たいしたことではないけど6「専門知と科学」

『専門知は、もういらないのか』(みすず書房)と『ルポ 人は科学が苦手』(光文社新書)を続けて読んだ。前者は、著者が学者であり、自然科学だけではなく社会科学の専門知を多くの人が尊重しないことについて書かれていること、後者は、著者がジャーナリストであり、アメリカ人の自然科学についての不信に関して書かれていること、といった違いはあるが、基本的に同じ問題を扱っていると言えよう。

インターネットに蔓延る、意図した偽の「知」や意図せざる偽の「知」が、人々の間に対立をもたらしたり、「確証バイアス」がとんでもない知識を植え付けたりしているケースが様々に指摘されている。両書は、トランプ大統領が誕生したアメリカ社会を意識して書かれているが、日本でも日々実感していることも多いし、私自身について省みるべきことも多かった。それでも、私は専門知や科学に敬意を払っているし、蔑ろにするなどとんでもないことだと思っている。

ただ、専門家や科学者の全員に対して同じ敬意を払えるかと言われれば、疑問符がつく。なぜなら、専門家や科学者のなかに、権力におもねったり、金銭の誘惑に負けたりしたのではないか、と疑問を抱くケースがあるからだ。例えば、『沈黙の春』が出版されたとき、生物学や有機化学のすべての専門家が自らの専門知を尊重した発言と行動をとったのか。水俣病に関して、すべての医師が科学者として科学を尊重した発言と行動をとったのか。専門知や科学に対して敬意を持っている人の中でも、こういった「裏切り行為」を記憶しているし、「裏切り行為」をした身内に厳しくできなかったことも記憶している。だから、専門家や科学者への不信感をぬぐい切れない人がいることも間違いない。

そういった人たちを、身内が甘く扱っている限り、専門知や科学に対する不信感が小さくなることはないだろう。


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