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楽しい=想像がふくらむこと

今日は雨のなか、子どものサッカー用品を揃えにみんなで新宿へ出かける。サッカーシューズやリュックなど、大人とおなじ値段がしてビビる。子どもはサッカーボールコーナーからボールを持ってきては蹴ろうとしてしまい、何度止めてもまったく止まることなく、混乱のまま本人の道具一式がそろったのだった。他のゆっくり買い物をしている親子がうらやましかった。大人になったら全然それでいいぞと思うんだけど、いまは大変だ。

昨日のnoteでスーパーファミコンの雑誌のことを書きながら、「想像をふくらませる」という感覚を思い出した感じがする。ワクワクするとか、発見をするとか、これまでいろんな言葉で書いてきたけど、それは要は、想像がふくらむ、ということにもつながるのかも。子どものころから僕が「楽しい」と感じるのは、想像がふくらんでいるときなのだ。ゲームも、ヨーヨーも、ジャグリングも、このnoteもそういうものだ。個人的にはいまのジャグリングってひと盛り上がりが終わっちゃったところだよなと感じていて、それってつまり、想像がふくらむようなものがない、ということかもしれない。その感覚を持ちながら、僕は僕で、道具でなにかできたらいいなと思う。

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