
【関係性について】こどもが非行に走る意味
※家族カウンセリングの講座を受けているので、学びのアウトプットの場としています。体裁を整えず、出てくるままに書いているので、読みにくいかもしれません。
【講座の内容】
今回の内容は「こども非行といじめ」について、家族と個人にどんな影響があるかを深める講座でした。
非行:万引き/傷害など
いじめ:主に学校などでおこるいじめ
【非行の意味】
子どもが非行に走るのは、ひとつの表現方法だと捉えています。
大人や周囲の人々にじぶんの状態をしってもらうために非行というインパクトのある表現で、家族や周囲の状態に対するアンチテーゼとなっている気がしました。
子どもが「こうあってほしい」と願っていたことが満たされていないことを主張している。
そういう側面もありながら、別の意味合いとして「現状を変えたいんだ!」というSOSのサインでもあります。
そのサインが、非行の意味であり、周囲の人々が気づきを得るチャンスなはず。
ある意味、非行によって家族がバラバラにならないように維持する役目をになっているようにも見えてきます。
こどもは親のシャドウ(人生で切り捨ててきた部分)を生きる、といいます。
こどもが、親自身のどんなシャドウを見せてくれているのか、気づかなけれないけないのかもしれないですね。
【いじめの認識を変える】
こどもは、何が悪いとか、良いとか、知らずに行動をおこしているものかもしれません。
無知がゆえに、いじめを悪いことだと思わずにしている場合があります。
なのでぼくは、いじめは起こるものだとも考えています。
ただ、いじめに対して
なくさなくてはいけないもの
として捉えていたところから、視点を変えて
学びを得る機会
だと認識できるようになったら良いなと思います。
いじめという出来事から、こどもだけでなく、おとなも何を学ぶのか。
それが問われているのかもしれません。
いじめが起こると人の弱さについて考える機会になります。
被害者はいじめが起こっていることを隠そうとします。
その理由は
①報復を恐れる
②大人への不信感
→このいじめはこどもの世界で起こっていることだから、大人にいってもムダだという、世界の分断
③自尊心
→自分の力でなんとかしたい。でもどうにもならない切なさ
とくに②、③については、社会に対して、つながりを問いかけるような示唆があると感じています。
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