見出し画像

元安倍首相の銃撃事件から感じ、考え方こと

暴力はダメ。
虐待はダメ。
窃盗はダメ。

そうなんだけど、それをしたくて生まれてきた人なんていないんだよね。

当たり前なんだけど、生まれ育ち、そこに至るまでの何かしらの影響があって、起こってしまったこと。

その時は、動機があったとしても、10年前や20年前、そして小学生や中学生の時には、きっとそんな動機は無かったはず。

そして、この動機の要因の一部は、自分である可能性を否定できない。正確には、直接的な動機には関与してないと自信を持っていえるが、間接的には難しい。なぜなら、間接的にこの社会を構成させている1人の人であるから。

だからこそ、単に悲観的に捉えるだけではなく、また加害者を非難するだけでもなく、そして日本はこんな社会になってしまったんだと傍観/諦観するわけでもなく、当事者として何ができたのか、そしてこれからどのような地域、社会を作っていくのか改めて考えていきたい。

-------------------------------

歴史は繰り返すというが、これまでの人類史から我々は何を学ぶのか。

格差が高まると人々の不安が高まる。そして、社会の不安定性が増していくと、暴動や事件、そして戦争などにつながること/繋がってきたことを、多くの人が述べているし、現在も世界中で起こっている。

教育歴は、所得や健康にも影響を与えるが、どうやら社会の不安定さにも影響を与えているらしい。

ピーターターチンは、現代社会の不安定さについて高学歴者が増えすぎたことを要因としてあげている。

人口が増えていく社会では、その社会を効率的に、全体最適化していくために、知的人材の需要は増え続けていく。当然、このポストは限られているので、ある時点から需要より供給が増えていく。

人口が減少していく社会においては、教育がもたらす影響は、大きく変わっていくのかもしれない。

教育の重要性は、現代社会においてそれこそ信仰のように捉えられているが、もしかしたら悲劇を発生させている要因の一つなのかもしれない。

また、『アメリカ資本主義と学校教育』のなかで、ボウルズとギンタスによると、『(学校)教育制度は、経済の社会的関係との対応を通じて、経済的不平等を再生産し、人格的発達を歪める役割を果たしている』と、アメリカの教育制度は格差の再生産に寄与していると。

では日本ではどうなのだろか?

大学進学率は、1984年12.7%から、1994年21%、2007年40.6%と上昇しているが、格差は縮まってきているのだろうか?

本件を受けて、IIHOEの川北秀人さんが、初めて聞く『安心の格差』という言葉を使われていて、なるほど!と思った。

安心は、極めて抽象的で測るのが難しそうだが、教育や所得という、分かりやすい指標だけではなく、さらに広い要因が関わる。

そしてこれらは、奇しくも本事件の前日に始まった、7/7始まった、孤独孤立相談ダイヤルや、そのもとの取り組みとなっている、孤独・孤立対策官民連携プラットフォームのような、『(望まない)孤独・孤立』をなんとかして行くことが、これからの社会ではとても重要になってくると思う。

実際に、H22年の高齢者白書では、『高齢犯罪者は、約3割が再犯者であるが、社会的な孤立が犯罪を繰り返す要因の一つとなっていることが推察される。』と報告がある。

このように考えて行くと、健康も犯罪も、それらを取り巻く心理、社会、経済的要因が大きく関わってきて、つまり健康の社会的決定要因とかなり近い考え方が出来るような気がする。

本件の情報がまだ不透明なかで、これらの知見がどこまでに役に立つのかはまだ分からないが。

僕たちが、本件から学び生かして行くことは、きっとミクロとマクロで、そして短期と長期で考え行動をして行くことである。

まずは、投票へ。

サポート有難うございます。難病の治療や入院費に当てさせて頂きます。勇気頂き感謝です🙇‍♂️