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日常の尊さが胸に残る

 いつも、息をするかのように写真を撮り続けている。

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 ある時いつものように外のベランダに出て、習慣としている植物への水やりをしようとしたら、いつもこの時期になると猛烈に葉を延ばしているはずのカレーリーフの葉っぱが、随分と寂しいことになっていることに気がついた。

 てっきり水やりが足りなかったのかと思って、盛大にジョウロからたっぷり鉢の中に注ぎ込んだのだが、入れた側から水が鉢の下からこぼれ落ちてしまう。妙な違和感を感じながらも、その日は暑さで眩暈がしたため急いで部屋の中へと戻る。

 その何日間かあとに水をあげたときも同じようなことが起こり、次第にハラハラと葉が落ちていき、元気がなくなっていくように見える。これは、何か異常事態が起きているに違いない。私はようやく重い腰を上げ、植物の身に何が起きているかを調べ始めた。

 枝は黒ずんでいる。土からは、水を与えると小さな虫がザワザワと逃げていく。これはなんだ。虫が悪さをしているのか。

 でも、改めて調べていくと、どうやら根腐れが起こっているようだった。悪さをしていると思われた虫たちはむしろ、必死に植物と土壌を正常に戻そうとしていた益虫だったことがわかった。誤解して、ごめんね。

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 写真を撮り続けるようになって、気がついたことがある。

 旅先はもちろんのこと、毎日通う会社への道だったり友人と食事をする時だったりふとした日常の瞬間をパシャリパシャリとシャッターを押す。他の人から見たらもちろんなんてことはない景色を撮っているように見えるかもしれない。でも、私にとってカメラのシャッターを押す瞬間は、いつもとは違う変化を捉えることだった。

 いつも会う友人を撮って今日は元気なさそうだなとか、今日の夕焼けは昨日と違って寂しげな空の色をしているなとか。些細なことでも、ファインダーを通すだけで全く違う世界の色に見えてくる。

 そして、ある時自分の撮影した写真を見て、一抹の不安と喜びを感じる。

 少しでも、正しく物事を捉えたい。根腐れをおこしてしまった植物のように、本質を誤ると取り返しがつかなくなってしまうことも起こりうる。政治についても、社会についても、世の中で起こっている出来事も。

 毎日同じようなニュースが流れることによって、人は少しずつ慣れて麻痺をしてしまうけれど、実際に当事者のつもりでカメラをそっと構えてみる。明日が、少しでも前向きに生きられるように。



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だいふくだるま
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