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おばあちゃんの家がなくなった話

 母親は、自分が小学生の頃、日記をつけていた。日記といっても家族には公開されていて、昨日あったずっこけエピソードなどが面白おかしく書いてあるのを見て、みんなで笑ったりしていた。つまり、家族通信的な日記だったわけである。

 自分が小学3年生の10月5日の日記はこんな書き出しで始まる。

「大源太と○○(弟)へ
 おじいちゃんの会社が倒産しました。お仕事に失敗してしまったのです。一生けん命にお仕事したけれども、だめになってしまいました」

 いきなりなかなかのパワーワードである。というより、こんな書き出しの日記を読んだり手紙をもらう機会がある人もそうそういないと思う。
 ここに書いてある通りで、自分の祖父母は、経営していた鉄工所の経営がうまくいかなくなり、ついに会社が倒産してしまったのだ。日記は続く。

「おばあちゃんのおうちは、もうおじいちゃん、おばあちゃんのものでなくなってしまいました。おじいちゃんとおばあちゃんは、これから別のところに行ってお仕事をします。二人は、今度は、違うところに遊びにいくことができます。そこがどこかはまだわかりませんが、海の近くかもしれないし、山の近くかもしれないし、楽しみにしていてください。」

 悲しい。悲しすぎる。おばあちゃんの家がなくなる。そんなことを言われたことのある方も、実際そんな経験をした方も、それほど多くないんじゃないかと思う。
 これは何を説明しているかというと、「家がなくなる」「別のところでお仕事」でわかるように、要するに夜逃げをしたということを説明しているのである。こんな悲しい事実の知らされ方があるだろうか。
 そして、「どこか遊びに行くところが増えるから楽しみに」なんて、これも今見ると涙しか出てこない。最大のポジティブ変換。実際、小3の当時は読んでいてこれはいいことが起きているんだかなんだかよくわからなくなった記憶がある。
 そして文章は続く。

「うちもおじいちゃんの保証人になっていたお金をこれから返していかなければなりません。お父さんは、今までよりも、もっとお仕事をして、そのお金を返します。お母さんも、少しお手伝いしなければならないと思っています。」

 そしてついに登場する、この場面で聞きたくないワード第一位「保証人」。そうなのである。それはそうなると思う。当の本人がいなくても、当然だけれども、こちらは保証人な上に住所も面も割れているのだ。逃げられるわけもない。
 日記は次のように締めくくられる。

「でもお父さんもお母さんも、これが自分達にとって悪いことだとは思っていません。マイナスをプラスにしていくことは、とても大切なことだと思っています。お父さんもお母さんも、この数週間で、本当に色々なことを教えられました。お金には変えられない、良い勉強でした。
 二人もこれからいろんな失敗をするかもしれませんが、失敗は一番良い勉強です。失敗を乗り越えてこそ、成長することができます。みんなでこれからも協力してやっていきましょう」

 いい言葉だ。色んな意味で迷いのない、澄み切った言葉である。
 自分も親になった今ならよく分かる。もし同じようなシチュエーションだったら、自分だって子供には、前向きな言葉を残すだろうと思う。もちろん、今の自分にもしみるいい言葉だが(実際、久々に読んで、改めてそうだよなぁと思いました)、何より、当時は分からなかった母の思いを今はすごく感じることができる。

 これが、自分が小3の時に起きた「おばあちゃんの家がなくなってしまう事件」の全容である。

 まぁ当時は3年生だったので、この日記を見ただけでは、そもそも何が起きているのか、実際はあまりよくわかっていなかった。だって、「おばあちゃんの家がおばあちゃんのものではなくなる」って言われても、意味がわからなくないですか。
 とても大変なことが起きているような、でも本当のことなんだか夢の話なのかよくわからないな、そんな感じで受け取っていた。


 ちなみにその後どうなったかという話だが、結果から言うと、お金の面では、父親のがんばりもあり、さほど尾を引かずに片付けることができた。少なくとも、自分の代まで借金があって…というようなことはなかった。

 ただ、この事件をきっかけにしたかのように、これから、この日記の家族はわずか数年の間に音を立てて崩壊していくことになる。

 そして、この日記を書いている時の母親は、まだ自分の身にどんな不幸が襲いかかってくるかを知らない。これが不幸のほんの始まりに過ぎないということを知らないのだ。今の自分よりもはるかに年下の時の母親がこれを書いていると思うと、その時の母の元に行ってよくがんばったねと後ろから声をかけてやりたいし、頑張りすぎるな、闘いすぎるな、傷つきすぎるなというふうに言ってやりたい。

 母親は、この数年後に離婚することになる。身をすり減らして悩み、そして、慣れない仕事を始め、シングルマザーとして子供を育て、子供が就職すると同時に、長年の夢だったフランスに移り住み、フランス人と再婚した。そして5年後にガンで60年の生涯を終えた。
 母に対して文句はないが、せめてもう少し生きていてくれてもよかったのではないかと思う。それを振り返ると、この10月5日からの5年間、地獄のように全ての針を全身で受けるような生き方は、やっぱりよくはなかったんじゃないかと思っている。


 倒産と借金の処理が諸々一段落し、このおじいちゃんの家のあった場所に、家を建てて引っ越すことになった。そのため、夜逃げ以来寄り付いていなかったおじいちゃんの家に片付けのために行った時のことは今でも忘れられない。

 こんなにも凄惨な。

 あの、楽しい思い出しかないおばあちゃんの家、いつも明るく楽しかったおばあちゃん、やさしいおじいちゃん、行けばいつもおもちゃを買ってくれて、お祭りや縁日に連れて行ってくれて、100%いい思い出しかないあのおばあちゃんの家。

 それがこんなにもモノクロームな。
 家は、人がいないだけでここまで朽ち果てて荒れ果てるものなのか。
 いや、正確にいうと、「人がいない」だけではなかった。窓ガラスはことごとく割られていて、家の中には動物の死骸が投げ込まれていた。意図的に汚されていたんだろうと思う。
 ぼくたちが使っていたふとんも、完全に腐ってしまってもはや誰も使うことができない。ぼろぼろになって転がっているおもちゃも悲しい。炊飯器のごはんが真っ黒にかびていた図も、今でも鮮明に覚えている。とるものもとりあえず、という生々しい痕跡がショックだった。

 暖かさと愛情しか感じなかったカラフルなこの場所は、今は悲しみと憎悪しか感じない色のない世界になってしまった。

 そして、この時に、ずっと理解できていなかった言葉の意味を完全に理解した。
「おばあちゃんのおうちは、もうおじいちゃん、おばあちゃんのものではなくなってしまいました」
 言葉ではなく、イメージがフラッシュ的に脳に焼き付いた。
 この廃墟が。これが。悪意のほか何もない地獄。

 正直、その意味が理解できて良かったのかというと、別に知らなくても良かったような気もする。悲しみと絶望感が強すぎて、どちらかというと子供の自分には背負い切れず負担だった。大人になった今だって全然消化できるような思い出ではないし、なんでも経験すればいいというものでもないなと思う。おじいちゃん・おばあちゃんとの思い出は美しいままで良かったんじゃないだろうか(大体、よく考えたら、なんで連れて行かれたんだろう…)。

 さて、その後この一家はどうなっていくのか。おじいちゃん、おばあちゃんの行方は。そして多感な大源太少年は。それは次回以降でお話ししようと思います。


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