音がどこまでも響いた。

 
知っている曲もあったし、知らない曲もあったが
知る知らない関係なく
室内管弦楽部が奏でる音は美しすぎて
私は感動して泣いてしまった。 

弦が奏でる音がこんなにも心に響くと
私は大学生になるまで知らなかった。

テレビやCDとは違う。
生で聴く生の音の迫力は、ただただすごかった。

 
 
 
夢のようなクリスマスコンサートだった。

私と友達は室内管弦楽にうっとりしながら会場を後にした。
確かその日は風花が舞っていて
会場から外に出たらヒヤッとした冬の空気を感じた。

それでも、風花や冬の凜とした冷たささえも美しく感じるくらい
私と友達は夢見心地だった。

心が浄化されたような
見るもの全てが美しさしか感じないような
そんなコンサートの魔法を感じたのだ。

 
 
 
 
 
大学を卒業した後、社会人になった私は再びそのホールにやってきた。
その日はアジカンのライブだった。

室内管弦楽のコンサートの次にこの会場を訪れたきっかけが
ロックバンドのライブなのだから面白い。

 
アジカンのライブ前にグッズを買いながら
あのコンサートから10年経ったとしみじみ感じた。

 
10年。

 
大学を卒業した後、室内管弦楽部の友達は故郷に帰り、やがて結婚した。
私は招待状をもらったが仕事の都合がつかず
止むなく欠席した。

日帰りで行けなくはない場所だが
うちから新幹線を使ってもかなり遠かった。
次の日仕事の私には厳しかった。

大学の友達は久々に集合し
私は写真を見せてもらった。
みんな元気そうだった。

 
室内管弦楽部の友達とは、大学卒業後に会えていないが
年賀状のやりとりは続いていた。

 
お互いに大学院を目指し、将来は心理職として働きたかったが
大学院の壁は厚く
お互いに福祉の国家資格取得に切り替え
福祉の現場で働く仲間だった。

 
彼女は優しく、穏やかで、冷静でもあった。
相談員は適職だろう。
 
旦那さんは優しそうな方で
友達のウェディングドレス姿は美しく
二人は幸せそうに見えた。

 
 
同じ大学で同じ夢を追いかけた仲間が結婚している中
私はこうしてアジカンライブに来ている。

 
婚約破棄後、私は趣味がライブと公言できるほどに
ライブにのめり込んだ。
ライブが大好きだった。生きがいだった。
有給休暇や振替休暇は、大抵ライブの予定が入っていたし
仕事中はライブTシャツばかり着ていた(服装が自由な職場なのである)。

同じ年齢の彼女がしっかりした人生を歩んでいるというのに
私は何をやっているんだという思いが芽生えなくもない。 

 
だが、これが私なのだから仕方ない。

 
 
同じ大学で学び 
道が分かれてからもなお
彼女の存在や頑張りは
私にとって励みだった。

それは今でも変わらない。

 
 
あの頃コンサートやライブに行った会場は
コロナ禍により、今ではコンサートやライブが次々に延期や中止になっている。

あの頃コンサートやライブを
演者側としても観客側としても楽しめたのは
非常にラッキーだった。

今となっては学祭さえ楽しめない。

 
  
彼女は今頃、管弦楽のCDを子どもに聴かせているのだろうか。

そんなことをふと、思った。




 






 






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