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初めてのファンレター

「これ、うちのお母さんが渡してって。」
そう言って、クラスの男子が私にこっそり渡してきた手紙がある。

男子から手渡された手紙。
それはラブレターではなく、人生で初めてもらった、ファンレターだった。

 
 
私が小学校6年生の頃、自学自習というものがあり、ノートに何かしらの課題をやったり、文章を書いて先生に提出していた。

ある日、学級通信が配られた。
毎月楽しみにしている学級通信だが、その時は配られた瞬間に心臓がバクバクしたのを覚えている。

 
その時の学級通信は、紙面の半分が生徒の文章だった。
匿名の文章で、タイトルは「知らない」と「何でもできなきゃいけないの?」の二つの文章が載っていた。

「何でもできなきゃいけないの?」は、私が自学自習のノートに書いて提出したものだった。

 
当時私は内向的というより、暗い女の子だった。

大学生に間違われるような老け顔、160cm以上の身長、太めの体で、決して容姿で勝負するタイプではなかった。
運動が苦手で、絵を描くことと読書が何よりも好きだった。
勉強が好きで、得意だった。
写真が苦手で、笑顔が作れない。
大人や自分より年下の子に、愛想良く対応することができない。
目立つことを嫌い、気が強い人には逆らえず、「地縛霊」や「ガリ勉」、「暗い」「地味」「ブス」等色々言われたし、見下されていた。

子どもらしい愛嬌や明るさ、可愛げがない子どもだった。
 
 
「何でもできなきゃいけないの?」はそんな私の思いをぶつけた内容だった。
今はその学級通信を捨ててしまったので、正確な内容は覚えていないが

「明るくてかわいい子はモテるけど、全員が全員そうでなきゃいけないの?」
「何かが足りなくても、いいじゃない。」
「誰かにとっての欠点は個性ではないのか?」

要約するとそんな内容のものを、原稿用紙一枚分位でまとめたんだと思う。
 
 
 
私の他に載っていた文章について内容はよく覚えていないが、クラスメートのウケはこちらの方が良かったことだけは覚えている。
匿名だったが、もう一つの文章を書いたのは誰だか知っていた。
かわいくてスポーツ万能で、女子のリーダー的ポジションの女の子だった。

謂わば、クラス内で対照的な女の子二人の文章が選ばれたのだ。

 
 
学級通信に代表で載ったことを家族はとても喜んでくれた。
もちろん私も嬉しかった。
嬉しかったが、正直寂しさを感じたことも否めない。
みんなの反応はあちらの文章の方がよかった。

やっぱり、かわいい子には色んな面で勝てないよな…

そう思った。

  
 
 
次の日の休み時間に、私はクラスの男子からかわいらしい封筒を渡された。
黄色と白の封筒で、複数の犬が描かれていた。

「これ、うちのお母さんが、「何でもできなきゃいけないの?」を書いた子に渡してって。」
 
私は周りにバレないように、小声で会話してササッと封筒を隠した。
そう、匿名でも、私があの文章を書いたことは一部の人が知っていた。

 
 
私はその男子のお母さんと面識がなかった。
話したこともないし、顔さえ分からない。
私に手紙?なんだろう?

私は家に帰ってから、急いで封筒を開けた。
中には一枚の便箋が入っていた。ビッシリ文章が書かれている。

「チャーミングなあなたへ」

まず、その出だしだけで私は涙が込み上げた。
家族以外で、こんな暗い私を、そんな風に愛を込めて呼んでくれる人がいるなんて。

 
「学級通信を読みました。
きっとあなたは、頭が良くて、心のやさしい人なのだろうと思います。とても感動しました。そして、良くまとまった、とても上手な文章を読んで、心の中を素直に表現できる素敵な女の子を想像しました。」

 
冒頭から、涙が止まらない。

これは……これは…………まさか……………。

私は泣きながら、何度も何度も手紙を読み返した。
これは紛れもない、ファンレターだと思った。
その手紙は優しさに満ちあふれていた。
私を受け入れて、私の良さに気づいてくれて、私の悩みや葛藤に寄り添ってくれた上で、私を励ましてくれた。

「あなたの“やさしい心”はあなたの宝物です。あなたはどんどんかがやいて素敵な人になっていきますよ。」 

手紙にはこうも書かれていた。

 
「大丈夫だよ。あなたはそのままで魅力的なの。私は気づいているよ。」
まるでそう言われながら抱きしめられたような感覚に陥った。
ファンレターの主は「クラスの男子のお母さん」
それ以上でも、それ以下でもない。
私は顔も名前も知らないし、話したことがない人の手紙で、ここまで心揺さぶられたのは初めてだった。

自分を受け入れてもらえることが、こんなに嬉しいなんて。

私はこんな優しい気持ちを分けてくれた人に、何かを伝えたい、返したいと強く思った。
学校から帰って、習い事をしている間も、手紙のことで頭がいっぱいだった。
私は早速その日の夜、返事の手紙を書くことにした。
 
 
 
まずは下書きをした方がいいと思い、サルの便箋がたくさん余っていたので、それに下書きをした。

「心温まる手紙をありがとうございます。」
「あなたの手紙に感動して、返事を書きました。」

返事はそんな始まりだったが、「この人になら、心の内をさらけ出せる。」と思い、友達にも親にも言えなかった悩みを、私はその手紙にがむしゃらにぶつけた。
書きながら、泣いた。泣きながら、書いた。

