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自分だけがルールを知らなかったことを、知った時のこと。

担任の先生が震えた辛辣な通知表

もう。書くことを怖がらない。そもそも、書くことが怖いっていう自覚もなかった。
これは昨年のこと。
自分がずっとやりたかったこと、欲しかったことに「自己表現」があるとわかってわんわん泣いた。
わかったというか・・思い出したというか・・もっと言えば、「隠していたものを出し始めた」というか、そんな感じ。

それで、もう、ぜんっぜん忘れていたことだったんだけど
小学生の時のことが、ふっと頭をよぎったんだ。

それは、小学校の卒業式直前のことだった。

5・6年のクラス担任だった大好きな先生。
その先生が「俺に通知表を書け!」
と言って、大量の作文用紙を配り始めた。

「お前たち〜!俺に色々言いたいことあるだろ?正直にかけよ?」と
彼は笑っていた。

だから私は正直に書いた。
とても詳しく、面白く、書いてあげた。

どんなことを書いたのか全然覚えていない。
でもきっと、受け取る方からしたら
もはや逃げ場のないような言葉が並ぶ
辛辣な通知表だったに違いない。

小学生時代の私の美学。
「私はさくらももこだ」という勘違いの最高傑作。

卒業式の日。
「卒業生」と呼ばれる立場が誇らしく、色んな人の涙を見ても、気持ちはなんだか清々しくて。
巣立つための羽が本当に生えたかのように、軽やかだったあの日。

その夜、私は家で怖い顔した母親に怒られていた。
「打って変わって」という接続詞を見ると、いつもこの場面を思い出す。

「なんて恐ろしい子なの!!」
「あんなにお世話になった人によくもそんなひどいことが言えるわね・・」

お母さんの顔があまりに怖かったので、下を向いてじっと話を聞いていたのだけど、お母さんの毛穴から、激しく感情がだだ漏れていた。

落胆、恐怖、信じられない、呆れた、ばかじゃないの、お母さんが恥をかいたじゃない、あなたには本当がっかりさせられた・・・

なんでこうなったのかはわかっていた。
卒業式の後、担任の先生は作文の内容を私の母にチクったのだ。

いつもなら湧き上がる、「くそ〜あいつ〜!」という
「チクリの事実を知った怒り」なんてもんは、全くなかった。

担任の先生はひどくショックを受け、すごく悲しんでいたそうなのだ。
あの先生が落ち込んでる姿なんて想像できない。
自分は大切な人を傷つけてしまった。
太陽のように明るい、こんがり日焼けした犬みたいに笑う(こんがり日焼けした犬?)あの先生を傷つけてしまった。
そして神様(母親)がめちゃ怒ってる。
私は、とんでもないことをしてしまった。
この先、私なんぞが、生きていく資格があるのかどうかもわからなくて
どのような謝罪をすれば許されるのか、検討もつかなかった。

そして私は、お説教から衝撃の事実を知る。

「担任の先生のことをひどく書いたの、あなただけなのよ?
他のみんなは2年間の感謝の作文を書いたのよ?」

えっ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

それって、つまり小野くんも長澤くんも、太田も、まりなも、あいちゃんも、りかちゃんも。
みんな正直に書かなかったってこと?
先生が正直に書けって言ったのに
・・・みんな正直に書かなかったの!?

2年間、先生の言うことをきちんと聞いてきた
優等生の最後の大失態。

クラスの中に重大なルールがあったのか。
自分だけがそのルールを知らなかった。
あんなにいつも、ハチャメチャやってる子も。
みーんな、ちゃんとルールに気づいていた。
私だけが、そのルールに気づけなかった。

うっかりした。

それは「うっかり」なんてものじゃない。
この「うっかり」で私は大切な2年間の思い出を
ボロクソに壊してしまったのだから。

この時、私は自分のことを、こう評価した。

「私は何も考えずに調子にのると、人を傷つける。」
「うっかりすると、みんながわかっているルールを見逃してしまう。」

私は恐ろしい子だ。
自分が面白いと思ったことを外に出すと大人たちをギョッとさせる。
いつでもルールの確認をして、自分を修正してからじゃないと出してはいけない。
そのままの自分だと、人を傷つけてしまうのだから。

