見出し画像

両親の還暦祝いと父親退職祝いを姉妹で企画した話

これは今から数年前の話。

 
私の両親は同い年である。

もうすぐ両親も六十歳だなぁ…とぼんやり思っていた私に
しっかり者の長女である姉は言った。

 
「両親の還暦祝いはどこでやる?お父さんの退職祝いもかねてやりたいよな。

春はバタバタするから、少し落ち着いた頃にやらないか?」

 
ぼんやりした妹は、姉の言葉にハッとした。
そうか、還暦祝いというと赤いちゃんちゃんこのイメージしかなかったが
還暦祝い会とやらは姉妹で企画するのか。
私は還暦祝い会を全く考えていなかった。
私の中では

還暦祝い=赤いちゃんちゃんこを着た写真撮影会

であり
姉妹でお祝い会を企画するという考えはなかった。

 
 
 
思えば、数年前に両親の銀婚式のお祝い企画も姉から話があった。
私がぼんやりしているのもあるが、さすが姉!さすが長女!としか言いようがない。

 
銀婚式は、私が前々から気になっていた高級料亭で行うことにアッサリ決まった。
姉もそこが気になっていたのである。
確かししおどしがあった気がする。

 
値段も素晴らしかったが
料理の質や雰囲気、接客も抜群に良かった。
両親も喜んでくれたし
そこでできてよかった。

確かいい夫妻の日(11月23日)に行った。
狙って予約したのもあるし
たまたま家族全員仕事が休みで予定が入らなかったこともある。

 
予約、司会進行と挨拶、花束とプレゼント用意を姉が行い
私は助言と参加、お金を用意したくらいだ。

姉妹で企画し、親をお祝いしたのは人生初で
姉のしっかりさにビックリした記憶がある。

(銀婚式は私と姉、両親で参加。確か甥は義兄が面倒を見ていた気がする。写真からもなんとなく伝わるかもしれないが、顔や体型は姉が母似、私が父似である。) 

 
 
私と姉はこそこそ連絡を取り合った。
還暦祝い会と退職祝い会の打ち合わせだ。

やはり場所は高級料亭がいい。
なんといっても、一生に一度の還暦祝いだし
父親は大学卒業後に転職することなく
ずっと同じ仕事を続けてきた。
38年間仕事を辞めることなく、休職することもなく、異動先でも頑張ってきた父を私は誇りに思う。

家族の為に我慢することも多かっただろう。

なるべく持ち帰り仕事を増やし
共働きで帰りが遅い母に変わり
平日はなるべく早く帰宅しようと父は頑張っていた。
それはよく…それはよく知っている。

 
退職後も父は働く予定ではあったが
第一線から退くことは間違いない。

 
父にとって定年退職はとても大きなものだったし
還暦祝いも大切だし
しかも母親も還暦祝い。

おめでたいことは重なる時は重なる。

 
 
銀婚式よりグレードは上げるべきだし
両親に感謝を伝えたい。
喜んでもらいたい。

 
姉妹二人で真っ先に思いつく高級料亭は、銀婚式の場所だ。
なんといってもあそこはハズレがない。
素晴らしいことは間違いないことを
私も姉もよーく分かっている。
だが、あそこは祝い事で何度も利用していた。
両親は仕事でも行っていた。
定番過ぎる場所であり、マンネリ化もあるといえば、ある。

 
どうせなら今回は別場所でお祝いをしたかった。

 
私達は別場所の高級料亭の名前を挙げた。
気になりつつまだ行ったことがない場所があった。

私「私の職場の栄養士さん、美味しい料理屋めちゃくちゃ詳しいんだよ。ネットで情報も集めるが、栄養士さんや同僚、友達にも評判いい高級料亭を聞いてみて、ピックアップしてみる。」

