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挨拶句?(2021年3月)

「自己紹介考えたってしかたない言えないことが多すぎるから」

例えば、私が正直に「50代」というだけで、不特定多数の人は私に興味をなくすでしょう。日本人ってほんと、年齢で枠をはめたがるから。

かといって、私のプライバシーの中で一番目を引くであろういくつかの事実(所属企業とか、仕事内容とか)については、不特定多数の人にさらしたくないですし、さらすことによるリスクの方が大きいので、開示はしません。

つまりNote上での自己紹介ってあんまり意味がないんですよね。私が仕事から引退して「組織に属さないただの個人」「無収入またはバイト程度の年収」になれば開示できる現状は増えるでしょうが、そうなると「ただの人」となってしまい、人の興味を惹かなくなるでしょうから。サラリーマンって、えてしてそういうものですよね。

「いつまでも頼られている長い道」

前に紹介したことのある、時実新子さんに採用された自作の川柳です。これは自己紹介句みたいなもの。三人姉妹の長女で、複雑な家庭に育ったため親に頼れず、自力で道を切り開いた少女時代。成人してからも、相続であれ法事であれ、私が腰を上げないと妹たちは動かない。会社でもいつしかそういう存在になり、この句を詠んだ30代半ばには10人以上の部下を持つ身となっていました。

「もういい、誰かに頼りたい!」という気持ちがこの句にあふれています。でも、男性であれ女性であれ、頼れる人は私の周りにいつかない。気づくと頼られている、っていう損な構図なのです。

こんな私が仕事を引退したら、どうなるんだろう?と心配ではあるものの、おそらくボランティア活動とか、何かしらをやって自分らしさは維持するのでしょうね。それには健康でいることが第一ですが。

「斜めから見てまっすぐにものを言い」

もう少し若い頃、このタイトルでブログを書いて、職場の同僚を含めた幅広い友人・知人に共有していました。内容は、時事ネタとかを自分なりに切って、感想を述べるというものです。一部の友人・同僚からは「面白い。毎回読んでる」と言ってもらいましたが、当時勤めていた会社を辞めたタイミングで、なんとなく書かなくなっているうちにIDやパスワードを紛失し、しまいにはそのブログがサービスを停止してしまいました。

いまは、時事ネタや世間様を「ぶった切る」ようなブログを書く気は全くないのですが、たぶんその精神というか、傾向は私の心に根を張っていて、短歌や川柳の形で出てくるようになったんだと思います。だとすれば、自己紹介なんかしなくても、自作の短歌や川柳を紹介し続ければ、私という人間は嫌でも見えてくるんだろうと思います。まあ、それに不特定多数の方が興味を持つかは、全然別の話として・・・ですが。(終わり)


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