小学校の卒業式の写真を見ると、ずっと胸が痛かった。
「こんな楽しそうに笑っちゃって。この後、私は人生の絶望の淵に追いやられるとも知らずに。ふん。」
先生を傷つけたとも知らずに
余裕な顔して笑っている自分がとにかく憎たらしい。

情報と情報をつなげて、ロックオンする。
「こんな風に笑う資格は自分にはない」
「調子にのると、後でバチが当たる」
「信頼関係は一瞬で壊れるものだ」

この担任の先生、この数年後、四国お遍路の旅に出る。
その理由が「教員時代の償い」だと聞いて
「もしかして私はまだ許されていないのか・・・」
と震えずにはいられなかった。

また情報と情報をロックオンする。
「一度、心が傷つくと、ずっと傷ついたまま・・・」

社会のシステムを理解した日。

人を傷つけてしまう、ということが怖くて怖くて怖くて
人と深く付き合うことに緊張するようになっていた。

人と喋るときは緊張する。
でも文章だと、一度自分でチェックできるから安心だ、とも思うようになっていった。
「なんか、どうやら正解はないけど、圧倒的な不正解はあるっぽい」
と思ったからだ。
自分の気持ちをそのまま書くということはできなかったけど
圧倒的な不正解を書かないよう、気をつけたら
褒められることが多くなっていった。

大学生になった私は小論文が好きになっていた。
唯一の特技だと思った。

保健室の先生になるための教員採用試験対策の授業で
自分の書いた小論文のコピーがみんなに配られる。
快感だった。

先生になることを8年間、夢見ていた。
努力もたくさんした。
指定された答案用紙に書ききれないくらい
気持ちが満ち溢れていた。

その小論文で、教員採用試験に落ちた。

余裕で掴めると思っていた夢が両手からスルッと落ちた。
夢というか、もう当たり前の現実として
目の前にあったイメージが粉々に壊れた。

また私は調子に乗って、何かを見逃したのだろうか。
何が起きたか理解するのに1年かかった。

1年後の教員採用試験。
その頃お世話になっていた人からもらった小論文を丸暗記して
それをそのまま書いたら合格した。私の気持ちとか願いとか、一滴も入ってない小論文が評価された。

社会のシステムを理解した。

保健室の先生になった私は。

合格した私は、憧れだった保健室の先生になった。
それなのに、退職する日のことばかり考えていた。
「ありがとうございました。おかげさまで大きなミスもなく無事この日を迎えられました。」
淡々と挨拶している、おばあちゃん先生。

自分が何をしたくて保健室の先生になったのか、わからなくなっていた。

保健室は学校の中の、もっと言えば家庭のことも含めた人間の
いろんな感情が集まる場所だった。
ぐちゃぐちゃな感情に翻弄され続けた。
人の気持ちの深いところに触れるたびに、自分の感情が混ざったり
切り離されるような痛みがあったりして、ちょっと参っていた。

ある日、少し年上の男の先生に職員室で怒られた。
「仕事に感情持ちこまないでくれる?(笑)」
「だから〜!大事なことだけ話してくれる?事実だけ。その説明、ほんと無駄だから(笑)」

恥ずかしかった。
そうなんだ、結論だけが大切なんだ。
求められるのは、事実だけなんだ。
事実が正解なんだ。
自分がどう思ったかなんて、聞く価値がないような、無駄なものなんだ。
どうしよう、恥ずかしい。
また社会のルールを忘れて、自分の感情を出してしまった。
うっかり、うっかり。

もう、いらない。
私、感情いらない。
自分の「思い」とかあっても、もう自分が傷つくだけだ。

子どもを産んだら正解がわからなくなった。

感情に振り回される自分を責め続けたら
頭で「正解」を考えて行動するロボットになっていた。
正解がわからない時は黙る。
頭から手足が生えた宇宙ロボットは、人間の子どもを産んだ。

