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分からないこと調べ係

私は小さい頃から好奇心旺盛だった。
分からないことがあると、すぐに父親に尋ねた。

 
父は「それはね。」と優しく教えてくれた。
謎が解けると、へぇ~!と感心した。
分からないことが分かった瞬間は、いつだって快感だ。
分からないことがそのまま残るとモヤモヤする。
それは今でも同じだ。

 
 
私が文字を読めるようになった頃だ。
私はいつもと同じように父に分からないことを尋ねた。

「どれどれ。」父は書斎から茶色の小さな辞書を取り出した。
それは父親が愛用していた、年季の入った辞書だ。
古く、使い込まれた茶色の辞書は、私の分からないことがなんでも載っていたように感じた。
漢字だらけで私はまだ読めない、魔法の本のようだ。
段々と知識や知恵が増えてきた私の疑問に、時折、父は辞書を使うようになった。

「知ったかぶりはよくない。きちんとした意味を覚えてほしい。」

父はそう言っていた。
娘に教える責任もあったのだろう。

 

 
 
私も段々と漢字を覚えてきた頃、いつもと同じように分からないことを父に聞いた。

先生が言っていたこと、テレビで見たこと、本に載っていたこと

分からないことは、たくさんあった。
 
 
父は笑顔で言った。

「そろそろともかも、自分で調べてみようか。」

 
父は私に黄色の辞書を買ってくれた。
生まれて初めての、自分専用の辞書だ。  
父が持っている辞書よりも大きくて、見やすかった。

「分からないことはその場ですぐに調べる。分からないことは分からないままにしない。」

それは父の口癖だった。

 
漢字を覚え、辞書の使い方を覚えた私は
父に質問する前にまず辞書で調べた。
私の辞書にも色々載っていた。
意味や例文を読むと、へぇ~!となる。
調べていた言葉の横の単語が目に入り、寄り道のように別の単語の意味も分かる。
またも、へぇ~!となる。

分からないことが分かる。
自分で調べられる。

それは大きな成長だった。

 
 
 
小学校三、四年生の頃、マスターノートと呼ばれるノートの課題があった。
一ページに一つの漢字をテーマとし、漢字の書き順や部首、意味をまとめ、漢字の書き取りをするだけでなく
熟語を複数上げて
例文を自分で作るのだ。

宿題ということもあったが、これに私はハマりにハマった。
国語が好きだったし、ページをコツコツ埋めることが楽しかった。
特に熟語を元にした例文はセンスが問われる。

 

私は自分の辞書を使い
父親の辞書も借りて
ものすごい勢いで漢字の成り立ちや意味を吸収していった。
父の辞書は大人用だった為、二冊の辞書を組み合わせてノートをまとめると
より完成度が高いものになった。

 
毎週日曜日は進研ゼミと計算ドリルを仕上げた後(教育熱心な先生で、二種類の計算ドリルを使用していた)
私はマスターノートに取りかかった。

 

勉強時間は10:00~18:00まで。
テレビを見たり、家族と話したりと、ながら勉強の時間もあったが
毎週日曜日は勉強に燃えていた。

 
私は先生に褒められた。

マスターノートも計算ドリルもクラスで一番だったからだ。
運動ができない、目立たない、容姿も優れていない私の、数少ない長所。
先生に褒められるところ。

仲が良かった子も私に負けじとノートやドリルを仕上げることが早かった。
そのライバルの存在も、私は大きかった。

 

せっかくの日曜日だ。
出掛けたり、遊びたい気持ちもある。
誘惑はたくさんある。
なんせ、週4日は習い事だ。
土曜日は半日授業があった時代で、お昼を食べた後はそろばん塾と水泳教室の掛け持ちをしていた。
息抜きしたい時だってある。

だけど、ライバルに負けたくなかった。
私は負けず嫌いだった。
運動や容姿は負けても、漢字と算数は負けない。
負けてたまるか。

日曜日に出掛ける時は、代わりに土曜日に勉強時間を増やしたりと
私は一週間単位で、勉強をどれだけやるか計画を立て、微調整していた。

 
三、四年生の担任の先生はとても厳しい先生だったが
この二年間に勉強の楽しさを知ったのは確かだし
ライバルと競い合うことで
勉強に燃えたのは確かだ。私の学力は大幅に上がった。
 
だから今でもその点は安心している。

 
五、六年生と担任の先生が代わり
宿題量はガクッと減った。
大好きだったマスターノートや計算ドリル二冊制度は、担任の先生が変わったことで終わりを告げた。
それは通常なら喜ばしいことなんだろうけど
私は少し物足りなかった。

目標に向かって、ライバルと競い合うこと。
あれは私にとって刺激的で、楽しい時間だった。

 
 
 
高校に入学したら、クラスメートが小さな機械を使っていた。
私は初めて見る代物だった。
友人によると、それは電子辞書と言うらしい。
高校の授業は電子辞書持ち込み可だった。

なんだか、亜美ちゃんが使っていた小型コンピュータみたい

というのが、私の第一印象だ。
セーラームーン世代なのだ。セーラームーンの影響は大きい。

 
 
高校に入学し、辞書は高校用に買い直す必要があった上、種類は増えた。
現国だけでなく、英語、和英、古文と盛り沢山だ。
授業についていけない私は教科書ガイドも買っていた。
教科書ガイドは、教科書の問題の解き方やコツ、回答が一部載っているものだ。

