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頬を叩く

昼食時
私は利用者Aさんの隣にいた。

 
言葉は話せないが
何度も何度も自分の頬を叩いた。
おいしい、の意味合いである。

「おいしいんだね、よかったね。」

と、私が伝えても
また頬を叩いている。

 
「よっぽどおいしいんだね。」

そう言うと
ニコッと笑い
体を私にすり寄せる。

 
「まだ食事中~。」

なんて言いながらも
甘えられるのはまんざらでもない。

 
それから数時間後のことだ。

 
利用者Bさんが利用者Cさんを突然叩こうとし
それを職員が止めた。
その部屋にいた職員はみんなそちらに気を取られた。

 
だから
Bさんが椅子に座ろうとした時
その席の隣で
Aさんが施設の本で遊んでいたのに気づかなかった。
その本はBさんのお気に入りだ。

 
パシッ!!!

 
その瞬間
BさんはAさんの頬を思い切り叩いた。

 
これは私の推測だが
振り上げた拳を止められて行き場のない怒りを抱えたBさんは
たまたま目に入ったAさんに八つ当たりした。
理由は自分の好きな本を“奪われた”から。
そんなところだろう。

 
部屋にいた他の職員二人がBさんの方に行き
私はAさんを慌てて別室に移動した。

 
頬は痛々しいまでに真っ赤になっていた。
私は慌てて頬を冷やす。

 
別室からも職員が駆けつけた。
頬を叩かれた音は別室にまで響き渡っていた。

 
ポタッ。

 
Aさんの瞳からは涙があとからあとから溢れた。
よほど痛かったのだろう。
呆然とした後
痛そうな顔をして
静かに涙を流していた。

私はもらい泣きした。

 
「ごめんね。痛かったね。ごめんね。ごめんね。ごめんね。」

私は謝り続けた。
Aさんの近くにいながら助けられなかった。

 
Aさんは痛覚が麻痺しているらしく
もしかしたら叩かれたからその反射で泣いたり、鼻水を垂らしていたのかもしれない、と言われた。

 
だが
Aさんが泣いたのは施設では初めてで
それは紛れもない事実で
どんな理由で泣いていたにせよ
相当な痛みや衝撃だったに違いない。

 
自分が悪者扱いされたのがおそらく気に入らないBさんは
その後、物を投げ続けた。

 
他の利用者を避難させ
他の利用者にも危害を加えさせないようにした。

 
Aさんは泣き続けた。
静かに静かに
悲しそうな顔をして泣き続けた。

 
私は帰る直前まで
Aさんの頬を冷やした。

痛みが早くなくなるようにと祈りながら。

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