 
姉「とにかく一番豪華な料理にしよう。祝い事の時は料理の質は落としちゃいけないしな。」

 
祝い事の時に料理の質を落とさない。 

それは母からの教えだった。
結婚式等参列者は料理の記憶が特に残るので
もてなす側は決してそこだけはケチッてはいけないと
私達は母から何度も言われて育った。 
 

私「料理屋の予約は私に任せろ。銀婚式は、お姉ちゃんに任せっきりだったしな。赤いちゃんちゃんこも私が用意する。」

 
周りから話を聞くと、赤いちゃんちゃんこは昔の風習で、今は主流ではないらしかった。
アマゾンを見ると、代用品の赤いTシャツや赤いパーカーが目立ったし
60歳前後の同僚は皆口を揃えて「いらない。年寄り扱いみたいで嫌だ。」「もらわなかった。」と言った。

だが、私の母親は形や風習を大事にする。 
父親もそうだ。
「申年に子どもから赤パンツをもらうと、将来下の世話にならないから赤パンツが欲しい。」と言い出すような母だ。

 
私達姉妹は自信があった。
絶対に、私達の両親は赤いちゃんちゃんこを着たがる、と。

 
姉「場所によっては赤いちゃんちゃんこ貸し出しもしているらしいから、お店に確認して、借りられるなら借りよう。無理なら購入。花は私が買って用意するから。」

 
私「豪華な花束は任せた。花束も立派なやつにしよう。

じゃあ、また何か話進んだら連絡するわ。」

 
 
銀婚式から時は流れ、私も少しは大人になった。
今度は私も姉の力になりたかった。

話し合いの結果

私がお店探し&予約、赤いちゃんちゃんこ用意
姉が花束用意&当日会場まで運ぶ

役割がすんなり確定した。

 
 
赤いちゃんちゃんこはアマゾンでいくらでもあったから
ネット購入は容易い。

問題は料亭だ。

私は食通の栄養士さんを始め、同僚や友達に相談をしまくり
調べまくり
あるお店の名前が浮かんだ。
私は問い合わせをしてみた。
予約はまだ空いていた。

お店にはコース料理があったが、私や姉の予算より安かった。

 
私「両親の還暦祝い兼父の退職祝いをしたいのですが、一人予算●万円で、コース料理の質を上げることは可能でしょうか?」

 
お店「還暦と退職、おめでとうございます。可能でございます。
何かしら入れた方がいい品や避けたいものはありますか?」

 
私「アレルギーは全員ないです。とにかく見た目や食材が豪華で、舌だけでなく、見た瞬間に気持ちが高ぶるような料理をお願いしたいです。
両親にとって、忘れられない祝い会にしたいです。

あと、子どもが二人参加しますので、子ども用のメニューも用意してください。」
  
 
お店「了解しました。料理担当の者に話をしまして、料理が決まりましたらまた真咲様にご連絡致します。」

 
私「お手数ですが、よろしくお願い致します。」

 
 
そのお店に確認したところ、赤いちゃんちゃんこ貸し出しはなかったので、私は予約完了後、赤いちゃんちゃんこをアマゾンで購入した。
アマゾン様々である。

 
 
姉から両親に、還暦祝い&退職祝いをすることは伝えたし
両親から赤いちゃんちゃんこ希望も確認できたし(やはり両親とも赤いちゃんちゃんこは絶対に着たいようだ)
あとはその日を迎えるだけだった。

 
料理名や食材もなかなかすごそうだし(こちらは当日まで両親には内緒だ)
あとは当日晴れることを祈るだけだ。

 
 
還暦祝い&退職祝い当日はよく晴れた日で
両親、姉、甥二人、私は着飾った。
全員が今日のお店に行くのは初めてだった。

 
通された部屋は広々としており、和風の素敵な部屋で、貸し切りだった。
子どもが二人騒いだり横になっても支障がないことに
姉はとても安心していた。

 
姉が銀婚式の時と同じように司会進行や乾杯の音頭をとり

いつもながら上手いなぁ…

と、私はぼんやり感心するばかりだった。
実にしっかりした姉だ。
 
 
本日の料理はお品書きに書かれて渡され

品目が多く、食材が豪華で

両親は喜んでくれた。
私や姉も達筆に書かれたそれを見ると
ハイテンションになった。

 
 
