スターリン時代は、現代を生きる私たちと本当に他人事と言えるのだろうか?―『囁きと密告 ─ スターリン時代の家族の歴史』(オーランドー・ファイジズ/白水社)について

アマゾンでは上下巻それぞれにレビューを書いているが、ここでは一つにまとめて掲載する。


スターリニズムまたはスターリン主義と言われる時代は、スターリンがソ連の指導者であった1924年から1953年まで、およそ30年。本書は、その時代に吹き荒れたテロルの下で生きた家族たちの真実の物語。上下巻それぞれ500ページを超える力作である。

スターリンの恐怖政治や粛正、それを可能にした秘密警察や密告などについて、概略を知っている人は少なくないだろう。スターリンが政敵の多くを巧みに排除していったことも知られている。しかし、実際に犠牲になった多くの人々は、いわゆる「無名」「市井」の人々であった。
本書は、そういった「無名」「市井」の人々、日本では知る人の少ない作家や活動家たちの、手紙、日記、文書、写真とインタビューをもとに、改めてスターリン時代とは、どのような時代だったのかを明らかにしている。中心となるのは10家族で、上巻冒頭にそれぞれの家族構成を示す図がおかれている。

上巻では1938年までが扱われている。
あの恐怖政治の概略を知っていても、その酷さに改めて驚かされる。当初はスターリンのやり方に疑問を感じた人もいたわけだが、教育などの影響により、後の世代は、異常さをどんどん認識できなくなっていく。テロルがピークに達するころには、次々に無罪の人が「人民の敵」という烙印を押され、強制収容所に送られたり処刑されていく。そうなると、親子や夫婦、友人であっても、信頼できなくなり、場合によっては、密告などの裏切りに走るケースが増加していく。誰も信じられないという、まさしく地獄のような世界である。
そして、親が「人民の敵」として逮捕された場合、その子どもたちは親との「絶縁」が迫られるなど、厳しい将来が待ち受けることになる。
ただ、そういった子どもたちを様々な形で援助していく、「良心」を持った人々が一部とはいえ、存在したことには、救われるものがある。

下巻で扱われるのは、1938年以後、現在までである。
第二次世界大戦中を含め、ソ連の人々はスターリンの死まで、恐怖政治の波にさらされ続ける。大戦中は、祖国存亡の危機ということで、多少風向きが変わったように感じられることもあったようだが、終戦後には粛清と密告がくり返されている。スターリンの死後、フルシチョフのスターリン批判があったものの、フルシチョフの失脚、ブレジネフ時代にもその苦難が続く。
なかでも印象に残るのは、作家のコンスタンチン・シーモノフだろう。日本でも邦訳作品があるが知名度は低い。著者によると、西欧での知名度は小説家でもあるワシーリー・グロースマン(グロスマン)に及ばないものの、従軍記者としてのシーモノフは、グロースマンやイリヤ・エレンブルクと遜色はないとのこと。
従軍記者として活躍したシーモノフはスターリンに気に入られる。さらに、スターリン批判の時代も乗り切り、ブレジネフ政権下でも「穏健な保守主義」ゆえに、ソ連文学界で高い地位を得る。しかし、一方で、スターリン時代に自分がしたことに対し、激しく悔悟し、ブルガーコフの『巨匠とマルガリータ』の発表を強く後押しするなど、「抑圧された文学作品作品の救出」に関わり、チェコスロバキヤ侵攻にも賛同していない。遅いと言えば遅いのかもしれないが、自分の言動や行動を振り返り、その過ちを正そうというシーモノフの真摯な姿勢にはある種の共感をいだく。
もう一つ印象に残ったのは、21世紀になって、粛正などについて正しい情報が知らされているにも関わらず、スターリンの責任と向き合うことを避け、スターリン時代を懐かしむ人がかなりいることである。本書に引用されたデータによると、2005年のロシア国内での調査で国民の42%(60歳以上に限ると60%)が「スターリンのような指導者」を希求している。

興味深い記述が多数散見する一方、気分的にはどうしても暗くなってしまう。それでも、読み進めていったのは、ソ連のスターリン時代が、単なる歴史的事象と思えないからである。例えば、ソ連では「人民の敵」という一つの言葉だけで、“敵”と“味方”を分ける思考だったのだが、こういった思考は、政治体制に関係なく現代にも受け継がれている。さらに、上にも書いたように、正しい情報と正面から向き合わず、多くの人が苦しんだ時代さえ懐かしいという感傷を抱く人が少なくないという状況も、今の時代に受け継がれている。だから、私は本書で描かれたことを他人事として考える気にはならない。

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