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湯の児温泉と秘湯

嫁の父親の実家が水俣市にある。
水俣には湯の児温泉という温泉があり、ここの温泉が非常に素晴らしい。

カバー写真の温泉なのだが、海が見え、松が飾られ、色は透き通っているが岩には温泉成分が張り付いており、効果を感じさせる。

実際に入ってみると、まったりとしたお湯で非常に気持ちがいい。とろっとした感じかつ、温度が高すぎないのでずっと入っていられる。(それが価値が高いかは別として)

ただ、ピリピリして、もっと毒もしくは薬になりそうなお湯を求めたい気持ちもあって、長く浸かれる風呂は本当に温泉の価値なんだろうか?みたいなことも思った。

温泉をサクッと分けるとこんな感じになると思っていて、本来的には自称:温泉好きクラスターの温泉に行きたいのだけど、そもそも秘湯で行きづらいからなかなか行けない。だし、子供を連れて行こうとしたら、それなりに温泉のことをわかっているやつじゃないと、騒がれてちょっとつらい思いをすることになる。

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そうなるとスーパー銭湯クラスターで満足するしか無いんだけど、物足りなさを感じてしまう。そうなるともうお風呂なんか家でもいいかとなるのだけど、スーパー銭湯でも良いから温泉に入りたい!となることもあって、そうしたときに人間の本能として温泉を求めるのだろうか?ということも考える。

また、個人的には秘湯でまろいお湯を求めていくのはチャレンジの果てに求めるものがよくわからないと思っていて、
せっかく秘湯に行くなら大地のパワーもっと感じようぜ!
みたいな気分になってしまう。

これもまた、非日常 on 非日常を求めている感じがある。

こう書いていて思ったことは、温泉に入る、という行為は、非日常感とリラックスという相反する行為を同時に成立させたいという感情の発露なのではないかということ。

リラックスサイドだけ強調されても間延びしてしまうし、
非日常サイドを強調してもそれは温泉じゃない。

どっちもあることが大事なのだ。そしていま、猛烈に秘湯に入りたい。
非日常感とリラックスの二律背反を成立させるハイレベル温泉、教えて下さい。

ではでは。



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