料理は一品一品時間差で持ってきていただき
なんと二時間もかかった。
子ども達は飽きが来ていたが
なかなか最後の品まで到達しない。

見た目も華やかで
彩りが素晴らしく
味も美味しかった。
初めて食べる食材さえあった。

料理が運ばれてくるごとにテンションが上がり
食べてまた会話が弾み
笑みがこぼれた。

 
ありがとう、料理長。
注文通りの素晴らしい品だ。

私は胸がいっぱいになった。
お店の人には感謝をしてもしきれない。

 
 
食べて食べて食べまくり、飲みまくったところで
最後に両親にデザートプレートが出された。

【おめでとう&おつかれさまでした】の文字に
胸がいっぱいになるのは
両親だけじゃなかった。

 
両親はお腹いっぱい胸いっぱいだったので
デザートは全員でつついた。
主に甥が食べた記憶がある。

 
 
食休みをした後、姉が司会進行し
甥から花束を
私から赤いちゃんちゃんこを渡した。

すると、両親からお礼の言葉が長々とあり
母親から私と姉にお礼の品が渡された。
ブランドもののポーチだ。

 
ぼんやりしている私は
母がブランドもののお返しを用意していたことを
渡される瞬間まで全く気づいていなかった。

やられた…

これだから、子は親にいつまでも勝てないのだ。

 
両親(特に父親)は涙目で喜んでくれたが
今度は泣いたのは私の方だ。
確か姉はほとんど泣かなかった。

 
 
両親が着替えた後はお店の方に声をかけ
家族集合写真を撮ってもらった。

家族全員が元気で今日この日を迎えられて
幸せいっぱいだった。

  
強いて言えば
姉が子どもを二人授かっているのに
私は婚約破棄したし、その後も恋愛が上手くいかず
申し訳なさはあった。

本当はここにこの時、私の子もいたらなおよかった。


 
父親は酔っぱらい上機嫌で
「こんなにいい娘を持って、お父さんは本当に幸せだ。」と何度も何度も繰り返し言い
感極まって泣いた。

 
母親も喜んではいたし
多少泣いたとは思うが
父親の喜びが想像以上で
父親の泣いた姿の方が印象的だった。

 
姉家族とは現地解散である。

両親を自宅に降ろした後
早速私はコンビニに行き、写真印刷をした。
そして両親に写真を渡した。

 
母親は写真フレームを買ってきて
リビングの目立つ場所にその写真を飾った。
リビングにはたくさん写真が飾られているし
写真によっては
入れ替わるものもあるが
還暦祝いの写真はいつまでも飾られている。

 
還暦祝いは相当嬉しかったらしく
両親は今でもたびたびあの日の話をする。

両親を喜ばせたかった。
そして銀婚式は何もできなかったけど
今回は私も姉の力になりたかった。

 
だから還暦祝い&父親退職祝いが無事終了し
私は満足だったし
肩の荷が降りた。

 
そして、私は非常にラッキーでもあった。

 
 
姉と還暦祝いを企画し、お店に予約完了した後
私の職場は監査のお知らせが入った。

他の地区は分からないが
私の職場の監査は6~12月の間に行われ
監査の日にちは5月に一斉に発表となる。
例年の流れから、今年は冬に監査じゃないかと予想していた我が職場は
6月に監査があると確定した時は愕然とした。

 
私の職場の監査は6月末で、還暦祝い会は6月頭だった。

だから非常に、ラッキーだった。
監査の前後は追い込みになる。
監査とぶつからなくて本当によかった。

 
私は還暦祝い&父親退職祝い終了後、監査に向けて書類準備や作成に追われ
土日はサービス残業やサービス出勤になり
怒濤の日々を過ごした。

 
娘としての役割ばかりこなしていられない。
社会人としても
私にはやるべきことが山のようにあった。

 
  
だからこの年は濃厚な6月だった。
忘れられない6月だ。

監査も私の事業部は大きな問題や指摘はなく
無事に終了し
季節は夏に変わっていった。

 
  



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?