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白虎隊として私は倒れた

朱雀、玄武、白虎、青龍。

 
中国で四神と呼ばれる神獣を
私が初めて意識したのは少女漫画「ふしぎ遊戯」である。
私が学生の頃、ふしぎ遊戯はアニメ化もされ
大ヒットしたのである。
続編は何作も出て
そういった意味ではまだ完結していない作品とも言える。
第一話掲載からもう20年以上経っている。

 
「ふしぎ遊戯」にハマってから
アニメ「幽☆遊☆白書」を見直した。
私が小さい頃に放送されていたアニメが
高校生になってから再放送されたのだ。
その「幽☆遊☆白書」にも四神をモチーフにした敵が出てきたし
その後、他の読み物にも四神はよく出てきた。
非常にポピュラーなのだろう。

 
私が四神を知るのは学生の頃だが
私は幼稚園の頃に白虎だけは知っていた。
とはいっても
言葉だけを知っていただけだ。
トラと白虎は私の中でイコールではなかった。
私の幼稚園で白虎を知らない子はいなかった。

 
私達は全員が、白虎隊だったからだ。

 

 
 
私が通っていた幼稚園では、運動会の時に年長組が白虎隊を演じるという風習があった。
かつてその幼稚園に勤めていた母は園児に教える側だったし
私より二歳年上の姉は既に白虎隊を演じていた。
私も自然な成り行きで
白虎隊を行うことになった。

 
白虎隊とは、戊辰戦争で鶴ヶ城を守って戦って散った少年隊士のことである。 
まだ彼らは15歳前後だったらしい。
福島県では有名だが
幼い私は知る由もなかった。 

 
 
やがて大きくなり、何故白虎隊を福島県以外の幼稚園でやるのだろうと疑問に思ったが
どうやら園に縁のある人が福島県出身だったかららしい。
まぁ遠足だか卒園旅行だかで
福島県鶴ヶ城にも確かに行っていたし
私は母親の実家が福島県であったので
福島に縁があるのは私も同じだった。

 
大人になると、戦国時代や新撰組に興味を持ったし
池田屋や五稜郭に行きたくなった。
ドラマ金八先生の影響でよさこいは全国区になったし
まぁ発祥はどこであれ
伝統的なものや歴史は語り継がれ
土地関係なく広まり、残るのだろう。

 
 
 
特に疑問も持たず、運動会に向けて白虎隊の練習が始まった。
音楽に合わせて、なぎなたのようなものを振り 
座ったり、一歩前に踏み出したりを繰り返し
最後は木製の小刀で自分を刺す振りをして倒れるのだ。

白虎隊は敗戦を思い知り
山中でみんな一緒に自害するのだ。
ウィキペディアによると、一人生き残った方がいて
その人が歴史の語り部になったようだ。

 
幼稚園の頃、私は特に意味が分かっていなかった。
白虎隊はあくまで演目の一つで
先生に言われた通りに舞うだけだ。
周りの友達も特に意識していなかったと思う。

 
運動会当日、私は額に白いハチマキをつけ、髪を束ねた。
白地に柄が入った着物を着て、下は青紫色の袴をはいた。
裸足であった。

 
私は幼稚園内女子の中で一番背が高く
「ともかちゃんは袴が本当に似合うね。」と周りから絶賛された。
私は体型的に、昔から洋服より和装を褒められた。
それは今でも変わらない。
私は昔、ドレスに憧れたので
ドレス姿より着物を褒められるのは微妙であった。
着物は窮屈で動きにくかった。

 
運動会の日の写真で、私はしかめっ面をしていた。
写真が苦手な子どもで、笑うということができなかった。
楽しくないのに作り笑いをする意味が分からない子どもだった。
運動会だから、緊張もしていたのかもしれない。
裸足で歩くから、砂利が痛いなぁとも思っていたのかもしれないが
当時はどんな気持ちか、いまいちよく覚えていない。

 
ただ、写真では、大好きな親友と二人で写っていた。
私の初めての友達で、私が大好きでたまらなかったAちゃんだ。
Aちゃんは小柄で愛嬌が良く、写真ではかわいらしく笑っていた。
仏頂面の私の左手をしっかり握っていた。
多分、撮影時にAちゃんが私の心をほぐしていたのだろう。
それは間違いない。

 
その写真は卒園アルバムに大きく載った。
和装がよく似合うが仏頂面の私と
明るくかわいく微笑むAちゃんという
凸凹コンビが
和装姿で手を繋いでいる写真は
アルバム編集をした誰かにとってよい写真だと思われたのだろう。

 
 
運動会の白虎隊の思い出は全くない。
私に残っているのは、運動会が終わった後に園児に人形を奪われた記憶だけである。

 
 
 
 
 
運動会の後、卒園前に発表会があった。
いくつかの演目に分かれ、かわいらしい衣装を着て踊る発表会である。

当時、自主性がなく、内向的だった私は、Aちゃんにベッタリだった。
私にとってAちゃんは道しるべだった。
Aちゃんは明るく活発で好奇心旺盛であり
私はAちゃんの後ろをついていけば安心だった。
私はいつもビクビクオドオドしていて
周りの顔色ばかりうかがう子どもだった。

