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頑張らないスポーツ

幼少期のほんの数時間の体験が、息子との関わり方にも影響しています。感謝です。

私が小学1年生の時のことです。
近所の友達と二人で野球のような遊びをよくしていました。上手くキャッチはできないしバットにもほぼ当たらない、二人でミスした球を 拾う・投げる を繰り返すだけの遊びに、どうしてハマっていたのかは忘れてしまいました。
おそらくは、汗をかくのが気持ちよかったのだと、単純にただそれだけだったように思います。

夏休みのある日、いつものグラウンドにその友達のオヤジさんが一緒に来て、大人のバットでノックをしてくれました。キャッチボールも満足にできないのに上手く捕球など出来るわけもありません。
オヤジさんがダミ声で『そら、行け―――い!』
と同時に遠くに放たれるボールを、飼い慣らされた犬のように、ただただ友達と競って捕りに行き、『勝ったー!』『とられた〜』と一喜一憂するだけでしたが、それがどうしようもなく楽しかったことを覚えています。
ノックをするオヤジさんも、ふらふらになるまで付き合ってくれました。ダクダクの汗で、着ていたTシャツは重くなりました。ふっらふらのダックダクです。(※)

物心が付いてから初めての“いい汗”体験でした。
友達と二人だけでは得られなかった発汗量による感動と爽快感、達成感、連帯感が入り混じり(何かうまく表現できていませんが)、本当に気持ちがよかったです。

次の日曜日、“いい汗”を求めてその友達の家に向かいました。
『おっちゃーん、ノックしてーーー!』
『あああ!今日はちょっと用事があってな、悪いな、またな』
次の週も行きましたが、
『あ~、今日もちょっと、悪い!』
次の次の週も、次の次の次の週もずっとそんな調子で夏休みも終ってしまいました。
その後、二度と“飼いならされた犬遊び”をすることはありませんでした。


あれから約40年、未だにスポーツを好んでするのも、あの時の“いい汗”を求め続けているように思います。長い夏休みのほんの2~3時間の何てことない体験ですが、私にとってはかけがえのない時間となりました。半日限りであったのは残念過ぎますが、今となっては、大人の事情があったのだと理解できます。
おっちゃん、ありがとう。


サッカーが上手くなりたいという息子に、シロウトの私は何のコーチングも出来ないのですが、あの楽しさへ導くことを意識して絡んでます。
今のところ、息子も汗をかくのは大好きなようです。
あの時の残念な思いをさせないように、毎週、老体にムチを打っています。
(そろそろ、『もう来なくていい』とか言われるのだろうけど)

※熱中症には、気を付けましょう。

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