進学校の授業は早い。
テストや模試もえげつない。

予習や復習をしても、あっという間に追いつかれた。
それに加えて宿題もあるし、テスト勉強もある。
教科書を学校に置く、置き勉と呼ばれることを、数科目分はできても
辞書と教科書ガイド、教科書やノートは家と学校を往復し続けた。
荷物は5kgくらいあり、私は片道一時間、それを持ち歩いたり、自転車に乗せてこいだ。

帰宅部だが、もはや運動部だ。
 
私は家族に電子辞書をねだり、買ってもらった。
電子辞書もピンキリあり、多機能ではなく、現国と英語に特化した安い電子辞書をまず買ってもらった。
黒い色の電子辞書が、私の初めての電子辞書である。

 
電子辞書は便利だった。

 
何か調べ物があればすぐに調べた。
授業開始時に机の上に並べるのは、ノート、教科書、筆箱、電子辞書、教科書ガイドが定番となった。
家でも予習や復習時に大活躍した。
なんて便利なものが発明されたのだろうか。

 
初代電子辞書はやがて壊れ、二代目はシルバーとブルーの多機能のものになり、今使用している三代目はシルバーのものだ。

多機能になるごとに値段は上がり、二代目は分厚くなったが、三代目は薄型だ。
時代の流れや技術力を感じる。
現在のものに至っては各種辞書どころか雑学のようなものも多数入っており
もはや辞書というより百科事典に近い気さえする。
機械から流れる英語の発音も美しく、まさに近未来だ。

 
 
高校でデビューした電子辞書だが、高校を卒業してからも大学、専門学校、社会人になっても大活躍で
私は分からないことはすぐに調べた。

友達と会話していても分からない何かがあればすぐ調べたし
仕事中も分からない何かがあればすぐに調べた。

職場でもすっかり、私は調べ係になった。
「ともかさんに聞けば色々教えてくれるし、ともかさんがすぐに調べてくれる。」ということはよく言われたし
施設長や上司から頼まれて、文章をまとめたりもした。

 
 
父とは異なり、「自分で調べなよ。」とは、私は周りに言わなかった。
会話中に誰かが疑問に思ったことは、もはや私の疑問だった。
自宅で何か分からないことがあれば、調べるのは私の役目になっていた。
辞書よりも電子辞書の方が早いからだ。

公私共に、私は調べ係になっていた。
子どもの頃も大人になってからも
分からないことが分かるということは 
いつも素晴らしい。

  
 
 
スマホが普及しだしてからだろう。

「ググッてみよう。」という言葉は日常会話になった。
分からないことはGoogleで調べる。
それが当たり前になった。

パソコンは常にそばにあるわけではなく、またガラケー時代はまだまだ調べ物に弱かった。
ガラケーもネットで様々なものが調べられるが、画面が小さく、検索内容によっては画面が分割されたり
また学校や職場でおおっぴらに携帯電話を使えなかったりと
まだまだ電子辞書の時代だった。

 
 
だが、スマホはあまりにも多機能だった。

それまで調べ物は電子辞書でしていた私も、「Google先生に聞いてみよう。」と、すぐにスマホを使うようになった。
音声で調べられる機能は、ドラえもんの未来の世界のように感じた。

車はまだ空を飛べないが、ドラえもんに追いついてきたのだ。

私は仕事柄、携帯電話を常にポケットに入れていたし
仕事中は携帯電話が大活躍した。

利用者の方が何か分からないことがあり、質問され、私も上手く回答できない時は
スマホを取り出して調べた。

「ともかさん、あれ調べて。あれ教えて。」

そんな私の姿勢は利用者にすぐに伝わり
同僚間だけでなく、利用者の方にとっても
私は調べ係になった。

 
 
スマホを持っていない同僚や利用者は、今でも電子辞書を使い続けている。 
だけど少数派だった。
それほどまでにスマホの普及とGoogleは大活躍していた。
また、タブレットやノートパソコンの普及率も高く
そういったものを使う方も増えた。
昔はデスクトップのパソコンの時代だったが
今は持ち運びやすいタブレットやノートパソコンの需要は高い。
身体障がい者にとっては、ガラケーよりスマホの方が使いやすく
またスマホよりもタブレットやパソコンの方が使いやすい場合もあり
そういったものを日常的に使う姿も見られた。

私はそれを横目で見ながら、時代の流れを確かに感じた。
職場にはたくさんの人がいても、紙製の辞書で調べる人は一人も見当たらない。

 
 
私がかつて使っていた辞書は一部処分し、一部は本棚に追いやられた。
昔、あれほどに大活躍していた辞書なのに、今は手に取ることさえしなくなった。

辞書が好きだった。
ページの質感や匂いや
一ページ内で多数の単語の意味合いが載っているのは
紙製の辞書ならではだった。

便利な時代になった。
その便利な物を使っていながらも、昔ながらの良さを思い返すと、少し寂しさを感じる。

楽と楽しいは同じとは限らない。
かといって、もうあの時代にはおそらく戻れないだろう。

 

時代は変わった。
新しい時代を私は生きなければいけない。
だけど、時代は変わっても、変わらないものも確かにある。

父は口癖のように言っていた。
「分からないことは分からないままにしない。その場ですぐに調べる。」

例え忘れたり、覚えられないにしても
その場で調べる。後回しにはしない。
私の調べ癖がついたのは、間違いなく父のお陰だ。

 
父はもう、あの口癖は家では言わなくなった。
分からないことはすぐ調べる娘が、今でも隣にいるからだ。

  



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