 
便箋一枚のファンレターに対し、私の手紙は便箋二枚に及んだ。

次の日、学校で私はこそっと、「お母さんに返事渡して欲しい。」と言いながら、男子に封筒を渡した。

 
 
 
私はそれでやりとりが終わりだと思ったが、なんとまたも次の日、男子から手紙を受け取った。
薄いピンク色の、かわいらしい封筒だった。
 
今にして思うと、大家族の農家のお嫁さんであった彼女は、朝から晩まで相当忙しかったと思う。 
そんな中、わざわざ時間を作り、息子のクラスメートの女子に、ここまで丁寧に誠実な対応をしてくれたことに、ただただ頭が下がる。

 
私は一昨日と同じように、家に帰ったら真っ先に手紙を読んだ。

「とても長い手紙をありがとう!大切にしますね。」 

から手紙は始まり、私の悩みへ寄り添う文章が続いた。
相変わらずとても優しい、あたたかい人柄が手紙からヒシヒシ伝わってくる。
涙なくして読めない手紙だ。

「あなたはきっと自分で思っている以上に強い人だろうと思いました。そして、他人にもやさしい人だろうと思いました。やさしくない人は、悩んだりしないものです。」

「あなたがみんなのリーダーになって活躍する日は近いと思いますよ。人の心のいたみがわかるあなたに、ぜひ、みんなのリーダーとなって頑張ってほしいと思います。」

 
手紙を抜粋すると、こんな風に書かれていた。

私を強いと初めて言ってくれた人だった。
悩むのは優しいからだ、と教えてくれた。
弱いからじゃないんだよ、と伝えてくれた。

そして、未来の私の可能性を信じてくれて、背中を押してくれた。
 
 
私は担任ウケがよかったわけではない。 
我ながら扱いにくい子どもだったと思う。
先生は好きだったけど、理不尽に思うことや差別されていると感じたこともあった。
だけど仕方ないと思った。
私が悪いと思っていた。

だけどこの人は違う。
家族以外の大人が、私を理解してくれた。
私を応援してくれた。

ありがとう…
ちっぽけな私に気づいてくれて、ありがとう……

 
私はその手紙を最後に、もう返事は書かなかった。

 
 
 
その男の子が文章の主が私だと伝えた可能性もあるが、結局私は最後まで名乗らなかった。
その手紙のお母さんと会うことも話すことも全くないまま、私は学校を卒業した。
 
だから、今男の子のお母さんは、私が何をやっているかも知らないし
男の子のお母さんが、今何をやっているかも私は知らない。

私は時折、心の中で話しかける。
もし会って話すことがあるなら、と妄想する。
だけどなんだか上手く話せなさそうだから
心の中で何度も手紙を書いた。

 
 
 
 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 
 
私を「チャーミングなあなた」と呼んでくれたお母さんへ

 
あなたの息子さんは、昔からとても優しい男の子でした。
一緒に児童会役員をやって行事を企画したり、男女みんなでワイワイ遊んだりもしました。
誕生日プレゼントやバレンタインデーのチョコをあげたのは、恋愛的な好きではなく、人として心から尊敬していたからです。

私はずっと、あなたの息子さんのようになりたいと思っていました。
頭が良くて優しくて人から慕われる息子さんは、私の憧れでした。  

手紙をもらってから、あなたのようなお母さんだからこそ、息子さんがこんなにも優しいのだと、私は知ったのです。

 

あなたはおそらく知らないでしょうが 
中学時代、部活内で男女が対立し、私が朝練で孤立した時
唯一声をかけてくれた男子が、あなたの息子さんです。
何十人も部員がいても、あなたの息子さんだけが、私に声をかけてくれました。
それが当時、どれだけ励みになったか分かりません。
あなたの息子さんが周りに声をかけてくれ、息子さんの人徳で、部内で私が居場所を作れました。
どれだけ感謝しているか。
本人には伝えましたが、本当なら、あなたにも伝えたい。

あなたの息子さんは、私が知る限り、周りから悪口を言われているのを聞いたことがありません。
本当に、向日葵のような人でした。

 
私は大人になって、障がい者施設で働きました。
入社して一年目で二つの事業のリーダーに抜擢されました。

まさか手紙で言われたように、未来で本当に私がリーダーになるとは思いませんでした。

10年以上仕事に燃え、生きがいややりがいを感じていましたが
春にやむなく仕事を離れざるを得ない展開になりました。
理不尽さに悲しみ、腹も立ちましたが
仕事で関わった人達が、まるで自分のことのように
私が立ち去ることを泣いたり、怒ったり、戦ってくれました。
私も周りも頑張りましたが、力及ばず
立ち去ることは覆りませんでした。
笑いながら泣きながら、見送られましたし、私は退職となりました。

それでも最後に受け取ったたくさんの手紙やプレゼントからは、私が仕事にかけた思いが伝わっていたことを感じます。

 
あなたがまず気づいてくれたように、家族や友人以外の人にも
私の思いは、誰かの心に届いたようです。
全てを変えることはできないけれど
誰かの人生の、ほんの少しのお手伝いは何かしらできたのではないかと
自分を自分で褒めたいです。

 
このようなご時世ですが、あなたは今も変わらずお元気ですか?

私は今、もう一度人生や今後について考えているところです。
道に迷いそうになった時、自信を失くした時、手紙を読み返しては自分を奮い立たせています。

あの手紙は、今でも大切な私の宝物です。

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