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スエズ運河と新幹線

スエズ運河

1869年(明治元年)11月に開通した、地中海と紅海を結ぶこの運河は、エジプト領内に属し、その長さは

運河北端の港湾都市「ポートサイド」と南端の商業都市「スエズ」を結び全長90マイル(約169キロメートル)

に及びます。

これはアジア・ヨーロッパ間の航行距離を

アフリカ南端の喜望峰経由にくらべて約4000マイル(約7400キロ)

も航海距離が短縮できる海の近道です。

かつては戦略的価値から政治的対立も絶えませんでした。

そんなスエズ運河に日本の新幹線の技術が取り入れられているのご存じでしょうか?


時は今から遡る事、 1975年(昭和50)年春。

エジプトのスエズ運河庁長官一行が来日し国鉄本社を訪れました。

その目的は、新幹線の運行管理技術をスエズ運河に適用できるかの調査と、できるならば協力してもらうためでした。

当時のスエズ運河は、管理技術は昔のままで追突事故がしばしば起きていたのです。

そこでスエズ運河庁は、第3次中東戦争で破壊された施設を復旧するにあたって、新技術のかたまりである新幹線に白羽の矢を立て来日したのでした。

当時のスエズ運河の運行システムは、全長169kmの単線、途中2箇所に行き違いのポイントが設けられてました。

そこを24隻の船を一団とした船団が行き来をしていました。

航行制限速度は船が起こす波で土手の砂が崩れ落ちるのを防ぐため、7・5ノットを厳守。

スエズ運河航行中はスエズ運河専属の水先案内人が乗船し、運行管理は2・5kmごとに設けられた信号所が、昼は旗旒信号、夜は灯火信号で船の航行を管制するという、鉄道に置き換えるとローカル線の単線、それもふた昔前のようなシステムでした。

この話を聞いた国鉄側は、スエズ運河の線形、船舶航法と鉄道の違い、国際法の資料などを調べ、9月に、当時の国鉄の技師であった斉藤雅男氏を中心とした視察団を結成し現地に派遣しました。

そして、実際に視察して分かったのは

追突事故の原因である船の速度超過に対して信号所からスピーカーで警告するしか方法がない。

各信号所を結ぶVHF無線も聞き取りづらい。

これでは、事故が多いのも当然といえる実態でした。

そこで視察団は新幹線の理論を応用した次の航行案を運河庁に提案しました。

その案とは

2・5kmごとの信号所を全廃し、信号所跡にはUHF無線の受信機を置く。

受信機は新たに設けられた中央指令所とケーブルで結ばれており、指令室にはスエズ運河全体を表示する巨大な照明盤を設置する。

スエズ運河を通行する船舶に乗船する水先案内人に、あらかじめ専用のUHF無線機とコード番号を与え、信号所跡の受信機近くを通過すると、照明盤に船の位置情報が表示されるようにする。

速度超過や事故が起きた場合には、UHF無線で指令室から水先案内人に指示する。

また海路にはレールがないので、船の位置は沿岸2・5kmごとの受信機(アンテナ)でチェックすることとし、パイロットの持つ発信機の電波はUHF300メガヘルツにすること。

つまり、日本の新幹線の指令所と同様に、運航を中央で一括管理し、速度超過や事故が発生したときは、指令所から水先案内人に無線で指示命令するという方式です。

この案に運河庁側は驚きましたが、議論を重ねた結果、この案を採用することになりました。

そして2年後、完成した新しい航行システムによって船団の運行はスムーズに行われ、事故はなくなったのでした。

世界一の運航システムを持つ日本の凄さと、それに目を付けたエジプト政府。
どちらも流石としかいいようがありませんね。

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参考資料・サイト

鉄道ジャーナル六月号
ー新幹線のスエズ運河の近代化にー
より


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