人間の子どもにはいつも「感情」があった。
簡単に傷ついてしまいそうだった。
捨てたはずの「感情」と向き合うことになった。

この子を育て始めてびっくりしたことは
誰からも評価されないということだった。

「それは間違いだ!」と評価されることはたくさんある。
時には「あなた私の何なのよ?」という人から酷評されることだってある。

ただただ、誰も「それで正解です」と認めたり褒めたりgoサインを出したりしてくれないということだった。

「これであってます?」と聞く人が欲しかった。

自分と子供の関係を深く感じとって、「これでいいんだ」と自分で自分にokを出さないと進めない。
進めないのに、時計の針は進んでいくから、不安な気持ちのまま渦に飲まれて流されていく。

誰からも認められたいし、誰からも批判されたくないから、正解を教えてくれる人を探し続けた。

ある神様と出会った。
その神様(メンター)は絶対的な正解を知っていそうだから教えてもらおうと、ひょこひょこと、ついて行った。
そこで教わったのは「この世に正解も不正解もない」ということだった。

いつでも失敗しないよう、注意を払っていた私は
失敗の痛みとともに学習したことを胸に刻み続けていた。
その胸に刻み続けた「学習の成果」を神様が一緒に見てくれた。

胸から掘り返して、並べて、眺めてみたら
なんか「悪くないな」って思った。
手放しで「好き」とは言えない。でも全てが、なんか、愛おしい。
自分の人生、悪くない。
失敗だと認定したことも全部、必要な経験だったのかもしれない。

過去の意味がどんどん変わって行った。
来た道の景色が変わったもんだから
現在地も、目的も大きく変わった。

傷ついても大丈夫。

人を傷つけちゃいけないと思っていた。
今も思っているけど、それは無理だし、執着だと理解した。

「人を傷つけたら人生終了」的なダメージを負わなくなった。
だって、人はみんな傷ついて穴ぼこだらけなんだ。
穴ぼこは、案外悪くない。
その穴に「自分で何を埋めるか」で、その人の魅力が変わっていく。

ツルンと無傷で無味無臭な人なんていないし、つまらないし
いたらその人はきっと宇宙人だ!

穴があることを隠そうとしたり、修正しなくてはと強迫観念にとらわれるから、テンパって、ちょっとおかしなことになっていく。
誰かに攻撃されたと感じることがあってもそれは「この穴に触れるな!」というその人自身の叫びが攻撃になっているのかもしれない。

人間というのは、他人からしたら、びっくりするくらいくだらないことを
案外ずっと引きずって生きているもんなのかもしれない。

飲み屋で「小学生の時の担任の先生にさ〜」なんて話したら
ハハハ〜とその場で爆笑して終わりだけど
書いて、見て。初めて・・・ここまで根が深いことに気づく。


「穴がある」と認めて、穴ぼこだらけの自分を悪くないなって思ったら
みんなのことが好きになった。

子どものことを傷つけないようにという緊張から解放されて遠慮がなくなった。なんか「家族」って感じだ。

穴ぼこを誰かに埋めてもらおうと思っていたけど、自分で満たせることがわかったら、生きていく自信が湧いてきた。
説教する相手もいなくなった。
「〜が足りない」「修正するべき」という指摘をしたいとか「教えてあげよう」というお節介な気持ちが全くなくなったからだ。

かわりに湧き上がってきた気持ち。

12歳の私が持っていた美学や勘違い。あの頃の私は、ほぼ無敵だった。
それを、もう一度、書いて、自分を表現してみたくなったんだ。

ずっと隠していたから。
「私はこう思っているよ」って。


これが私の穴ぼこ。
ここを色んな人を愛おしく思う気持ちで埋めていきたい。
たとえ傷ついても大丈夫。
それを埋める方法をもう私は知っている。

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