 
だから、発表会の演目を決める時
赤いドレス衣装を着る演目が気になりつつも
それ以上にAちゃんと同じ演目がよかった。
各演目別に部屋を分かれるように指示され
私はAちゃんの後ろをついていった。
すると、私は先生に呼び止められた。

「ともかちゃんは背が高いから、白虎隊。」

 
えー、である。

 
園児の自主性を任せるというようなニュアンスだったのに
私はAちゃんから引き離された。
それならば、とAちゃんが白虎隊を名乗り出てくれた。
Aちゃんも私と一緒にいることを望んだのだ。
嬉しかった。
だが

 
「Aちゃんは小さいから○○(別の演目)ね。」

 
と、それは許されなかった。
なんということだ。
Aちゃんと一緒は許されず、赤いドレスを着る演目も許されず、全く興味のなかった白虎隊を再びやることになった。
なんということだ。
この高い身長がいっそ憎たらしい。
私はAちゃんといたかったのに、身長なんてくだらないもののせいで引き裂かれるとは。

私は落ち込みながら練習場に向かった。
先生にくちごたえなど、できるわけがない。

 
私はこうして、運動会でやった白虎隊を
不本意ながらまたやることになった。
運動会では、野外でやったが
今回は室内だし
女の子のみで行うという違いがある。

 
衣装も異なった。

発表会では艶やかな赤い着物を着たし
小刀やなぎなたは、運動会の時よりも立派な木刀タイプを用意された。
もはや白虎隊というよりは
落城する燃えさかる城で、殿を守って戦う女性のような気分になった。

 
発表会は室内のため、照明の演出も加わった。

音楽に合わせて舞うのは変わらないが
自害するシーンは最大の見せ場であり
音の盛り上がりと共に稲光のような照明演出が加わり
パタリと倒れた時は照明も落ちたり、倒れた私達を照らしたりと
光の演出が派手だった気がした。

 
同じ演目だが、運動会とでは見せ方が違う。

 
 
大人になった今ならば
白虎隊にやりがいも感じたのだろうが
あの頃はかわいらしい服を着て、かわいらしいダンスをする周りが羨ましかった。
いくら周りに和装や舞いを褒められようが
私はドレスを着て舞いたかった。

 
白虎隊は嫌いではなかった。
和装でなぎなたを振り回したり、自害するのなんて
なかなかできることではない。

ただ、嫌いではなかったが
友達と引き離された苦い思い出が
私によぎるのである。

 
 
 
 
 
 
幼稚園を卒園してから20年以上の時を経て
私は福島県に遊びに行った。
ちょうど、大河ドラマ「八重の桜」の頃だった。

 
その日は雪が降っていて
鶴ヶ城には雪が積もる肌寒い日だった。

白虎隊ゆかりの地に行くのはその日が初めてだった。 

 
白虎隊を二回演じながらも
何度も何度も福島に行きながらも
私は白虎隊ゆかりの地………お墓には
まだ行っていなかった。

 
白虎隊について学んだのは幼稚園を卒園してからで
私は自分が演じていたものの重みを
後から知ることになったのだ。

 
幼稚園の頃の私は
戦争とか命とかそういったことはまるで知らなくて
周りから守られた
恵まれた裕福な子どもだった。

 
今思えば、白虎隊を演じたことは
未来の私へのメッセージだったのかもしれない。
戦争や命について考える
大きなきっかけとなった。

 
 
 
 
 
白虎隊は20名で自決し、19名が亡くなり、たった1名だけが生き延びた。

生き延びた方がいたから、こうして歴史は語り継がれたが
生き延びた後も何度も自死を試みたし、生き残ったことを恥じたし、生き延びたことは一部の方しか知らなかったらしい。

 
 
 
コロナウィルスがここまでひどくなる前に
私は長年勤めた職場を退職した。

噂では、元職場はひどい状態だ。
なんとか生き延びている、そんな状態だ。

 
私が退職する前、「私はまだ残って働きたい。まだ残って働きたい。」と訴えた時
私と近しい人ほど、私を優しく突き放した。

職場で一番若い女性の私を逃がすかのように
同じ事業部の仲間は私を優しく突き放した。

 
 
彼等が私に言った言葉や私に見せた行動は
私からはこう見えた。

燃えさかる施設から私を突き飛ばして 
私を逃がして
年配者の彼等が大人の責任として
そこに立ち向かうような
そんな映像が浮かんで消えなかった。

 
 
私だけ逃がさないでよ…
私も最後まで一緒に戦いたかったんだよ……
そんな優しさならいらなかったよ…
逃げ延びた私が、一体みんなのために何ができるというのだろう…………?

 
 
私は自問自答が止まらない。
私の経験を活かして、これから何を為すべきか。
まだ気持ちはしっかりとは定まらない。

 
 
 
燃えさかる火の中、助けに向かったりしたら
それこそ仲間に怒られそうな気がする。
一緒に散ることさえ、私にはもう許されない。
もう、元職場が立て直ることはない。
それはもう私も分かりきっている。
明日かもっと先か。
ただ時間稼ぎをしているだけに過ぎない。

 
 
私が守ってきた大切なものがどんどん壊れていく。
大好きなのに。
大切なのに。
もう私には何の力も権利もない。
 
そう思うと笑いながら、泣けてくる。

 
 
 
退職日に死ねたら楽だった。
職員として生きて、職員として死にたかったのに。



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